206話 運命の歯車は加速度的に回り出す
ピンポン、と軽快な音が鳴る。
その来客を知らせるインターフォンのベルは、緊張で重い俺の内情とは反対に軽やかな音色で室内に響き渡った。
「太郎。本当にいいのか?」
姉はインターフォンのモニターに映り込む、ミナと黒服の男を警戒の目で見ながら俺に確認を取って来る。
「うん、俺に対応させて」
今度は姉ではなく、俺が受話器ごしに出ようか迷い……やめた。
声を出せばミナは入ってこないかもしれない。それなら直接ドアを開けに出向こう。
玄関までゆっくりと歩き、ドアのロックを外す。
そして慎重にミナと俺を隔てる壁を、ドアを開いてゆく。
「ッ!」
開け放たれたドアの向こうでは、ミナが俺を見て驚愕の眼差しを向けている。
隣に立つ黒服のおじさんに動揺した様子はなかったけど、ミナの異変を感じ取ってわずかに身体が強張ったように見えた。
「……こんにちは、ミナ。現実で会うのは初めまして、だよな?」
ゲーム内でのミナヅキが、今目の前にいる違和感。豪奢な金髪をゆるやかになびかせ、淑女然とした佇まいの少女が、いつもの神官服とは違う服に身を包み、両手を口にあてながら目をぱちくりと何度も瞬かせている。
「どうして……訊太郎くんの家に、天士さま、が?」
こっちこそ、どうして俺の家にミナが? という疑問は飲み込む。まずは事情を聞こうと決心してミナと対面したのだから。
俺は鼓動が早鐘のように打ち鳴らすのを意図的に無視し、どうにか冷静さを保ってミナに微笑みかける。
「俺が仏訊太郎だよ。この夏で性転化病が発症しちゃって、今はこんな姿になっちゃっているけど……本当に仏訊太郎なんだ」
よどみなく、すんなりと自分の状態を言える。
ここまで自分の事を簡単に説明できるようになったのは、今まで色々と俺の事を心配してくれた晃夜や夕輝、姉やユウジのおかげ。それとゲームで知り合った人達のおかげだろうな。
胸の内でみんなに感謝を込め、ミナをまっすぐに見つめる。
さぁ、次はミナの番だと、彼女の自己紹介を促す。
「わたしは……」
するとミナは、おずおずと俺を見つめながら自分の正体を明かした。
◇
「わたしは……古都塚琴音です」
その名が示すのは唯一、俺が異性でも付き合いの深い相手であり、幼馴染の名前でもあった。
小学生まで隣の家に住んでいて、中学からは家の事情で引っ越してしまい、進学先が別々になった子だ。旧姓は南琴音。
小学生時代はよく俺の後ろに付いて回ってきた女の子で、普段は明るい割にどこか引っ込み思案なところがある。
俺の記憶の琴ちゃんは、黒髪黒目のロングヘアーで小柄な日本人の女子高生だったはず。最後に会ったのは高校入学式後の春で、わざわざこうやって俺の家に遊びに来たっけ。
それがどうして……俺みたいに北欧のお人形さんのような容姿になって、しかも幼児化しているんだ?
「退行変児症っていう病気で……とっても珍しい病気にかかっちゃって……だから、今はこんな姿なの、です」
ミナの病名告白は、俺同様に堅い声を帯びていた。
病気……俺の性転化病に続き、今度は退行変児病だって?
琴ちゃんの病気にクラン・クラン実装が何か関わっている、という可能性は十分にある。
「少しだけ安心しました……まさか私だけじゃなくて、天士さまも……訊太郎くんも奇病にかかってたのですね……」
ミナの時と変わらない丁寧な口調で琴ちゃんは俺に語りかける。
彼女がそう言った喋り方をするようになったのは、引っ越しをした直後からだった。
琴ちゃんの両親が交通事故で他界したのは中学に上がる直前だった。養い手を失った琴ちゃんを引き取ったのが、母方の親戚だったのだ。琴ちゃんを家族として迎え入れてくれたのは、古都塚という名字を持った人達。
現在の日本には身分制はない。
しかし近代まで貴族階級のようなものが存在し、それらは華族と呼称されていた。そのうちの名家の一つである古都塚家。元々、琴ちゃんのお母さんは古都塚の血縁者だったそうで、その関係で琴ちゃんは古都塚の娘となった。
進学先が別々になったというのも、現在琴ちゃんは俗に言うお嬢様学校に通っている。だから教育面は少し厳しいようで、友達相手でも最低限の敬語は常日頃から使うようにと言われているようだ。
「春休み、以来だね……琴ちゃん」
「うん、そうですね。訊太郎くん」
「それで、その退行変児症っていうのはどんな病気?」
「性転化病ってどのような病気なのですか?」
俺と同時に琴ちゃんも同じような質問を浴びせてくる。
そんな有様に俺達は互いにクスリと笑いをもらす。
何と言えばいいのだろうか。
奇病を患った者同士特有の共感できる何かを覚え、少しだけ安心してしまったのだろう。
互いの緊張がわずかに解け、それから俺達はそれぞれの病気について説明を始めた。
◇
「少しだけ、似ていますね。私達」
「そうだな……」
ミナ、もとい琴ちゃんのかかった病気は身体が幼児へと急激に逆行してしまうというものだった。それは身体だけではなく内面、つまりは精神年齢も下がってしまうらしい。さらに容姿も変化するようで、その大半が自分の理想を描いた外見になるというものだった。
「訊太郎くんの身体も幼児退行してますよね」
「俺の場合はかなり特殊な事例らしいけど、性転化病で身体が幼児化したのは初らしいんだ……」
「そうですか……」
「ミナ、じゃなくて琴ちゃんはどうしてそんな容姿に?」
金髪碧眼。それが琴ちゃんの今の外見だ。
「わからないです……だけど、もっと可愛くなれたら、とか……遊んでばかりいた、不安のない小学校の頃に戻れたら、とか……上手くできないダメな自分に嫌気がさしてた時に、そう強く願ったらこうなってました」
「そっか……」
琴ちゃんは自分をダメだと言うような子ではなかった。そんな陰りのある彼女の表情に一抹の心配を覚えたけれど、何が上手くできないのかは深くつっこめる空気ではなかった。
古都塚の娘として、こなさなければならない事柄のハードルが上がったって中学の時にぼやいていたけど……その辺の事かもしれない。
「ほら、ミシェルちゃん。私の中で一番の美人さんは、訊太郎くんの義妹ミシェルちゃんだったから、あの子と似たような容姿になりたいって無意識に思っちゃったのかもです」
なるほど、確かにミシェルと同じく今の琴ちゃんは北欧系の顔立ちをしている少女だ。というか、それを言うなら俺も同じで、もしかして俺も無意識の内にそんな事を願ったりしたのか?
「天士さまが訊太郎くんだったなんて……本当に驚きです」
「俺だってミナが琴ちゃんだなんて驚いたよ。クラン・クランをやってた事にも驚いたけど」
そういえば晃夜や夕輝が、琴ちゃんもクラン・クランをし始める、なんて言ってたような気もするけど……まさか、ミナが琴ちゃんだったなんて。
「晃夜くんや夕輝くんに、訊太郎くんがクラン・クランをするって聞いたから。でも実はそれを聞く前から私はクラン・クランをプレイしてたのです」
「そっかぁ。っていうとベータテストから?」
「はい」
「ちなみに、退行変児症になったのはいつ? クラン・クランのベータテストが始まる前? それとも後?」
ここらで核心に触れる質問をしておこう。
これでクラン・クランが実装される前、つまりベータテストが行われる以前にミナの身体が変化していたならば、琴ちゃんの病気とクラン・クランは関係ないのだろう。
「えと、あの頃は……ダメな自分から逃げるようにクラン・クランを始めたからよく覚えてます。身体が変化した時には既にクラン・クランはベータテストを開始してました。お父様とお母様は病気の事で学校はしばらく休学するようにと言われましたので、それを機に私はクラン・クランの世界にのめり込んでいきました」
となると、琴ちゃんの身体が変化した時には既にベータテストは実施されていたのか……。
やっぱり琴ちゃんの身体変化も俺の性転化も、クラン・クランが何かしら関係しているようにしか思えない。ただ、その根本的な原因が何なのか、全く見当もつかない。
だけどそれさえわかれば、元に戻れる可能性だってあるわけだ。
それにしてもミナのような変化もありえるのか……。
性転化という事象だけじゃなく……今思えば、スキルなんてのが現実化してるんだ。ミナの身体が幼児化して別人のように容姿が変化する事だってありえなくはない。現に俺だって似たようなものだし。
いや、待てよ。
本当にそうか?
身体変化はそんなによく起こる現象か?
現実がゲーム化するのと同じ分類に入る程のレアリティなのか?
答えは否だ。
性転化病は日本で俺を含め、8人だけ。
たった8人だ。記憶や常識を塗り替えられたのが一億人以上いるなかで、身体の変化まで起きたのはたった8人。ミナを入れれば9人。もっといるのだろうけど、少なくともとても希少なパターンなはずだ。
ならば、俺達の間で共通する何かを察知する事ができれば、世界変貌の謎の一端に触れられるのではないか?
「リリィさん」
俺が思考の海に沈むのを掬い上げるように、琴ちゃんは唐突にリリィさんの名前を出した。
あの金髪ツインテールの弓使いの少女を思い浮かべ、確か彼女もリアルモジュールだったなと思い出す。
「彼女とも現実でお会いしたことがあります」
んん。そういえばゲーム内でリリィさんがミナに向けてそう言っていたな。どこかで会った事がありませんかと、何度か質問していたっけ。
「三条家という名家にお呼ばれしたパーティーで、お顔を合わせたぐらいですが……リリィさんとは面識があります。あちらは日本の一名家の小娘なんて記憶にないでしょうけど」
「でもどこかで会ったか? ってリリィさんに聞かれてなかったか?」
「はい。それには私も驚きましたが……リリィさんの身分上、あまり大それた事を聞くのもまずいと思いましたので、言及や肯定は避けたのです」
「と、いうと?」
「天士さまだから、訊太郎くんだから言いますけど……リリィさんはイギリス王室の方です。容姿は全く一緒でしたから」
「ほぇー……金持ちっぽい雰囲気は出していたけど、そんなやんごとなき身分だったとは……そんな人がクラン・クランでリアルモジュールなんてして大丈夫なの? しかも男性プレイヤーを背後から突くような悪質プレイを満喫するとか」
「おそらくですが籠の中の鳥、状態なのでしょう」
琴ちゃんが一瞬だけ無言で隣に立つ黒服のおじさんに目をやって、すぐに視線を俺へと戻す。
「社交の場には時折、顔を出す程度でほとんどは外出を許されていない身分なのかもしれません。なのでそのような行いを日本のゲーム内でしたとしても、露見する可能性は低いと見積もっているのでしょう」
「お偉いさんはお偉いさんなりの大変さがあるのか」
それはもしかすると、琴ちゃんも同じような狭苦しさを感じた経験があるから予想できる内容なのかもしれない。
「噂で耳にした限りですがリリィさんは大の日本好きで、日本のサブカルチャーが特にお好きなようですね。日本語もほぼ完璧にマスターするぐらいのようで……だから行き過ぎな程のお嬢様口調なのかもしれません。あの辺の匙加減って、日本語はネイティブじゃなければ難しそうですし」
うーん。俺からするとアレは知っててわざとロールプレイをしているような気がしなくもない。でも盗賊じみたプレイをして口調だけは上品って、ギャップにも程があるだろうし、彼女は一体なにを目指しているのだろうか。
「こんな事態なので、リリィさんには悪いのですが……勝手に個人情報を漏洩してしまいました……」
琴ちゃんは申し訳なさそうに目を伏せ、しかし次には強い意志が宿った瞳で俺を直視する。
「日本が今、こんな状況です。イギリスの方はどうなっているのか、聞いてみる価値はあるかと思います。クラン・クランは今のところ日本サーバーしかないはずなのに、リリィさんはインしてきてますし……その辺も気になるところでもあります」
「なるほど……確かに今までリアルモジュールをしてる人達以外、ゲーム化の汚染に気付けないし、世界的に目立った動きが見られない事から、世界がどんな風にゲーム化を把握しているのかって観点はすっかり放置していたけど、少し気になるところだね」
そうしてしばらくお互いの意見を言い合い、あーでもない、こーでもないと現状どうすればいいか一通り語り合った。
その頃になれば、互いの病名をカミングアウトした時のような変な堅さはすっかり消え失せて、幼馴染同士の緩い空気に戻っていた。
「やっぱり運命ですね。訊太郎くん」
「うん?」
琴ちゃんはニコッと俺に笑いかけてくる。
記憶にあった笑顔とは違うけれど、その優しく明るい表情が琴ちゃんの面影をわずかに感じさせられる。
「私はクラン・クランで天士さまを追いかけ続けてしまいました。まるで小学校の時の……訊太郎くんとずっと一緒にいたあの頃のように」
大切な思い出を貴重な宝石の一粒一粒でも取り扱うかのように、ゆっくりと言葉をかみしめながら琴ちゃんはそう言ってくる。
「そんな訊太郎くんと、クラン・クランでも冒険して。こうして奇病を患う者同士で、幼馴染です」
「すっごい確率だよな」
「はい! ですから、私達は運命なのです」
「運命、か……」
確かにそうなのかもしれない。
そう言い切れる程の低確率な出会いだと、俺は思った。
「このまま身体が戻らなくても、今の訊太郎くんと私なら歳も近いですし、一緒にたくさんいられるかもしれませんね?」
ぽーっと頬を赤らめ、俺の顔を凝視して妙に身体を近づけてくる琴ちゃんに俺はちょっと動揺してしまう。
「ゲームの中でも、現実でも一緒。素敵な事ですよね? 訊太郎くん?」
「え、えっと。それはまぁ、楽しいね」
「はい」
満面の笑顔を咲かせる琴ちゃんに、俺はこれ以上なにも言える事がなかった。
なぜなら、やはり琴ちゃんの顔が近過ぎて頭がのぼせてきたからだ。
もう限界、と俺の臨界点が突破しそうになった矢先、俺と琴ちゃんの変な空気を砕くようにスマホがピコンと鳴った。
慌ててスマホを握ってみると、
『訊太郎! クラン・クランにすぐ戻ってきて』
『早い話、イグニトール勢が敗北しそうだ』
なぜ!?
まさか砦が落ちそうになってるのか?
さっきまでの変な空気は一瞬で吹き飛び、すぐに琴ちゃんにもスマホを見せる。
隣にいた琴ちゃんは少し残念そうな顔をしたけれど、すぐに無言で頷き合い即座にログインする体勢に移る。
「太郎、クラン・クランにログインするのか?」
イヤフォンを付け終え、ログインする間際になって姉が俺の部屋に入って来た。
「うん。イグニトール勢が負けそうって晃夜たちから連絡が入った。姉もすぐに来て欲しい」
「わかった。だが、その前にこの記事を見て欲しい」
姉の顔は至って平坦。だが異様な程に冷静すぎるその表情が逆に何か重大な事が起こったのだと、姉弟ならではの長い付き合いから容易に伺えた。
姉はサッとスマホを俺に見せてくる。
その液晶画面に映っていたニュースの内容は……
「なに、これ……?」
「書いてあるままね」
世界各地で大きなデモ活動や暴動、テロがほぼ同時に勃発していた。
まるで極秘裏に各勢力が協定を結び、タイミングを見計らっていたかのように。
その内容のほとんどがクラン・クランの現実化が招いた摩擦だ。
キリスト教徒と名乗る謎の集団がデモ活動を行い、過激なところでは政府に対して信仰の自由を謳いテロ活動なども行っているようだった。
主にアメリカやヨーロッパ、テロなどはイギリスなどが活発に発生しているようだった。
また、中東ではイスラム教徒を名乗る人々が虹色の女神教会の教区で武装蜂起と記事に書かれている。
さらにアジアでは仏教徒を名乗る未知の神を信奉する集団が反政府活動を大々的に行い、布教という名の行進を始めたそうだ。
世界から、歴史から消えたはずのキリスト教が。信徒はまだ存在していて、ゲームの浸食に気付き、それに反旗を翻す人々がいるのに驚愕した。
そして、いつの間にかイスラム教と仏教まで消えている事になっていた事実に驚きを隠せない。
「これって……ゲームに浸食されてるのに気付いている人達が、世界にはたくさんいるって事だよな?」
「そのようね。私たちだけじゃなかったわ」
「じゃあ、現実がゲームに汚染されてるって気付けるのは……リアルモジュールとか、クラン・クランをプレイしてないとか、関係ないって事?」
「それはまだハッキリとわからないわ」
世界には、世界の変化を認識できる人達と、汚染された人達の戦いが始まってるのか?
「争いが起こってるなか、不謹慎かもしれないけど……わからない事だらけで不安だったのが少しだけ安心したかも」
「そうね。孤立してないってわかっただけでも、希望が見えてきたわ」
ふっと安堵の吐息をもらす姉だったけど、そこから凛々しく顔をひきしめた。
来たる戦に備えての気構えが、俺やミナに伝播してゆく。
「決して相容れなかったはずの宗派が互いに手を結び、共通の敵に向かっているか……私達には私達のやれる事をやりにいきましょう」
「うん」
「はい」
イグニトール勢の敗北は許されないのだ。
これ以上、世界に混乱を蔓延させないためにも、俺達には俺達のできる事に全力で打ち込むのみだ。
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