188話 泣きやむ夕立ち
更新の都合上、お見せできなかった読者さまもいるかと思いまして。
ぽよ茶さまより頂いた、今のタロのイラストを載せます。
勉強会を終えた俺達は夕輝宅を後にした。
静かな紅が射し、暗い影が伸びる。空の青はすっかり消え失せ、夕映えが支配してゆく、そんな帰り道を俺と晃夜は無言で歩いていた。
「……」
俺がクラン・クランで『人形の支配師』を開放したのが、間違いなく『家庭看護人形〈ケア・ドール〉』販売の引き金となったはずだ……。
親友二人だって直接口には出さなかったけど、今回の騒動の中心は間違いなく俺だ。いや、今回だけじゃないのでは? 妖精の出現にしろ武志のエルフにしろ、今までの事象変化は全て俺が関わってるんじゃないか?
何が原因で、どうして俺が?
疑問は尽きないし、心が不安に塗りつぶされていく。
「なぁ、訊太郎……大丈夫か?」
家まで送ってくれると申し出てくれた晃夜には悪いけど、今は一人でいたい気分だった。
これからどうすればいいのか、漠然とした焦りが重くのしかかる。
ふと夕空を見上げれば、いつの間にか雲がひしめき鉛空へと変わっていた。
あぁ、俺の未来を予兆するかのように濁った雲が増していく。性転化してから、俺はどこに向かっているのだろうか。自分の望む未来が見えない。
「おい、訊太郎」
返事をしなかったからなのか、晃夜がそっと俺の肩に手を置いた。俺は振り返り、親友の姿を見る。大きくごつごつした手、幅広な肩、健やかに成長している高い身長。
全てが俺にはない要素だ。中学から一緒に歩んできたはずなのに、俺とは何一つ違う立派な身体を見て、これ以上目にしたくなくて視線を逸らす。
そう、今の俺には何もない。夕輝は医者か弁護士に、晃夜はゲームプログラマーになるという目標があるのに、俺は目先の問題に振り回されてばかりで……いや、宿題もせず、二人に甘えて自堕落な生活をしてる俺は、何一つ進歩しないのは当たり前かもしれない。しかも、自分が現実をおかしな事にしてる元凶になっているだなんて。
俺は一体、何をしてるんだ?
「今は、放っておいてくれ」
荒む内面をごまかすようにして、肩に置かれた手を払いのけ、とぼとぼと歩き続ける。
「待てって。訊太郎、ちょっと様子が変だぞ?」
優しくしてくれる夕輝。心配してくれる晃夜。
当たり前だけど、お前らと俺は違う。
「なぁ、おい」
しつこく言い募って来る晃夜に、少しの苛立ちを覚える。
お前は女児になんかなってないから、俺を思いやれる余裕があるんだ。いくら俺が対等でありたいと願っても、お前らは心のどこかで俺を庇護対象のように見下しているのではないのか?
「いいから、別に構うなって」
「は? なに怒ってるんだよ」
「晃夜にはわからないよ」
親友たちにこんな劣等感を抱く自分が嫌だ。
でも、それでも悔しいと思ってしまったのだ。
「急になんだよ。言ってみろよ」
「……もう、俺はクラン・クランをしない方がいいと思う」
「はぁ……?」
俺が真剣に悩んだ末に出した返答に、晃夜はやや呆れたように溜息をついた。
同時にポツリポツリと雨が降り出し、俺達を濡らしていく。
その冷たい水粒が目に入ってしまい、ちょっとだけ染みる。
「訊太郎……おまえ、馬鹿だろ?」
馬鹿って……晃夜は涼しい顔で俺を見つめてくる。どうしてそんなに冷静でいられるんだ? どうしてそんな余裕があるんだ?
落ち着いた親友の態度を目にして……雨粒が服に付ける黒いしみが、俺の内心にも広がっていく。
「知った風な口をきくなよ。晃夜に俺の何がわかるんだよ……」
俺の女体化だって、ゲームと関係しているかもしれない。
ゲームの変化が、どう現実に変化を及ぼすのか不明なんだ。
明日にはまた、俺の身体は変化してるかもしれない。そう思うと、たまらなく怖くなる。それに、夕輝や晃夜だって、俺と関わってるとおかしな身体になっちゃう可能性だってあるんだ。だけど、目標もない俺なんかが、二人を心配していい立場じゃない。
「お前ら二人は、心配事が少なくていいよな」
どうして、俺だけがお前らと歩めない。
どうして、俺だけがこんな目に合うんだ。
「晃夜と夕輝がうらやましいよ」
二人のせいなんかじゃないとわかっていても、一度捻ってしまった蛇口からは、どばどばと汚い気持ちが流れていく。
「俺の身体を見ろよ!」
やめないと。
これ以上余計な感情を吐露するな。口にするな、といくら抑制しようとも、俺の爆発してしまった不安は制御できない。
「もし、またゲームのせいで俺の身体が変化したらどうする? 急に成長して大きくなるか? 余計に小さくなったりでもしたら? どうするんだよ!」
堰を切ったように不安も涙もあふれ出す。
情けないとわかっていても……目からも口からも、出てくるモノは止められなかった。
「それにッ……俺のせいで現実が変わるだなんて、恐ろしすぎるだろ! 巻き込まれる他人とか世界とか、どんな不幸をばらまくか、どんな被害が出るかわかったもんじゃない!」
「……」
一気に本音をぶつけた俺に、晃夜は辛そうな顔をするでもなく、動揺した素振りを見せるでもなく……ただただ、静かにこっちを見つめてくるばかりだ。
興奮してむせび泣く俺に対し、親友はひたすら冷静だった。
どうして、こうも俺とお前で違うんだ……。
「……」
その強さに嫉妬し、同時に惨めさで逃げ出してしまいたくなる。
漏れてしまった嗚咽は夕立ちに濡れるけれど、流れて消えてはくれない。それなら、いっそ俺が消えてしまえばいい。こんな汚い感情を親友にぶつけてしまう醜い自分なんか。
「お前らはいいよな……」
やめろよ。晃夜は――
「お前らは、可哀そうな俺に優しくしてればいいだけだろ。見下して、優越感に浸ってろよ」
二人は俺の大事な親友なのに。
だけど、晃夜を突き離すように意地を張ってしまった。
ただ、ただ、俺よりも大人な晃夜の態度が悔しくて。
「気楽なもんだな」
こんな言葉をぶつけるつもりじゃなかった。
けれど、とめどなく溢れてくる言葉は。
こぼれる涙と共に止んではくれなかった。
それからしばらく俺は無言で立ち尽くし、晃夜の顔を見るのが怖くて下を向いては胸を痛めた。酷い事を言ってしまった自覚はあって……辛い静寂に反して、夕立ちの勢いは増し、水音だけが騒がしくさざめく。
「……訊太郎が」
雨粒が俺達を叩く音が弾ける中、妙に晃夜の声はハッキリと聞こえた。
「クラン・クランをやめたいって言うなら、反対はしない」
衣擦れの音がしたかと思えば、急に目の前に晃夜の顔が現れる。どうやら視線を合わせるために、しゃがんでくれたみたいだ。
その俺を労わる仕草が、とっさに目を閉じても瞼に焼きついた。
「現実の改変が怖いのは俺達も同じだから、気持ちは多少わかる……訊太郎の場合は特に不安が半端ないんだろうな……でも、ゲームをしなきゃ変化した事象も認識できないんだぜ……」
俺が何も言わないと、『お前を馬鹿呼ばわりした理由だが』と晃夜は続けた。
「例えば、明日から日本が近隣国と戦争になったとして……俺らに何ができる? 戦争を止められるか?」
急に何を言いだすんだ?
疑問に思いつつ、俺は戦争を止めるのは無理だと感じた。
「一介の高校生にできる事なんざ、大してない」
……そんなのは百も承知だ。
「だけど、俺らなりにやれる事はある。抗える部分はあるはずだ。最初は一人の抵抗でも……それが一人、また一人って広がっていけば、もしかしたら戦争だって抑止できるかもしれないじゃないか」
それはゲームが現実化してる事を例えて説明してる事がわかった。だけど、その元凶となってるのは俺なわけで、俺がゲームを辞めれば現実へのゲーム侵攻も防げるのではないのか。
「あと、お前のせいとは限らない。ニュース記事の内容をよく思い出せ」
何の事だ……と疑問に思って、つい閉じた目を開いてしまう。
晃夜は俺の内心を見透かすように、水滴だらけの眼鏡を得意げにクイッと整えた。
「〈才能持ち〉の犯罪率が上がってるって言ってたろ? 俺らの知らないところで〈才能持ち〉が出てるって事は……お前に関するゲーム内イベントだけが現実化してるんじゃない。そうだろ?」
それは……そうだ。
俺達以外にも〈才能持ち〉が存在するなら、俺達に関係のない所でもゲームの現実化が進んでいる。どうして、こんな簡単な事に気付けなかったのか、晃夜が俺を馬鹿と言った意味をようやく理解した。
「一人で勝手に抱え込みすぎだ、馬鹿」
俺達がいるだろ? そんな副音声が聞こえた。
親友達を侮辱するような言葉を吐いた俺なんかに、そんな風に言ってくれる晃夜の優しさに、俺はまたしても目がしらが熱くなってしまう。
「それと、あの言いようはさすがに頭にきたから、くらえ」
ほっぺを凄い力でつねられた。
「絶対に、訊太郎がチビになったからって見下してなんかいねぇぞ」
いだっ、いだだだっ、いだい。
目もほっぺたも熱いよ。
「卑下するなよ。俺は訊太郎を見下す奴は許さねえ。例え、それがお前自身でもな」
「う、ん……ごめんな゛ざい゛……晃夜に、ひどい事を、言っでごめん……」
滴る雨がうっとうしかったのか、晃夜は軽く前髪をぬぐって微笑む。
「なぁ、俺がもし女子になったら、訊太郎は仲良くしてくれないのか?」
「……ぞんなごとない゛」
晃夜は俺の返事に満足するように頷き、さらに笑みを深めた。
「俺と夕輝も同じって言ったろ? 変わらねえんだよ」
どんなに周りが変わっちまおうが、俺らは変わらない。
だから、ぶつかり合える。
だから安心できる。
よりかかれる。
メガネの奥から真摯な色で俺を見つめる晃夜の目が、そう物語っていた。
「俺達は、そういうもんだろ?」
顔や髪に付着した水滴たちがキラキラと光り、親友の笑顔は酷く眩しかった。
「それとも俺と夕輝はそんなに頼りない奴かよ」
「ううん……」
俺はこいつらの隣にいたいし、いれるぐらい器のでかい奴になりたいと強く思った。
「俺らだって、訊太郎を頼りにしてんだ」
頬をつねっていた手が、そっと頭へ乗せられる。じんわりと晃夜の手から伝わる熱量が、今の俺には痛いほど苦くて、甘くて……嬉しかった。
晃夜はしばらくすると手を俺から離し、肩をすくめながらそっと立ち上がる。
「だから、その……泣きやめよ」
「やだ。思いっきりぶちまける」
俺は泣き顔をこれ以上さらすのが恥ずかしくなり、晃夜の腹に顔をうずめてガシッと抱きつく。今は……度量の広さも、懐の深さもまるで敵わない親友に、悔しさ紛れに思いっきり寄りかかる。
「お、おいおい、離れろって……」
「晃夜だから、こんなのができる」
「やれやれ。鼻水まみれ確定かよ」
晃夜は俺がしがみつく事に抵抗せず、ごそごそと何かをあさりだした。何を探してるのかと思えば、そっと両肩の上に重みを感じる。
チラッと横目で見ればそれはタオルで、きっと自分の鞄から取りだした物だろう。
「雨で風邪、ひいたら困るしな」
「なんだよ……子供扱いすんな」
俺はムキになってタオルを返そうと、右手に掴んで晃夜の胸に押しつける。
この後に及んで、お礼も言えない自分に呆れてしまう。それでも恥ずかしくって、拗ねたように強情な態度をつい取ってしまうのだ。
「服、雨で少し透けてんぞ。タオル被せておけって」
別にそんなの気にしない、と言いかけてやめる。
薄い生地のパーカーがピッチリと肌に張り付いて、自分の透き通った白い肩や胸が、うっすらと朱に色づいて透けていたのが目に入ったのだ。
「うっ……」
確かに、改めて指摘されると何故か気恥かしいモノがあった。
「べ、べつにコレぐらい気にしない……けど、借りとく」
「ったく、互いの面倒を見るのは今更だろ。意地張るなよ」
フッと笑いを漏らす晃夜の眼鏡がキラッと光る。
「早い話、親友だろーが」
俺はまた、自分の顔を晃夜のお腹に押しつける。
そうやって頼れる親友にバレないよう、にやけてしまう顔を隠した。
その後の帰り道は――
雨は止んで、夕空には星が瞬き始めていた。
ブックマーク、評価よろしくおねがいします。
うれしい感想をくださったり、誤字の指摘をして下さる方々。
そしてこの物語を読んで下さる読者のみなさま。
いつもありがとうございます。
元気をもらってます。




