176話 距離
「ジュンヤ君、おまたせ!」
純白の雪が舞い、陽光に反射してキラキラと輝く。
それはまるで、大気中の全ての水分を昇華して発生したダイヤモンドダストのようで。
突然の大きな衝撃で舞った雪達は、彼女によって美しく踊らされる。そう、彼女は強大な存在を伴い、巨躯なる従者とともに下界に降り立った天使。
「本当は! もうクエストなんてどうでもいい!」
雪、白とは正反対の黒、禍々しい巨人の亡骸を従える彼女の姿は、それはそれは息を飲む程に美しかったんだ。
尊く、何人も触れられざる高貴。ボクの仲間たちが、傭兵団『武打ち人』の傭兵たちが、声をひそめて彼女の事をそう言う。
時に、その白銀の髪をさして、彼女は月のようだと。
時に、あの見目麗しい容姿をさして、彼女は女神のようだと。
今なら痛いぐらいに、そう言われる理由がわかるよ。
ボクの全神経が……いや、この場の誰もが彼女から目が離せるわけがない。
「ただ、ジュンヤ君と話がしたいだけ!」
そして彼女は、はっきりとボクにそう言う。
何が何だか理解が追いつかない。
顔が熱くなって、頭も熱くなって、おまけに視界もぼんやりしてきてしまう。
彼女――タロくんは、実は鉱石を巧みに扱う天使さんで。
ボクが勝手にライバル視し、勝手にいつかは超えてみせる、なんて意気込んではみた相手で……それは結局、劣等感を隠すために自分を鼓舞していたにすぎなくて。
それでも錬金術に精通している、タロ君という心強い味方がいるって思っていたのに……まさか、タロくんの正体が、ボクの劣等感の原因だったなんて。
しかも、そんな相手から『話がしたい』だなんて告白じみた台詞を吐かれ、ボクはもう心も頭もパンクしそうだ。
あぁ、誰かこの状況を正確に説明してくれないだろうか。
いやいや、そんな悲嘆に暮れる物語のヒロインみたいな感情を抱いている場合でもなくて、タロ君が、天使さんが、必死に敵兵のNPCからボクらを守ろうとしてるんだ。
「おい、ジュンヤ! ボーっと突っ立てるヒマはないんだけども!」
「タロちゃんとの話はあとあと! 恋路は障害が多い方が燃えるって感じ?」
マモルとケイの叱咤は尤もだけど……頭では理解していても、どうしても身体と心はついていかなくて……ボ、ボクと、話がしたい?
ボクは胸の高鳴りを抑える事ができず。
ただ、ただ、彼女を見つめてしまう。
目も覚める蒼天をまとい、巨人と共に敵を叩き潰す彼女は――
みんなが言うように、月の女神のように綺麗だ。
◇
「個ノ力デハ抗エヌ数ノ力、ソレコソガ人族最大ノ強ミ」
巨人のナハクさんが荒々しく唸る。
人間と比べ、圧倒的なまでの体格差を誇る巨人族のナハクさんにそう言わしめす程、ハーディ伯爵の検問兵……軍隊は手強かった。
最初の一撃こそ、相手の不意を突く形で大成し、強烈な打撃を与える事ができたのは確かだ。しかし、こちらが敵を蹴散らしていく度に敵の反撃も険しく、的確になってきている。もう60人は屠ったにも拘わらず、敵はよく訓練されているのか、相手が巨人だろうと怯むことがない。
「フゥ、おねがい!」
「あいあいー♪」
数十本の火矢が俺達めがけ、敵の指揮官らしき人物の号令に合わせて一斉に放たれる。何度目かになるその一斉射撃に、フゥの風壁をぶちあてていくのも限界があった。
その理由は、数が多過ぎるのだ。
「グ、ムゥ……」
ナハクさんの被ダメージが多そうな箇所や、俺に当たりそうな軌道を描く矢を防ぐので手いっぱいで、既にナハクさんの身体には見るのも憚られる数のおびただしい矢が突き刺さっている。
「グヌ、小賢シイ……」
それでもナハクさんは戦神の如き豪胆さで、敵を叩き、払い、砕いていく。
だけど敵も一筋縄ではいかない。近接戦闘では、付かず離れずの距離を保って長槍を持った兵をメインにちょこちょこ突き刺してくる。ナハクさんが近付けば、決して密集しすぎる事ない数で散開しつつ、大盾を持った兵達が前に出る連携を見せ、なかなか大きな被害を出す事ができていない。
「ナハクさん、ジュンヤくんたちが!」
「御意ニ……」
しかも相手はこちらの弱点を正確に突いてくる。ナハクさんが強引に敵兵の密集地へ接近しようものなら、保護対象であるイグニトール令嬢とジュンヤ君一行を狙って、少人数ではあるけども果敢に突進を仕掛けてくるのだ。
このままでは、結果は目に見えている。
良くて相討ち、悪くてこちらの消耗負けだ。
敵は未だ300人以上が健在で、士気も上々と見える。
巨人の手を借りてもこれだ。錬金術の師匠、リッチー師匠が築き上げてきたモノを利用し、転用してソレらしい成果を出しても……彼の偉大なる錬金術士が成し遂げた、神をも驚嘆させる所業には遠く及ばない。
自分の及ばなさに歯がみはしても、諦めはしない。
ジリ貧に追い詰められた現状を覆すキーを必死に探す。
リッチー師匠は愛する人が死しても、決して蘇らすための手法を探求する事を放棄しなかったのだ。巨人を利用し、月光を研究し、精霊契約を模倣したのだ。
そう、錬金術はあらゆるものに、可能性を示す事に他ならないのだ。
何か、何か、そう何か利用できるものは。
今、この場にあるものは、雪とナハクさんが眠っていた山、そして仲間だ。
「そうだ、雪山……」
でも、あれを活用できる物が手元にない。
ないのならば、それは創造するしかないだろう。俺には『魔導錬金』という、キューブを組み合せて形にする、即興製作スキルがあるじゃないか。
だけど、俺だけではここを乗り切るのは不可能に近い。
だから、俺は叫び、飛ぶ。
仲間の下へと。
「ジュンヤ君! キミに頼みがある!」
そう、フゥの風に乗りながら、地上で必死に敵の攻撃をかいくぐるジュンヤ君達の近くへと降りる。
もちろん、ナハクさんはそれを察して俺達を守るために、防御一択の動きへと変わる。
もう少しだけだから耐えてくれ、ナハクさん。
「天使、さん。こんな時にどうしてボクの所に!?」
「ジュンヤ君! キミしかいないんだ!」
「ええと、でも、ボクなんかがこの状況を良くすることなんて、できないよ!?」
全く自信がない、と言うかのように両肩を落とすジュンヤ君。
「俺とジュンヤ君ならできるかもしれない! だから、こっちに」
しかし俺は、そんな彼に構わず強引にジュンヤ君の手を取る。
そして急ぎナハクさんにお願いする。ジュンヤ君を掌に乗せてと。
「わっ!? えっ!? ヒィッ!!!」
突然巨人に握られれば、それはビックリしてしまうだろうけど、今は説明している暇がない。ナハクさんの片手がジュンヤ君で塞がったと言う事は、それだけ攻防力が下がったという事なのだ。
俺はフゥの風と共に、ジュンヤ君の傍へ移動していく。
「ジュンヤ君。落ち着いて聞いて」
ここなら少しの間は地上よりは安全だ、そうアピールする。俺達二人は、ナハクさんの右手の平に乗りながら向かい合った。
「俺はジュンヤ君の持つ、鉱石に対する情熱、知識には驚かされてる。実際『蛍石』を有用な素材にするにいたって、キミからすごいヒントをもらったし」
「え、蛍石の……そうだったんだ」
「だから、キミを信じてる」
一区切りし、まっすぐに彼の両眼を見据える。
すると彼の目は先程の所在なさげな陰りが消え、心なしか強い光を帯びた様な気がした。
「俺の錬金術と、キミの鉱石知識で、ここを乗り切れるかもしれないんだ」
「そんな……で、でもボクなんかが、力になれるか、わからないけど」
ジュンヤ君は意を決したように、コクンと頷いてくれる。
「爆発物、特に音を盛大に出すアイテムを作りたい。火力も高ければ高いほどいい」
「そんなもの、今すぐにって……できっこないよ」
それでも、あるかもしれないんだ。
この場の兵士たちを一掃する手段が。
その一心で、ジュンヤ君に可能性のありかを迫る。
「何でもいい、何か爆発に繋がる何かを! 俺に教えて欲しい」
「う、あ、タロくん、顔が近いって」
不意に慌てふためくジュンヤ君にそう指摘され……夕焼けよりも真っ赤に染まる彼の顔を見て、ううん? この感じはどこかで見覚えのある表情だと思った。
そんなジュンヤ君の茹だった表情に、何となく釣られて気まずくなってしまう。
ううん、どうしてか物凄く照れくさい。何でだろう。
「あ、うん……ごめん」
俺は目を逸らしながら、そう呟くのが精一杯だった。
逸らした視線の先でケイ君がキルされる姿が目に入り、恥ずかしがってる時じゃないと悟る。そう、何を同じ男同士で照れ合っているというんだ。
「えと、それで爆発物に繋がる鉱物なんかはない?」
我ながら切り替えが早いと思った。
:しかし、顔の距離は変わらない:
:ジュンヤの心の余裕は2000削られた:




