148話 スキル解放
やってしまった……。
いや、やられてしまったのか?
とにかく俺は女子トイレの個室で一人、閉じ籠っていた。
「はぁ……」
恥ずかしさのあまり、茜ちゃんからベルトを受け取ることすらせずにここまで来てしまった。
「まずは、着替えるか」
下がるズボンを履いて、移動する気になれるはずもないので、俺は女子生徒用の制服へと着替える。
いつまでも塞ぎこんでいても仕方ないので『才能持ち』の件など、報告も兼ねて学食で待っているであろう親友たちの所へ向かう事にする。
傷心と困惑、そんなネガティブな思考を一早く切り替えるために、自然と歩く速度は速くなっていく。
「なんだ、あの美少女……」
「外人……いや、『特待生』ってあの子じゃないか?」
「性転化病って……やばいな。あの見た目で、元は男なんだろ?」
「いや、俺はむしろあんな子が見れて、性転化病に感謝だわ。目の保養すぎる」
「おい、本人に聞こえるって」
通りすがった生徒達の会話が耳に入ってしまう。
彼らに悪気はないのかもしれないけど。
その囁きに、ズキリと胸が痛んだ。
早く、早く、晃夜と夕輝の所に行きたい。
周りの喧騒を排除しようと、そう何度も何度も胸の中で繰り返した。
◇
「二人とも、お待たせ」
学食の椅子に座り、スマホを何気なくいじっていた二人は、俺が声をかけるとようやくコチラに気付いた。
「遅かったな、訊太郎」
「ん、何だか元気がなさそうだね、訊太郎?」
学食にいる二人以外はとっくにモノ珍しげな顔で俺を凝視する中、親友達の自然な態度に内心嬉しい気持ちになってしまう。
「うん、まぁ……」
歯切れの悪い返事をしながら、俺は腰を落ち着ける。
「ったく。まぁ話は聞いてやるからよ」
「まずはお腹も減ったし、注文しに行こっか」
「おごり?」
「お前の落ち込んだ様子じゃあなぁ」
「はいはい、ボクと晃夜の割り勘でって……訊太郎、おごりって言った途端に目がキラキラしてるけど、さっきのは演技じゃないよね?」
「ち、ちがうから」
そんなに顔に出てたのか。
でも、やっぱりおごりって嬉しいし。
「あんまし、そんな物欲しそうな顔するなよな」
クイっと晃夜が眼鏡を整えた後、俺達はそれぞれの食券を買いに行った。
「きつねうどんか」
俺の注文した油揚げたっぷりのうどんを晃夜は眺め、『ほほう』と何故か感心している。240円でこのボリュームに具材の豊富さ、申し分ない。
それに今は、やけに汁の味がたっぷりと染み込んだ油揚げにかぶり付きたい気分なのだ。
「そういう晃夜は月見そばか」
「まぁな」
こちらは250円ときつねうどんより10円高い。
すっきり醤油ベースの汁、こしのあるツルっとした麺。わかめともやしが添えられていて、その中央には生卵が、夜空に浮かぶお月さまのように浮かんでいる。
「それで夕輝はカツカレー……」
この中では一番高価なメニューだ。絶妙なスパイスが効いたコクのある中辛のルー、それらに絡まるは、ほかほかサックリのカツ。お値段なんと340円。
「うん、あげないからね」
そんなこんなで、ガツガツと食べ始めていく。
俺は油揚げを頬張りつつも、茜ちゃんと何があったか説明していく。
第一目標であった、『茜ちゃんと以前と同じような友達という関係を築く』はクリアしたこと。しかしながら、ズボンが落ちて下着を晒してしまい、変態野郎として撃沈したのを吐露する。
「だから、スカートに戻ってた訳ね」
「おい、待て。山田はお前の、その、パンツを見たのか?」
「あぁ、それは重要な案件だねぇ……」
なぜか晃夜が鬼気迫る勢いで質問をしてきて、夕輝の笑みにはドス黒い陰りを帯びていた。
「いや、わからないけど。ちょっとは見たのかも? それより、茜ちゃんの前で醜態を晒したのが問題だよ……どうして俺はこんな情けない事に……」
「山田の野郎……ちょっとヤッておくか」
「元はと言えば、山田が蒔いた種だよね。山田がお兄さんに迷惑をかけてなければ、訊太郎もそんな被害を受ける事はなかっただろうし」
確かにそう言われれば、そうだけど。
二人ともちょっと穏便に済まそうね? ここはクラン・クランの中じゃないんだしさ、学校なんだしさ。もっと平和にな?
っと、そういえば大事な説明を言い忘れていた。
「スキルが発現したっぽいよ」
「は? ガチか?」
「クラン・クランの? 冗談だよね?」
俺は茜ちゃんや山田くんが言っていた『才能持ち』について語る。
「宮ノ内の奴……確かに『とぐろ巻く紫電蛇』って言ったのか?」
「そのアビリティは、ムチスキルLv5で習得するモノだね。相手への微弱なダメージと動きの阻害、稀に麻痺を付与するって内容だよ……」
俺の見たまんまだ。
「紫色にも光ってた……」
「おいおい……なんでクラン・クランを始めたばかりの宮ノ内が、スキルを現実に持ってるんだよ」
「全くの謎だよね……」
「うんうん……それにしても、この油揚げは美味しいな」
「おいおい、今はそんな悠長に油揚げの感想を言ってる場合じゃ……ない…?」
「訊太郎、ちょっと真剣に考えて……る?」
ん、親友達の語尾が不自然に途絶えたので、俺は『どうした?』と二人の顔を見る。見慣れたイケメン達は、口をアングリと開けていた。
「なぁ、お前ら。あんまり言いたくないけど、口の中の食べた物が丸見えで、ちょっと汚いよ」
しかし、二人は俺の親切な注意をスルーし続けた。
なぜか、俺の頭と腰のあたりを何度も何度も、視線を交互に見返すばかりだ。
「なんだよ……なんか俺の頭についてんのか? そばとカレーが冷めちゃうぞ?」
「こっちも、あんまり言いたくないんだけどね……」
ようやく夕輝が開けっ放しの口を閉じて、厳かに返答してきた。
次いで晃夜が大きな深呼吸をした後にこう言った。
「早い話……お前、耳と尻尾が生えてるぞ?」
「はぁ?」
お前ら、何をそんなバカな戯言を……何気なく、自分の頭を触った俺の右手は、確かにふさふさふわふわを感じ取った。
「これは……ガチなやつだ……?」
自分で自分の言ってる事がわからない。
「落ち着け、訊太郎」
「騒がない方がいい。とにかく、落ち着こう」
混乱しそうになるのを、どうにか二人がいた事で抑えられた俺だけど。
更なる困惑が、俺の脳裏に芽生えたのには衝撃だった。
◇
あいにくと大事にはならず、俺達はすぐに学校を後にした。
というのも、まず尻尾と耳は意思の力で出したりひっこめたりすることが可能だったからだ。
あれから親友たちと一緒にいそいそと俺宅で集まり、あーでもないこうでもないと議論をぶつけ合った。
結果、なぜ急に耳や尻尾が生え、茜ちゃんがスキルに目覚めたのか推測を立てる事ができた。
まず、俺に耳と尻尾が生えたと同時に、別の違和感とも言うべき問題も発生していたのが答えを導く上で非常に役に立った。その違和感とは、まるで本能のように、あたかも最初から俺に備わっていたかのように、意識の中に自然と把握することができたモノ。
錬金術ができる、と。
「なぁ、これ何だと思う?」
帰宅してすぐに俺は親友たちに告げた。
右手をかざし、『魔導錬金』と念じたのだ。
すると、ゲーム内と同じ現象が俺の掌で発生した。
そう、暗灰色の立方体が浮かび上がったのだ。
「叡智の集結……タイプ四角形」
その場にある素材となりうる物体は本能的にわかった。
俺は黙って水道の蛇口をひねって水を出した。普通なら垂直に落下するはずだ。だが、放出された水はステンレス台に触れず、重力を無視したカーブを描き、手の平にある立方体へと吸収されてゆく。
その光景に驚きを通り越して無表情になる仲間たちをよそに、俺は淡々と次の作業に取り掛かった。
冷蔵庫を開けてリンゴを左手で持つ。
どこにでもある普通のリンゴだ。
それを立方体の方へ寄せると……水と同じくスゥっと溶けてなくなるように吸い込まれていった。
物理学や化学では到底説明できない世界を目の当たりにしたせいか、親友たちの口が半開きになったのが目に入る。
だけど構わずに俺は作業を続けた。
だって、この作業を行ったのは今日が初めてではない。ちょっと異色ではあるが、これは錬金術の一つだ。他の傭兵が小バカにしていたスキルのアビリティだ。
俺が何度も当たり前のように見てきた『日常的な風景』。だから、俺はこの現象を冷静に見つめることができた。
ただし、ゲーム内での『日常』ではあるけど。
そこからゲームと同じく、立方体の一面が四カ所に割れ、透明色と黄色っぽいパネルへと変化した。おそらく水とリンゴの果肉部分の色が元だろう。
このパネルを脳内でルービックキューブの要領で回転させ、各面の色を合わせるパズル的な作業を行う。
「できた……」
そしてコップを取りだし、立方体の形状解除を念じると――
リンゴと水だったものを入れた箱がシャッターを押すように消失した。そして代わりに小さな花火のように舞う黄色い水の粒子が、煌めいた。
パシャッと黄色い液体がコップの中に落ちていく。
「これ、多分だけど、リンゴジュース……」
黙ってこの現象を見ていた親友たちに、おそるおそるリンゴジュースの入ったコップを向ける。
「お、おう……」
「えっと、うん……」
信じがたい現象に思考が停止しかけた友人たち。
俺も驚きだ。
「早い話……ありえないよな」
「こんな光景、絶対にね……ありえないはずだよ」
「だけど、これが日常になるのかもしれない……俺達の世界で、これが当たり前になってしまったのかもしれない……」
子供の頃に憧れていた魔法が現実にやってきた。しかし叶ったら叶ったで、それは恐怖以外の何物でもなかった。
なぜなら、ただのコップに怪しげな製造法で生み出されたリンゴジュースが平然と注がれるように、俺達の現実が未知なるものに浸食されていく実感が否応なしに湧いてきたからだ。
更にスキル『魔導錬金』と併用して発動する、『塵化』に関してもヤバいモノだった。
まだ、試してない素材はたくさんあれど、手で触れて『塵化』と念じたモノを字の如く、塵と化したのだ。姉が良く使うコップが黒い煙のように、塵となった現象を見て……ゲームの説明通り新しい素材へと分解する方法がいまいちわからない、扱い方が謎だと唸るよりも、強力すぎて危ないと感じた。
ただの『合成』などに関しても、錬金キットがあれば実現可能だと確信できた。
しかし、今は手元に合成釜はないし、そもそも現実世界にあんな不思議セットがどこにあるのやら。だから俺が使用できるのは、MPを消費して発動できる『魔導錬金』だけなわけなのだが……どうやら俺にはMPらしきモノが備わっているらしい。詳しい数値や量やらはわからないけれど、スキルを使うと体内の中の見えない力が抜ける様な感覚を味わう。さらに、尻尾や耳を出している状態だと非常に増大している事が把握できる。ゲーム内での装備、『銀狐の耳』と『狐巫女の一尾』はMPを増大させる効果も付いていた。仮にこの体内に感じる不思議な力をMPと仮定すると、それらが増えた点もクラン・クラン内の装備能力と同一だとわかる。
これらの事をまとめ、俺達が気付いた結論は……スキルが現実で覚醒する条件、というか原因となったのは『スキル祝福の油揚げ』としか言いようがなかった。
このアイテムの効果はスキルポイントを3つ、選んだスキルに振れるというモノだったはず。俺は錬金術スキルに注ぎ込み、恐らく茜ちゃんはムチスキルに……今、思い返せば使用した際のログが妙だった。『祝福によるスキル解放が行われました』と流れていた点から、現実でのスキル発動が解放されたのかもしれない……。
二尾の空狐、白焔もスライムたちに飢餓を植え付ける時、『進化の原理がどうの』とか言ってたし、これらの現象を匂わす種は既にあったのだ。
しかも、現時点で確認できている範囲内で、茜ちゃんと俺がスキルに目覚めている。という事は、『スキル祝福の油揚げ』をゲーム内で使用した者が、現実でのスキルを発動できる線が濃厚だ。その覚醒条件は……茜ちゃんは『朝食はきつねうどんだった』と言っていた事を加味し、俺もきつねうどんを食べた事実が雄弁に物語っていた。
ゲーム内で『スキル祝福の油揚げ』を使用し、なおかつ油揚げを現実で食べると、スキル能力が得られる。
「アホか」
思わず突っ込んでしまう。
しかし、俺の声はむなしく室内をこだますだけで、手に入った力と現実は何の変わりもしない。
「ミナも『スキル祝福の油揚げ』を手に入れて、使用してた……何のスキルに使ったかは聞いてないけど……」
「今後、誰かが『スキル祝福の油揚げ』を入手するのを防がないといけないよね?」
夕輝の言う通りだろう。
それこそ、あの雲上にある『天守楼』へ訪れた傭兵たちに、俺とミナで銀狐と金狐に変装、化けてでも奇襲をしかけないとマズイ事態になりそうだ。万が一にでも空狐の白焔に認められるか、彼女が討伐されたら報酬として『スキル祝福の油揚げ』がドロップしてしまうのだ。
「装備も具現化する可能性があるって事か……」
晃夜がさっと俺の耳をもふもふしながら、難しい顔で呟いた。
「くっ、くすぐったいから、やめれ!」