147話 才能持ち
「えっと……こんにちは、宮ノ内さん」
夢にまで見た、彼女との対面。
俺達は約束の渡廊下で向かい合い、そして茜ちゃんへと挨拶を送る。
「う、うん……こんにちは、訊太郎くん……」
夏休み前と寸分違わず、いや、前よりも一際可愛くなった茜ちゃんが気まずそうに俯きながら、ポソッと返事をしてくれる。
そんな彼女の少しだけ伸びた、サラサラと揺れる毛先を眺め、俺の心も揺れ動いてしまう。
この重苦しい空気は覚悟していたはずなのに、これを打破するべく気合いを入れてきたはずなのに……好きな人とこんなギクシャクしてしまう関係になってしまった事がとても悲しい。
用意していた言葉を吐こうにも、ネガティブな気持ちが舌を先周りして阻害してくる。
「その……」
「あのね……」
何かを言いかけようとして出てきた言葉は、互いに同じタイミングで重なり合い、その先に続く台詞は互いを遠慮して萎んでしまった。
しかし俺は先程、恥を忍んで女子トイレへと入ったのだ。幸いにも誰もいなかったので、さっさと男子生徒用の制服という鎧を着込む事に成功した。髪の毛も後ろに纏めて縛ってある。少し緩めだと感じたズボンも、ベルトのおかげでキッチリと締めてある。
準備万全でこの場に臨んだのだから、ここは男を見せるべきだと、彼女をリードするべく痺れた舌を懸命に動かす。
「び、ビックリしたよね」
「う、うん……」
俺の問いに彼女は顔を真っ赤に染め上げ、名前の通り頬には茜色がさしていた。気温が熱い事もさながら、彼女をここまで辱める要因は一つしかない。
ウン告白をされた相手に、自分の好きな人について語ってしまっていた事だろう。以前にここで、俺のウン告白についてどう思ってるのかシスター姿で聞いた時、茜ちゃんは無様な醜態をさらした俺を擁護するような発言をしてくれた。つまり、俺があの時にちゃんと性転化した仏訊太郎だと、カミングアウトできていれば、もっと勇気があれば、彼女にこんな気まずい思いをさせる事もなかったのだ。
「前にここで会った時、性転化の事を話さなくてごめんね……」
自分の正体を隠し、自分の行いをどう思ってるか探る。
みみっちい男の所業を敢行してしまった事実は消えない。でも、やっぱり茜ちゃんとの繋がりは断ちたくない。ならば、誠心誠意、正面から謝るしかない。
それが俺の出した答えだった。
「本当に、ごめんなさい!」
頭を下げ、詫びる。
「ううん。そんな、タロちゃん……じゃなくて、訊太郎くんだっていっぱい悩んだんでしょ、私は大丈夫だから」
彼女は柔らかな声で、気にしてないから頭を上げて、と言ってくれる。
だから俺は茜ちゃんの返事に従い、彼女へと目を向ける。
「こっちこそ、ゲームで……訊太郎くんだって知らずに……あの、頭をなでたり、その、色々としちゃって、ごめんね……」
もじもじと視線を俺から外し、口元を隠すように右手を添えた彼女を見て思う。
こんなに優しくて、可愛い茜ちゃんを、今更この人への気持ちを諦めるなんてできない。募る想いが、彼女への抑えきれない感情が爆発しそうになる。
でも、この気持ちを伝えるのは今じゃない……。
彼女には好きな人がいるから。
ならば、俺にできる最初の一歩は。
「こんな事になっちゃったけど……また、友達でいてくれる?」
「も、もちろん! 私だってゲームで、もっとたくさん訊太郎くんと遊んだりしたいし!」
パッと花開いた笑顔。
その笑みに惹かれて、俺も笑う。
よかった。
以前のように普通に喋れる雰囲気に戻せて。
彼女に好きな人がいるのは本当に苦しいけど、俺の恋はまだ終わったわけじゃないんだ。
「あ、でもどうしよう……ミナヅキちゃんになんて言えば……タロちゃんが訊太郎くんだって事は、被っちゃってる……」
「ん? ミナが何?」
「えっ! 何でもないよ! こっちのお話だから!」
さっきよりも異様に顔を赤くして、両手をこちらへと突き出し、懸命に振る姿はやっぱり可愛らしかった。
◇
「じゃあ、この後は学食に行くの?」
「うん。晃夜たちが待ってるんだ」
「あー私も何だか、『きつねうどん』とか食べたくなってきたなぁ」
「んん、そう言われると何だか俺も。あれって安いしお手頃だよね」
油揚げを連想すると妙に食欲が湧いた。
登校日は午前で終わるため、部活動に勤しむ生徒じゃなければ、午後には帰れる。つまるところ、今は昼過ぎであり、ちょうどお昼ご飯時でもある。
「でも私の今日の朝食も、きつねうどんだったからなぁー」
おっと、貴重な茜ちゃんの食事事情を聞けたので幸福感アップ。
「よし、決めた。今日の学食はきつねうどんにしよう」
学食でも、どうせなら同じモノが食べたい。
「何ソレ、訊太郎くん。私の真似ですね?」
「真似っこです」
なんて二人で笑い合う。
この空気、この状況、これはさっそくチャンスなのでは!?
落ち着け、俺。茜ちゃんの好きな人を出し抜くチャンスなんだ。
そう、さりげなく、さりげなくだ。
学食でお昼ご飯を一緒にどうかな、と誘うべきだ。
晃夜も夕輝もいるし、二人きりとかじゃないわけで、彼女も警戒はしないだろう。
それに、そうだ。俺には最強の共通の話題がある。クラン・クラン、同じゲームをしている強みを活かすべきなんだ。例え話題がなくなったとしても、ゲームに関する事をそれとなく語っていれば間が持つし!
そうと決まれば、俺がチョイスした誘い文句はこれだ。
ゲームの話とかしながら、学食を一緒に食べない?
「あの、宮ノ内さん。ゲームの話とか「よくも俺の宝をぉぉお! 『爆裂美少女・可憐ライダーももこ』の夢幻レアカードをおおおお!」
俺の一世一代の勝負文句は、唐突に発せられた大音声によって遮られた。
せっかくのチャンスを潰してくれた元凶は、クラスメイトでもあり水泳部員の山田くん……ではなかった。
彼を鬼の形相で追いかける、上級生色の上履きを履いた、名も知らない男子生徒だ。
「兄貴、わざとじゃないんだって! ほんとに悪かった! ポケットに入れて、気付いたら曲がってたんだ!」
必死に逃げながらも何かを弁明している山田くん。
そして追いかけっこをする兄弟は、どんどんこちらへと近づいてくる。
二人とも、けっこう足が速い。
「ふざけるなあああああ! 俺のももこを! 完膚無きまでに二つ折りにしやがってえええええ!」
察するに、山田くんがお兄さんの大事なカードを折った? だから兄弟喧嘩が勃発してしまった感じか。
「あのカードがどれだけ価値の高いモノなのか、わかってるのか!? お前がどうしてもって言うから貸してやったのに!」
「兄貴ぃ! たかがカードでそんなに怒らないでくれよ! 弁償するからさ!」
おっと。
山田くんがこちらに気付いたようだ。
「おぉ、仏! それに宮ノ内さんも!」
おい、待て。
なぜそこで俺達に希望を見出したかのように、両目を輝かせる。
「二人からもオタク兄貴に何とか言ってやってくれよ」
山田くんは急に俺の肩を掴むと背後に回り、俺を壁にするように隠れた。
「許さん! 許さんぞおオオ! たとえお前が美少女を盾にしたとしてもおおお! この俺の怒りはおさま――――ファッ!? 神幼女・アリステアの実物が!?」
山田くんのお兄さんは怒り心頭だったけど、俺を視認するや否や、妙な奇声を上げて立ち止まろうとした。
「おわっ! まずいっ」
その無理なスピード抑止が彼の足をもつれさせ、走り込んだ勢いを殺せずに、転ぶどころかコチラへとダイブをかます結果になってしまった。
咄嗟の事で俺は反応できず、飛び込んでくる大きな身体を避ける術はなかった。
このままでは激突する。
そう危険を感じ、身を固くして反射的に目を瞑りそうになる。
「訊太郎くん、ちょっとごめん!」
横から頼もしい声。
そして俺の肩を抱く、力強い感触。
それは茜ちゃんが俺を庇うために取った行動だった。
さらに彼女は神速で、俺の腰についたベルトをシュルっと抜き放った。
腰に巻きついているのに、非常に手際良く、まるで生きた蛇を使役するかのように、革製のベルトはしなりを上げて茜ちゃんの右手に収まる。
「『とぐろ巻く紫電蛇』!」
茜ちゃんはそう叫び、ムチを扱うように山田くんのお兄さんへとベルトを打ち付けた。今や俺より遥かにガタイの大きな、山田くんのお兄さんがぶつかる寸前、茜ちゃんの振るったベルトが彼の右手に巻き付く。
俺の見間違いじゃなければ、そのベルトが紫色に一瞬光ったように見えた。
「えいっ!」
彼の身体全体は電流が走ったかのようにビクンっと跳ね、茜ちゃんが右へとベルトを引っ張る仕草をすると、ダイブの進行方向が引きずられるように右へとズレていった。
あわやと言ったところで、激突は避けられた。
しかし、山田君のお兄さんは渡廊下に転がるとしばらく置き上がってこないではないか。
「これは痺れちゃってるね」
あちゃーと茜ちゃんがそんな事を言い出す。
驚き顔で俺が彼女を見つめていると、照れくさそうに笑った。
「隠してたんだけど……実は私、『ムチ』の『才能持ち』でね」
「は?」
一体、何を言ってるんだ?
「うわー、宮ノ内さん『才能持ち』だったのか! すごいな!」
起き上がらないお兄さんの様子を見ながらも、事態をさも当然の如くしたり顔で受け止めている山田くん。
この不思議な現象に、ついていけてないのは俺だけだった。
「クラン・クランで言う所のスキルってやつみたいなものかな? クラン・クランって、ほんとに現実の再現に忠実な所があるよねっ」
「え……」
確かに、ゲーム内で茜ちゃんが持っていたスキルの中に『ムチ』はあった。
だけど彼女の口ぶりから、ゲームのスキルが、現実に元々あったものを参考にされて設計された、という認識になっている?
……そういえば、茜ちゃんはリアルモジュールじゃない。
ならば、この、スキルが現実に顕現したという事実を不思議だと気付けないわけで……。
ついに、スキルが現実に浸食し始めた?
でも、何がきっかけで? なぜクラン・クランをプレイしたばかりの茜ちゃんが? 彼女とはゲーム内で、ほぼ一緒に活動していたはずだ。何を見落としていた?
これなら誰が力を得てもおかしくない……この深刻な事態に、助けてもらったお礼を言うのも忘れて、自然と顔を歪めてしまう。
しかし、それよりも更なる問題が起きていたのに俺は気付いていなかった。
「そ、それより訊太郎くん。ごめん!」
「ん?」
なぜか申し訳なさそうに、茜ちゃんは俺へと謝ってくる。
「あの、ズボンが、ね? 山田くんは見ない!」
「はえ?」
「その、激しく抜き取っちゃったから……」
茜ちゃんの指摘に応じ、自分の下半身へと目を向ければ……俺のズボンは、ずり下がっていた。全てではない。しかし、下着の半分は見えている状況で太ももとかもチラリと……。
茜ちゃんの前でズボンが下がり、あまつさえ自分の下着を露出するなんて……変態的としが言いようのない醜態を晒していた……。しかもだ、男としてコチラが身を呈して守るべき対象に、逆に庇われた結果がコレだ。
「うぅ……」
なぜ俺は好きな子と大事な話をする時に、こうも災難ばかりに見舞われるのだろうか……羞恥心と情けなさのあまり、俺は一目散に駆け出してしまう。
スキルに関する驚きと、嘆きの入り混じった勢いで、晃夜たちがいる学食へと助けを求めに。
「山田くん? わかってると思うけど、あとで仏くんに謝るんだよ?」
氷のように冷たい声で山田くんを注意する茜ちゃんを置き去りにして、俺はズリ下がりそうなズボンを必死に抑えながら、脱兎の如く女子トイレへと駆け込んだ。