146話 女神部の創設
「仏。おまえ……改めて見ると、すごいものがあるね」
「あはは、ストレートですね先生」
担任のユキっちこと、雪路冬子は遠慮なく俺を眺めて、一枚のプリントを手渡してくれる。
「まぁね。私は隠すのが苦手なタイプだし。で、ぎりぎりになって申し訳ないんだけど、これが仏のサインが必要な書類」
ジャージ姿でぽりぽりと頭をかきながら、早口で説明をしてくれる。
もうすぐ三十代に差しかかる保健体育担当のユキっちは、しぐさ自体は女っ気がない、なんて言われてるけど、素材自体は決して悪くなく美人な部類だ。
「お前らーほらこっち見てる暇があったら、廊下に並べ~! しっしっ!」
俺はユキっちに渡されたプリントを読み、事前に聞いていた内容と同じか確認し、自分の名前をサインする。
「よし、これで仏の同意は取れたわけだ。ジェンダーレス公表、性転化措置法に基づく処理は大方これで最後になるな」
「はい」
「あぁ、仏。制服なんだが、別に男用で構わないんだぞ?」
「それはこの後か、次の登校時に着替える予定です」
「あぁ、なるほどな。じゃ、男子の列に並んでおけよ」
ユキっちは今まで通り、男子の出席番号順の列へ並べと言ってくれた。
適当に見えて、俺の気持ちを察して汲んでくれてるあたり、さすが生徒間で評判がいい先生である。
ありがと、ユキっち。
そんな思いを込めて、『はいっ』と返事をして、笑顔を向ける。
彼女の気遣いに、自然と顔が綻んでしまった。
「うーん……ちょっと、仏は可愛すぎないか? やっぱり男子の列には入れない方が……」
なぜか難しい顔をして、早口で思案するようにブツブツと何か言いだしている。
「先生? 俺も並んで大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……」
ユキっちにしては妙に歯切れの悪い返事を受け取って、俺はざわつく男子の列へと入っていった。
茜ちゃんの方をチラリと見れば、女子の列へと身を隠すように、顔を真っ赤に染めながら自分の足元をじっと眺めていた。
一目で様子がおかしいのはわかる。
だけど、俺は敢えて声をかける事はしなかった。
ゲーム内で仲良くしていたタロが、実は俺であること。
夏休み前にウン告白をかました相手でもあり、しかも性転化していた。
お互い知らなかった状況とはいえ、そんな相手に自分の好きな人の話をしてしまった等、彼女にとって気持ちを整理するべき事案はてんこ盛りだろう。
俺だって落ち着くのに、二日間を労したんだ。
茜ちゃんにも、すこし時間が必要なはずだ……。
◇
「であるから――我が校の生徒としての自覚を持ち、夏季休暇中は決して非行に走ることなく――健やかな――」
みんなが大きくて、前が見えない……。
出席番号順に並び、前の葉桜くんの背中を眺めながらそんな事を思う。
ま、朝礼自体は退屈なモノだし特に問題はないけど。
体育館の壇上で校長先生がいつもの如く、少し長めの演説をしている。
「我が校は、来期から『虹色の女神』教会と提携する事になりました」
おっと、この辺はちゃんと聞いてないとだな。
「みなさんは『虹色の女神』教会については多少なりとも耳にした事があると思います。有名な宗派ですからね。さて、特に提携するからと言って、何か教理に関する事項を生徒のみなさんに義務付ける事は一切ありません」
今まで普通高だったわけだし、急に朝の礼拝を義務付けるなんてしたらソレは反感を招くだろうしな。
「ただ、生徒のみなさんの学園生活を、より良いモノにすべく。校内に礼拝堂を設置する準備を進めてあります。もちろん、信徒関係なく出入りは基本的に自由となっています」
まぁ、『虹色の女神』教会は来る者拒まずってのが方針だしな。
「そして、みなさんへのご報告はもう一つ」
一拍の間を開け、校長先生は語りだす。
いよいよ、か。
「本校には教会との提携に伴い、『虹色の女神』教会から特待生を招き入れる事になりました。みなさん、快く歓迎いたしましょう」
うん、やっぱり俺の事だな。
「特待生である彼は、元々は本校の生徒でありました。しかし、性転化病という奇病を患ってしまい、現状では本校への在籍は難しいと、一度は判断されました」
今まで校長先生の話を全く興味なさげに聞き流していた生徒達だったけど、『性転化病』というワードが出て少しだけざわめき始めた。
「しかし『虹色の女神』教会の慈悲深い恩恵と、その教理に心を打たれ、心身ともに『虹色の女神』教会の一員に加わった彼は、交換留学生兼特待生として、変わらず本校での通学を続ける事になりました」
ちなみにこの件は、昨日のうちに校長先生と電話で話し合って了承済みだ。
病気の事も学校側から公表してくれれば、全校生徒への信憑性も高まるだろうし、少女が高校に存在する違和感を打ち消すために『そういうモノ』だと納得してくれるのに役立つはず。奇異の視線も少しは和らぐだろうと。
先程、担任のユキッちから渡されたプリント内容は、性転化に関する公表への同意をサインする物だ。
「つきましては、本校に新たなる部を設立します。生徒の悩みを聞き、相談に乗る等など、ささやかな奉仕活動を目的とした部です」
その名は……『女神部』。
礼拝堂にて週一で悩み相談をする部活動。
その部長になり、率先して生徒間の悩みを聞くのがシスター・レアンが俺に定めた義務だった。
「そのための礼拝堂でもあります」
こんなので、この高校に変わらず通学できるならお安い御用だ。
仮にも『虹色の女神』教会に末席を連ねる身でもある俺に、多少は布教活動じみた事をして欲しいという思惑が見え隠れしているけども、宗教ってだいたいがそんな感じだろうし。
更にこの部活動に免じて、教会まで足を運び告解を聞く活動はなしになった。
ただし、月に1回ぐらいは顔を出して欲しいとシスター・レアンには言われている。気が向いたら行こうと思っている。
「以上。本校の生徒として、健全で有意義な夏季休暇を満喫してください」
校長先生の話が終わっても、しばらくは体育館内はざわめきに満ちていた。
「『虹色の女神』教会ねー」
「特に俺らに何しろって訳でもないし、負担がないなら興味なしって感じ」
「それより、特待生だろ」
「性転化病ってマジであるんだな」
「何年の何組かなぁ?」
「教会の子らしいし、新設された部に所属してるんじゃね? 礼拝堂に行けばどんな生徒か見れるっしょ」
「それだ」
「ま、どっちみち俺達にはあまり関係ない話だったなー」
と、こんな感じで声だけが聞こえる。
そう、囁きだけだ。
なぜならば、俺の視界がシャットアウトされていたからだ。
というのも、不思議な事にクラスの男子生徒たちの背中に囲まれているのだ。
なにやら俺を周りの目から隠すような布陣で……。
メンバーには晃夜や夕輝もいる。
「えっと……教室に戻るんだよね……みんな、何してるんだ?」
俺はクラスの男子生徒何人かへ、遠慮がちに声をかける。
すると出席番号順で俺より一個前の葉桜くんが、背中を向けたまま顔を横に向けて答えてくれた。
「いや……ほら、仏は色々大変だったんだろ……」
「目立つのとか気疲れするかなって」
水泳部の山田くんも、俺の疑問に返事をしてくれた。
「だから、訊太郎を目立たないように、さりげなく隠そうぜって話だ」
「あははー、みんなも賛成だよね?」
晃夜と夕輝が手を回してくれたのか。
「「「「おう!」」」」
二人の問いに、妙に気迫のこもったクラスメイト達の返事。
というか、こっちの方が目立つんじゃないか?
そもそも邪魔で歩けない。
それに、クラスの男子達がやけに優しいのは気のせいだろうか……。
◇
全校朝礼の後、ちょっとした騒ぎがあったものの、予想以上に事態はスムーズに進行した。
提出する課題も出し、無事にクラスのホームルームが終わる。
俺はダッシュで晃夜と夕輝の方へ向かう。
「ねぇ、アホだよね?」
クラスの男子生徒たちに、仏を守ろうと発言し扇動したのは親友たちの働きによるものだ。
「早い話、バカだな」
「バカだね」
じゃあ、なんでそんなバカな事を言い出したと問い正せば――。
「早い話、お前は高校生との体格差がけっこうある」
「何かあったら嫌だし、だったら初めからクラス全員でそれとなく訊太郎を守る態勢、雰囲気、流れに持って行った方が安全かなって思ってね」
……過保護だ。
「過保護だな」
「おう」
「まあね」
俺が非難がましい目を向けても二人はどこ吹く風だ。
そんな態度を見て、親友達にとってはこれは譲れない一線なのだと察し、一応は大人しく引き下がる事にする。
「ま、ありがとな」
俺を心配しての行動だし、お礼も伝えておく。
「だけど、ここからは一人で大丈夫だから。過保護もここまでだぞ」
「おう……大丈夫か?」
「うん、無理してない?」
ホームルーム中に机の下でスマホを駆使し、既に茜ちゃんとは連絡済み。
この後、例の渡廊下で少し話をする事になっている。
ちらっと教室内を見渡せば、もう茜ちゃんは見当たらない。
と言う事は、約束の場所に向かってくれているはず。
「大丈夫。一人でいける」
「おう」
「がんばってね」
ここまで来るのにたくさんの人達に、背中を押されてきたんだ。
ならば逃げずに、好きな人としっかり向き合いたい。
また、友達からやり直せるはずだ。
他の誰でもない、茜ちゃんとの問題は俺自身が解決しないと。
そう意気込みはするものの、恐怖は拭えない。
彼女が今、何をどう感じ、思っているのか。
「ダメだったときは、その……」
慰めてくれ……と、続く言葉は出なかった。
ちょっと声が湿っぽくなっちゃって、不安で目から汗が出そうになってしまう。やっぱり、怖い。とても、とても、ノートを落とした茜ちゃんの表情が、ウン告白の時に驚き倒れた茜ちゃんの顔と被り、脳裏でフラッシュバックしていく。
「俺らは、学食で待ってるからよ」
「ミッション終わったら、オゴってあげるから」
言外に慰めてやる、と仄めかしてくれる親友二人。
ぽんっと頭を叩かれ、『おら、さっさと行って来いよ』と乱暴に後押しをしてくれる晃夜。心からの笑顔で深く頷き、俺を安心させてくれる夕輝。
ぐぅ、なんていい奴らなんだ。
「ありがと、な……」
親友たちの声援を受け、俺は彼女が待つであろう渡廊下へと向かう。
その行きがてらに、制服の着替えも済まさないといけない。
一つ、問題があったとすれば……男子用に着替える場所だ。
茜ちゃんを前に、真剣な話をするのにスカート姿なんて締まらない。
人目がない所と言ったらトイレの個室が無難なのだろうけど、俺は……男子用と女子用のどちらへ入るのがベストなんだ?
気持ち的に男子の方へ入りたい。
しかし、ソレはソレで問題がありそうで……見た目女子の俺が、男子トイレは倫理的にダメな気がする。かと言って、女子用のトイレに入るのも恥ずかしいし……。
「くっ……」
またも、またしても……。
前回の告白時同様に、トイレへと行くか否かで迷う俺であった。