144話 姫君の降臨~山田くんの場合~
モブキャラ、クラスメイトの山田涼くん視点です。
夏休みの登校日、俺はこの日が後の『姫君の降臨日』なんて騒がれる事なんて露知らず、ただいつも通りに教室で喋り合っていた。
「山田さぁ、仏のやつ、学校くると思うか?」
同じ水泳部に所属しているイツメンと適当に集まり、適当に喋ってると、そんな話題が上がった。
「渡り廊下で漏らしたんだっけ?」
佐川に聞き返すと、うげーっとした顔で何度か頷いてくる。
「そうそう」
仏訊太郎について、特に他意はない。
可も不可もないといった印象で、仲良くもなければ険悪な関係でもない。
しいて言うならただのクラスメイトであり、よく仏がつるんでいるクラスの2大イケメン、朝比奈夕輝や日暮晃夜たちの方に目が行きがちだ。
「ガチでやばいよな」
佐川はそう言うけど、自分の身に起きたらと思うと辛すぎる。
確か、同じく水泳部員の有事の伝手で俺らに頼み込んできたっけ。件のお漏らし事件の時は、ウチのシャワー室を貸してやったな。
「俺だったら不登校になるレベルだわ」
「それな」
「あんな目にあったら死ねる」
「てか、登校日とかだりぃー」
「ほんと、それな」
そこで俺は嫌な事を思い出してしまった。
「俺、今日提出の課題やってない……」
実は今日提出するはずの美術の課題作品と数学のワークが仕上がっていない。
なんとなく、めんどくさくてやっていなかったのだ。数学のワークは途中までやったものの、半分ぐらい残ってた気がする。
「おい、それはやばくないか。ピカソの奴とサイコ先生、キレるぞ」
「だよな……」
すぐ怒るで有名なクレイジー教諭、加相先生と斉藤先生に絞られると思うと憂鬱になった。
「ん、条件によっては、小官の数学のワークを見せてもいいでありますよ?」
と、今まで何やらスマホ画面を凝視していた有事が思わぬ助け舟を出してくれる。
「お、助かる。有事、見せてもらっていい?」
「いいであります。ただし、小官はそれなりの見返りを求めるであります」
「わかってるって」
水泳部内ではちょっと異色なこいつだが、こうやって宿題を見せてくれたりと気のいい奴だ。俺の兄貴の変な趣味と、有事の趣味が被ってるのがきっかけでよく喋るようになったんだが、こういう時はマジで助かる。
「全校朝礼が終わったら、兄貴のクラスに行って借りて来るからよ。えっと、なんだっけ……爆殺少女・火炎ライダーももこだっけ?」
兄貴は美少女戦隊モノのアニメをこよなく愛していて、それらのキャラクターカードやら何やらを常にファイリングし、肌身離さず持ってる。いわゆるオタクというやつだ。
「違うでありますよ。爆裂美少女・可憐ライダーももこの獄炎使徒コスチュームのプロモーションカードであります」
「一目、見せるだけでいいんだよな」
「もちろんであります。あの伝説の超級レアリティカードを、一目拝めるだけでも感服の極みであります」
交渉成立。
「しかしよー山田、美術の課題はどうにもならなくね。絵だし」
「それな」
「はぁ憂鬱だわ……空から美少女でも降ってこねえかな」
「なに言ってんだよ山田。お前がやってこないのが悪い」
「だなー」
なんて諦めの境地で、有事から手渡された数学のワークの写しを始める。
途中までやってたから、数学だけは提出時間までに間に合いそうだ。
「お、おい……び、美少女、降ってこなかったけど、あ、あ、あれ見ろよ……」
「あ?」
佐川が妙にどもりながら俺の肩を叩く。そしてある一点を指差している。
その人差し指の先へ、目を向けると――
この世の物とは思えない程に可憐な少女が、教室に入って来るところだった。
金剛石のように透き通った白銀の長い髪が、滝のようにさらりと流れる。そんな幻想的な髪でさえ、彼女の引き立て役に過ぎない。絹のように揺らめく銀糸は、あらゆる光を踊るように弾かせ、少女の美貌を一層際立たせている。
目は一切の曇りもない、澄み切った蒼天の色。
突き抜けるように透明な色合いをその身に宿す少女の目は大きく、鼻筋は高い。誰がどう見ても、絶世の美少女としか形容する他ない。
ちょっとでも触れたら、その輝きを穢してしまいそうな程に眩しい。
小さな身体はまるで脆い銀細工のように、存在そのものが儚く消えてしまいそうな、そんな事を連想させる美少女だった。
一瞬にしてクラスにいた連中の注目を集め、時を止めてしまった彼女は、俺達の浴びせた視線を感じたのだろう。
雪のように白い指先がふと震え、不可侵にして誰もが触れる事を許されないはずの彼女の手が、誰かの服へと伸ばされ、キュッと掴んだ。
そこで俺は初めてその少女が誰かを伴って来たのだと気付いた。今の今まで、彼女に見惚れていたため、全くもって意識外にいたそいつは……彼女が頼るように握ったのは、朝比奈のワイシャツだった。
そして、更にもう一人が彼女をサッと隠すように前に出る。
どうして自分が、こんなに図体のでかい奴を見落とせていたのか驚かざるを得ない。日暮と朝比奈が彼女を守護するかのように、教室へと入って来ていたのだ。
そんなあからさまに守られている、彼女を目にした誰もが思っただろう。
まるで、おとぎの国から抜け出てきた姫様のようだ、と。
そして、そんな少女がうちの学校の制服に身を包み、今、確かに目の前を歩いている。
異世界にでも迷い込んでしまったのか?
それともアッチが現代日本に転移してきちゃったのか?
柄にもなく、俺はそんな感想を抱いてしまった。
「転校生、なのか……?」
「なんだ、あの子……天使かよ」
「ん、でもさ……ちょっと幼すぎないか?」
ようやく彼女という呪縛から解き放たれ、我に返ったであろうクラスメイト達がぽつぽつと囁き出す。
「でも、うちの制服着てるし……」
「というか、うちの制服ってあーいう子が着るとあんなに輝くんだな……」
「ロリコンかよ」
「いや、あのレベルはもはやそんなの関係ない。俺は行くぞ」
「ちょっと待てって」
「恋愛に歳の差なんて関係ないんだ」
「落ち付けって。あの二人が既にマークしてるんだぞ、お前が太刀打ちできる相手かよ」
クラスのみんなが静観する中、その少女はスタスタと歩き、席についた。
あたかもその席が自分のモノであるかのように。
おいおい……他人の席をいきなり何食わぬ顔で占領ですか。
俺もあの椅子になりたかった、じゃない。
さすが見た目もお姫様なら中身もお姫さ、ま……って、あの席って確か…………。
仏訊太郎の席じゃなかったか?
アレっと首を捻る。
すると、姫君と目が合ってしまった。
瞬間、何かに吸い込まれそうになる。そのどこまでも突き抜けて蒼い瞳に見つめられ、一種の恐怖すら覚えた。綺麗すぎて、こっちまでピィンと背筋が自然と伸びてしまう。
やばいな、あの目は破壊力があり過ぎるぞ。
と、動揺しているのも束の間で、なんと銀の姫君が椅子から立ち上がり、こちらへと向かって歩いてくるではないか!
「おい、なんかこっちに……」
「ま、まじか、誰か知り合いなのか?」
「いや、知らないっていうか……あの子って有事、お前がベランダで騒いでた子じゃないか!?」
「あれ、有事はどこいった!?」
有事は少女の横へと神速移動していたようだ。
片膝を突き、臣下のような振舞いで『閣下、ご登校御苦労さまであります』とか訳知り顔で侍っている。それに対して、銀の姫君は『はいはい』と、返答自体はそっけないものの、声音には親しみ具合が滲み出ていた。
有事のようなオタクにも気兼ねなく接する姫君が、この世に存在するとは……驚愕が止まる事を知らない。
しかも、彼女の歩みは止まることなく、俺達の方へと未だに進行している。
「え、なになに水泳部のやつら、あの子と友達なわけ?」
「くそ羨ましいぞ……」
男子達の怨嗟の声が耳に入って来るが、こちらはそんな事を気にしている余裕はない。
緊張と困惑と混乱、そして何より歓喜と優越感が怒涛の如く俺の心中を荒らし、もう何が何だかわからなくなってしまった。