143話 登校日の朝
朝。
この時期で唯一、少しだけ涼しいと感じられる時間。
寝起きであったけど、妙に身体が軽く感じられた俺はベッドからサッと起き上がる。
きっと緊張と興奮、不安で意識が冴えているのだろうか。
カーテンを勢いよく開け、外で活発に鳴き続ける蝉の音にしばらく耳を澄ます。
「みんみん、みん、ね……」
地中から出て一週間しか生きられない蝉たちは、この瞬間を精一杯謳歌しようとするかのように、元気いっぱいだ。
そんな彼らの生き方に励まされ、自然と俺も頑張らなければと力が湧いてくる。
今日は登校日。
俺はいつもより早く目を覚ました。
◇
「行ってくるね、姉」
「本当に大丈夫? 私がついてくわよ」
「いや、いいって。姉が来ちゃうと余計に目立つだろうし。それに晃夜と夕輝が一緒に登校してくれるから」
「そう……」
少しだけ心配そうな姉に、俺は大丈夫だと笑顔で答える。
「じゃあ」
玄関のドアに手をかけ、出発しようとする。
「太郎」
後ろから、姉の俺を呼びとめる声。
「ん?」
振り返り見ると、姉はふわりと薔薇のような笑顔を咲かせていた。
「いってらっしゃい。私の大事な弟」
美しく、高貴で、棘のある、しかし情熱的な愛を伝えてくれた姉に、俺は笑い返す。
「行ってきます」
堂々とした姉の姿を目に焼き付ける。
おかげで俺は胸を張って家を出れた。
◇
「おはよ、待たせた?」
お泊まり会から一日が経った今日。
親友達はいつもと変わない様子で、俺のマンション前まで迎えに来てくれていた。
晃夜はゆるりと壁に身体を預け、日陰に退避していた。
眼鏡の奥で光る鋭利な目が俺の方へと向く。他人には、どこか冷たさを帯びた印象を与えやすいけど、俺だとわかれば、薄日が差したかのような微笑を見せてくれる。
「おう、俺は今来たところだ」
長身痩躯なあいつがそうすると、男の俺でも様になっているなと自然に思ってしまった。
「おはよー、大丈夫だよ。やっぱり今日も暑いね」
夕輝はスマホをいじっていたけど、俺が来たと知るとすぐにポケットへと仕舞った。そして、やぁと片手を上げて迎えてくれる。気さくな仕草で、サラッと清流の如く涼やかな笑みをこぼす。
相変わらずの好青年っぷりに、同じ人種だと思えなくなる事もしばしばだ。
というか、何だろう。
陽光に照らされた二人が、いつもより輝いて見える。
心なしか、二人のイケメン指数が上がっているように思えた。
こう、眼鏡の磨き具合やら、髪の毛とかの艶やら。
「なんかお前らさ、気合い入ってる?」
「まぁ俺達が威圧的なら、訊太郎へのちょっかいも減るだろうしな」
「ボクたちがしっかりしてれば、訊太郎に変な虫がつかないし? だよね、晃夜?」
「別にだな……」
「あははっ、訊太郎のナイト気取りな鬼畜メガネも悪くないと思うよ?」
「それを言うなら夕輝こそ万年ナイト様を気取ってるだろ? 傭兵団に騎士の騎なんて入れるぐらいだからな」
「あれ? ボクにそんな事を言っていいのかな? 訊太郎が来る前に、変な男子が寄ってきたらぶっ飛ばすとか、物騒で過保護すぎる発言をしてたのは誰かな~」
「なっ、夕輝! それは言うなよ!」
「あははー」
二人は本当にいつも通りのペースで絡み合っている。
緊張している俺の気持ちを、和らげようとしてくれているのかもしれない。
この後は必ず……学校のみんなの反応や、茜ちゃんとの対話が控えている。
彼女からの返事で、今日話せる事になってはいる。
ゲームで実は既に面識があったとか、性転換の事とか……ウン告白には触れないでいくつもりだ。こんな姿になった手前、最初から多くを望んでは絶対に上手くいかない。相手は好きな人がいるわけだし、まずは友達に戻れるよう……気まずいままで終わってしまった、終業式の出来事をなかった事にしたい。
「結局、そっちにしたんだね」
三人で歩き出すと、夕輝が俺の着ている服を指摘してくる。
男子生徒用か、女子生徒用の制服を着るのか、最後まで迷った。
当初はもちろん男子用一択だった俺だけど、姉の助言が入り、結果的に変更した。
『太郎の見た目で、男子生徒用の制服なんか着ていたら余計に目立つし不自然だわ。その奇異の視線に、耐えられるの?』と、問われ今はこちらを着ている状況だ。
ワイシャツに赤のリボンを付け、青白と濃紺、薄灰のチェック柄スカート。そして夏用の白ハイソックス。
「ど、どうかな……やっぱ変だよな……」
改めて女子生徒用の制服具合を親友たちに尋ねてみる。
うーん……スカートがやはりスースーするというか、気になる。なんとなく、スカートの両端を指で摘まんでしまう。
「い、いや……いいんじゃないか」
「うん、別に普通だよ。大丈夫」
晃夜は口をちょっと抑え、『フゥ』なんて溜息をついている。
夕輝はニコニコしているけど、どこか表情が硬い。
二人なりに変な反応をしないように気をつかってくれているのだろうな。
女装なんてこの上なく、恥ずかしい。
けれど、性転化病に関しては学校側から発表してくれるそうなので、みんなが納得してくれた後で男子生徒用の制服に着替えれば良い、という訳でズボンやブレザー、ベルトなど男子用の制服も持って来てある。本来の体育着入れである袋に、たたんで詰め込んであるのだ。
ちょっとかさばって重いけど、これは譲れないアイテムだ。
「持ってやるよ」
不意に晃夜が手を伸ばしてくるが、これは俺のアイデンティティだ。
こんな所まで甘えるわけにはいかない。
「大丈夫だ」
そう断りを入れると、今度は夕輝から待ったがかかった。
「訊太郎、無理はよくないよ。今日も暑いし……その、体力とかも以前より落ちてるんでしょ? 今日は色々、精神的にも負担がかかると思うし、少しでも余裕を持って行こうよ」
「後でバテられて、お前が倒れでもしたらこっちが迷惑だしな。訊太郎を担ぐのは俺か夕輝の役目だ。ほら、貸せよ」
クッ……。
親友たちがいい奴過ぎる。
俺は素直に、ありがたく二人の提案を受け入れた。
不安を和らげて、背中を押してくれる姉と親友たち。
俺には、こんなにも心強い味方がいるのだ。
ちょっと身体が少女になってしまって、ちょっと学校に行って、ちょっとクラスメイトとかに驚かれるぐらい、なんて事はない。余裕だ。
そう思っていた時期が、俺にもありました……。
「え……あの銀髪の子、うちの生徒?」
「うっわぁ……可愛すぎない?」
ヒソヒソとした会話が、ちょっとだけ聞こえる。
「イケメン達に守られてる、お姫さま?」
「高校生にしては、幼すぎない? 子供だよね」
登校中の道で、同校の生徒達と会うのは覚悟していた。
でも、実際に道行く生徒の反応を目の当たりにすると、とても疲れた。
自分に視線がある程度集中するのは、ゲーム内でも多々あったので慣れていたつもりだった。
でもやっぱり現実は違う。
不思議がる視線、驚愕の顔、こちらを凝視する生徒たち。
それらは確かな熱を持っていて、俺の精神と平静をガリガリと削っていく。
どこかで見た事あるような顔、今まで同じ空間で学校生活を送って来た、他人のようで他人でない存在。今後、自分が関わり続ける可能性がある人たちに見られるのが、こんなにもプレッシャーになるとは思ってもみなかった。中には実際に、知り合いである生徒たちもチラホラ見受けられる。
「おい、訊太郎。なるべく俺の後ろに隠れておけ」
「訊太郎、右足と右手が同時に前に出てるよ。大丈夫?」
親友たちが、物凄く心配した顔で俺に声をかけてくれる。
自然に歩くってどうやるんだっけ。
うん、さっそく心が折れそうだ……。