122話 真夏の夜と銀髪少女
「ただいまー」
花火観賞を終えた俺は、晃夜や夕輝たちと別れて帰宅した。
玄関の扉を開き、リビングに入ると姉がテレビをつけながらソファに腰をおろしていた。
「無事、あの二人にはカミングアウトできたようね。それにしても太郎、浴衣の裾をまくしあげるなんて、あんなに艶めかしい……はしたない走り方はしちゃダメよ」
「あれ……? 姉もお祭りに来てたの?」
「もちろんよ。たまたま走っている太郎を見かけたわ。誰かが太郎に触れたりしたら…………ぶつかったら危ないでしょう?」
「あーうん、気を付けるよ。だけど、姉の言う通り二人にはしっかり話せたよ。それと、あの二人も姉みたいに『虹色の女神』教会を不審がってるし、現実で起きてる変化についても把握してた」
「……太郎の傍に常にいるのは少し、いえ、だいぶ癇に障る連中だけれど……これも太郎のためね……それに……」
何かを思案するように、ぼそぼそと早口で姉が何事かをつぶやく。
「んん、姉? 何て言ってるの?」
「いや、安心したわ。他にも私達のように変な事が起きているって、わかってる人がいて。それが太郎の親友たちとなれば、心強いわね」
「うん、そこは本当によかった……それで、気付いてない人との違いなんだけど」
リアルモジュールをしてない人だと、現実の変化を認識できないこと。
ゲームでのステータスが現実でも反映しているかもしれないということ。
このニ点を姉に伝えようとする。
「太郎、待って。あれ……あれを見なさい……」
姉は俺達が出した結論を説明しようとする言葉を遮り、急にテレビ画面を指差す。
「リアルもじゅー……ん?」
姉に促されてテレビを見れば、ニュースの特番が流れていた。
どこかのお祭りの様子だろうか、有名な夏祭りを特集したよくある季節的モノだ。画面にはたくさんの人々が映っており、先程まで俺達がいたお祭りと比べ、規模が数倍大きいことがわかる。その熱気に包まれた様子を伝えようと、爽やかに前髪を七三に分けたエリート然としたリポーターが、お祭りの行事について解説し始めた。
『今年もこの時期がやってまいりましたね、みなさん。さぁ、いよいよ日本の夏祭りといえば、コレ! 花火の締めといえばコレ! 妖精の流し灯籠の時間がやってまいりました!』
「は?」
流暢に話すリポーターの口から飛び出た内容を聞いて、自分の耳と目を疑ってしまう。俺はテレビ画面に食い入るように近づく。
「太郎……今年の河川敷での花火大会、最後に流れたアナウンスを聞いた?」
俺は画面に集中しながらも、姉に返事をする。
「いや、会場から少し離れてたから、しっかり聞き取れなくて……」
「あの熱気球みたいなのに灯を入れて飛ばす行事……今、ニュースでやってるのと全く同じよね」
姉の指摘通り、テレビにはお祭りに来ている人々が静かな表情で、スカイランタンとやらを夜空に飛ばしていた。
『その昔、我々が彼ら妖精に犯してまった罪を日本人は決して忘れません――』
リポーターの声を信じられない思いで聞き続ける。
『太古に姿を消してしまった妖精。私達の願いはただ一つ、彼らに戻って来て欲しい。私達、日本人には融和と贖罪の意思があると、その思いを込めて、夜空に舞い上がる妖精たちを見送りましょう』
何かを尊ぶように、静謐な声音で真面目に語るイケメンリポーターには悪いのだけど……。
「この……リポーターは……何を言ってるの?」
「そうなるわよね……でも、これが現実に起きていることよ……」
姉は俺の反応に同意しつつも、その視線をテレビから逸らすことなく集中していた。
『いつか、妖精たちが直接わたしたちに姿を現す時を願って――――』
厳かな雰囲気のリポーターは、粛々とわたあめ袋のようなモノを手に取り、空へと放った。よくよく見ると、わたあめ袋の中に箱みたいな物体が入っているシルエットが浮かんでいる。箱の内部から淡い火が灯り、リポーターはまるでその箱から出る光そのものが妖精だとでも言うように、真剣な面持ちでスカイランタンの行方を追っている。
『今年も日本にだけ、エルフの妖精売りが出向いてくれています。それが何より、他の国々よりも妖精と親しみ深い関係を築けていると、日本の国民のみなさま一人一人が自覚を持って、夏祭りをお楽しみください』
そう言って、クラン・クランに出てきたエルフの武志と全く同じ恰好をした人物……というか生物? がリポーターに紹介されるように、背後で一礼をキメている。
ゲームと同じで耳が長く、小柄。
身に付けている着物や、腰にさす刀、洗練された立ち居振る舞いまで全く同一。そして、クラン・クランでの夏祭りイベント同様に、妖精を引き連れてくるなんて……いや待つんだ。
実際に妖精の姿は現れていない。
そもそも、妖精の入ったわたがし袋なんてゲームじゃ売ってなかったし、エルフの売人なんていなかった。
でも、これはゲームと被る部分が確かにある。
「仮装大会とか、お祭りビックリとかじゃない、よね?」
「違うわね……あのリポーターの口ぶりから、アレは日本の伝統行事って事になっているようだし。現に地元の花火大会ですら、そうだったでしょ?」
「…………そう、だね……」
『全国のみなさま、どうかエルフの方々の屋台を見ましたら、妖精たちの再来を願って『妖精の流し灯籠』をぜひとも一個、ご購入くださいませ』
と、背後にいるエルフなんて何でもない事のようにリポーターは締めくくり、夏祭りの特集は幕を閉じたかに思えた。
『今年は、其の方ら人族の永きに渡る贖罪と願いを聞き遂げ、一匹だけ、妖精の降臨が検討されているでござるです』
エルフは最後の最後で、爆弾を落としてきたようだ。
その言葉を聞いたリポーターは驚愕を全身で表し、勢い良くエルフへと振り向いた。
『それは、本当ですか!? どこに来るのでしょうか!? いつですか!? 全国のみなさま、お聞きになりましたか! 妖精の再来です! エルフさん、詳しい情報をいただけないでしょうか!』
なんてシュールな光景なんだ。
エリートリポーターが必死にエルフさんに『妖精は!?』と問い掛ける姿は現実だけど、現実に思えない。
『それは承服致しかねるでござるです』
エルフの武志も大真面目にリポーターの要望を拒んでいる。
『そ、そうですか! ですが、確かに! この日本に妖精の再来があるかもしれない歴史的瞬間を、我々は捉える事ができました! これは諸外国からしてみてもっ』
大興奮のリポーターだったが放送時間の尺が関係していたのか、テレビ画面はぶつ切りとなり、CMへと移行してしまった。
「ん……あの展開で、生放送とはいえ撮影を切るなんて、このチャンネルの放送局は何を考えている? 次に控えている番組を伸ばしてでも視聴率を……スポンサーとの兼ね合いを危惧して? いや、もしかしたら……放送局よりもっと上層部の……例えば、妖精に関する事で外国より日本が一歩リードしそうな事実を、政府か何かが情報を漏洩させないために隠蔽を…………」
姉が何やらブツブツと見解を述べていく。
CMが流れる画面をひたすら凝視し続ける姉は難しい顔をしていた。
「姉、アレってどういうこと?」
思案している姉の邪魔にならないタイミングを見計らって、遠慮がちに尋ねてみる。
「私にもわからないわ……でも、わかっていることは、まだ妖精は姿を現してないってことね」
「う、うん……」
姉の言い方は複雑だった。
しかし、それもそのはず。
なにせエルフが、テレビに出ていたのだ。CG加工や特殊メイクって線も捨てきれないけど、ああも大仰にテレビリポーターがとんちんかんな発言しているって事はつまり、本物である可能性が高い。
「太郎、今日はもう寝ましょう……少し、疲れたわ」
「うん……」
この後は姉に浴衣を脱がしてもらったのだけど、なぜか姉は少しだけ元気を取り戻したようだ。俺を見る目がすこしだけ怪しいと感じたのは気のせいだろう。姉が元気になってくれたなら、ソレはそれでいいと思うし。なにせ、俺も少しだけ不安になっていたから……姉にまでナーバスになられたら、テレビで見た光景が喜劇を通り越して、余計に怖く思えてしまう。
「寝るか……」
シャワーで軽く汗を流し、ドライヤーをきっちりし終えた俺は姉に『おやすみー』と声をかけて自室に入る。
電気の明りは点けずに、そのままベッドへダイブしようとした所で違和感に気付く。
あれ……?
カーテンが揺れてる?
「窓、開けたっけ」
基本、夏休みに入ってから自分の部屋の窓は滅多に開けない。
なぜなら、あっついから。
クーラーをたっぷりと利かせ、涼しいこの楽園でクラン・クランをプレイするのが俺の日常になりつつあるのだ。
そんな訳で、蓄えた冷気を外に出すなんて真似は決してすることはなかったはずなんだけど……。
「姉が換気でもしてくれてたのかな」
ふわりと波打つカーテンを開き、俺は窓枠へと手をかける。外から青白い月光が、手前にこぼれ落ちる。
そして、窓を閉めようとしたところで――――
「タロん、やっふぃー♪」
とても、とても聞き覚えのある高い声音が響いた。
俺の名を呼ぶ、声の主は……羽の生えた小人。だけれど、その長髪は風のような透明感を持ち、夜風になびいている。
身体もぼんやりと発光しており、一見して小さな幽霊のようにも見えた。
だけど目の前にいる生物が、俺は何なのか知っている。
「……風乙女」
伝説。
おとぎ話。
異世界。
様々な形で、幾百、幾千の年月を経て。
人類はまことしやかに、その存在を仄めかしてきた。
いるかもわからない偶像の産物として。
在ったからこそ、語り継がれるその姿を。
人々が恐怖し、強く望み。
思い描いてきた。
神域と、伝承されし理の一端。
人が夢見た、幻想世界。
それが今、目の前に現れたような気がした。
「……えっと」
クラン・クランでの相棒、風妖精のフゥは窓枠にちょこんと腰かけて、足をぶらぶらさせている。
「……フゥ、だよね……?」
真夏の月明りを背景に、ニコっと笑いかけてくる妖精の姿は、それはそれは幻想的で、思わず『綺麗だな』と感嘆しそうになる。
だけど、それよりも驚きの方が遥かに勝り――
「って、ぇぇぇぇえええええええ!? なんで現実に!?」
「うんうん~! 遊びにきちゃったの!」
悲鳴を上げる俺に、フゥは元気よくそう答えたのだった。