120話 リアル花火大会
「はぁっはぁっ……」
全力で駆けた。
親友たちから逃れるために、綺麗な茜ちゃんの瞳に映らないように。自分の臆病な部分を見られまいと、人ごみに紛れるように屋台通りへとこの身を踊り込ませた。
自分でも驚くほど素早い動きで、親友たちから距離を取ることができた。
「はぁっはぁっはぁっ……はぁ……」
お祭りを楽しむ人達の笑顔や喧騒、屋台の熱気や灯がみるみる視界の横を流れていく。
提灯の明りがやけに眩しく見え、思わず目頭を押さえそうになる。
「何やってるんだろ……俺……」
そして人気の少ない、暗がりの多い場所へと進んでいく。
すると、荒い息と混乱は次第に収まっていった。
火照った身体と昂ぶった感情を落ち着かせるように、とぼとぼと一人で歩く。夕輝や晃夜から逃げ出す間際に見た、親友たちの表情を思い出し、苦い気持ちがふつふつと湧いてきた。
「あいつら……俺だって気付いてくれた……」
なんの説明もしなかったのに、すぐに俺だと判断して行動してくれた彼らの態度は嬉しかった。多分それは、クラン・クランで事前に銀髪少女アバターで親友たちと接してきたからこその、順応性なのかもしれない。それでも、こんな姿になってしまった俺を、仏訊太郎だと認めてくれたのが凄く嬉しかったのだ。
そんな親友たちに、俺は背を向けた。
「もしかして、あいつらは俺と茜ちゃんをまた引き合わせるために気を回して……? だとしたら逃げちゃったこと、謝らないといけないな……」
冷静になればなるほど、状況が上手くのみこめてきた。
ありえない話ではないし、むしろ夕輝や晃夜の性格からして、その可能性の方が高い。何か茜ちゃん達についての連絡が来てたかもと思い至れば、スマホを少しでも確認しておくべきだったと悔やむ。
「そしたら、あそこまで動揺しなかったはずなのに……」
遠のいていく祭囃子の喧騒を耳にしながら、独り言を続ける。
そうして思考と感情を整理しながら、自然と足が向かっていたのは、いつもの場所だった。
それは毎年、親友たちと花火を見上げている河川敷の階段の前。
ここまで来ると、人通りは非常に少ない。
だから花火からは少し離れてしまうけれど、ゆっくり鑑賞できるわけで、ここで見る事にしてるのだ。
そんな人気のない場所に、人影が二つ。
静かにこちらを見つめ、穏やかに待ってくれていた。
「ぁ……」
親友二人に、いつもの調子で声をかけようとする。
だけど、喉から出たのは小さな小さな吐息だけ。
さきほど無様に逃げ出してしまった事で、羞恥心がむくりと起き上がってくる。それと共に、わずかばかりの恐怖心も。
俺を俺として受け入れてくれなかったら、なんてこの二人にはありえない事だけど、万が一はあるかもしれない。
「……」
そんな思いが頭の中を巡り、俺の声は夜闇に吸い込まれるように霧散してしまう。
「……」
「…………」
だから、お互いに無言で歩み寄って行った。
一歩、一歩、これまで一緒に過ごしてきた時間を確かめるように。
そして、階段の下へと着いた俺達三人は。
見つめ合った。
夕輝はいつも通りの優しい微笑みを携えていて、少しだけ申し訳なさそうに眉を八の字に歪めている。
晃夜はいつも通り、眼鏡をクイッと持ち上げ余裕のある態度で、だけどこちらを見る眼差しは真剣そのもの。
何か、話さないと。
早く、説明をしないと。
すぐにでも謝らないと。
溢れ出る様々な感情が、胸から吐き出されそうになるのに。
喉がつかえてしまったかのように、言葉はすんなりと出て来てくれることはなかった。
「…………」
そして、俺達の無音を切り裂くように大きな大きな音が、淡い光と共に舞い上がる。
その音に反応して、俺は思わず親友たちから視線を外して上を仰ぎ見てしまう。
夜空に輝く花火が、息を呑む程に美しい大輪を咲かせていた。
中二の時はめまぐるしく変化する人間関係に悩み、挫けるなと励ましをくれた光。
中三の時は受験という勝負が控えた俺達の背中を押すように、進路と勉強への覚悟を決めるきっかけをくれた煌めき。
それらと同じ炎の雫達がパッと広がり、その一粒一粒が、今年も俺達を照らし出すように降り注ぐ。
花火に吸い寄せられた俺の目は、不意に背後から鳴った小さな音によって階段の方へと向く。
二人は花火を見上げながら、そっと階段の段差へと腰を下ろしていた。
そして、言葉を発することなく、ぽんぽんと手を何度か置いてくれる。ここに座って見ようぜと、二人の間に入れと言わんばかりのスペースが設けられていた。
俺は親友たちの誘いに応じて、おそるおそる腰を落ち着ける。
さっきよりも二人の存在感や息遣いが近い分、緊張もしてしまう。
だけど、とても居心地は良かった。
そうして、そのまま俺達はしばらくの間、互いが何を言い出すわけでもなく。
ただただ、静かに。
紺碧の空へと打ちあがる様々な火の花を見つめ続けた。
時に力強く、時に優雅に、時に切ない。
色とりどりの花火を、ひたすら見上げた。
「……」
あぁ、俺の親友たちはこんなにも力強く、心強い。
何の説明もなしに、俺を俺だと受け入れてくれている。
例年と変わらないスタンスで、当たり前のように花火を一緒に見てくれている。
さすがはイケメンだ。
花火のように優雅で、俺を安心させるように包み込んでくれる。
それに比べて、俺はなんて浅はかなんだ。
ずっと、ずっと。
こんなにも頼りがいのある二人を疑って、失うんじゃないかと怯えて、自分の現状を隠し続けていた。
なんて臆病者なんだ。
信頼しきれなかった俺の思いを代弁するかのように、消えて散りゆく花火は見ていて切なかった。
悔しくて、苦しかった。
でも、それでも。
二人とこうして、普通に花火を見る事が、どうしようもなく嬉しかった。
無言で隣に座るように促してくれた親友たちの優しさを、今一度かみしめる。
「その……ごめん……」
いくつもの花火が一瞬の生を放ち、消えていくなかで俺は謝った。
「じ、実は……夏休み入って、すぐに性転化病にかかったみたいで……」
声がどうしても震えてしまう。
「ふ、二人にずっと、隠してた……俺が、こんな姿になったら……二人の態度とか、価値観とか、俺に対する何かが変わってしまうんじゃないかって……ず、ずっと不安で」
何だかとても喋り辛い。
喉も熱いし、頬も熱い。
でも、親友たちを疑ってしまった事をしっかりと告白して、謝りたかった。
「心のどこかで信頼しきれなくて……い、一緒に積み上げてきた、俺達の何かが崩れてしまうんじゃないかって……さっきも、その、逃げちゃって……」
正直な気持ちを打ち明け、俺は改めて謝罪する。
「疑って、ごめん……」
はぁ、と深い溜息が二人からは零れ落ちた。
その吐息は、花火の打ち上げ音より妙に大きく響き、ついビクっとしてしまう。
やっぱり失望させてしまったのだろうかと……。
「そっか……まぁ、訊太郎のその姿を見た後じゃ、なんて言えばいいんだろうね。だと思ったよ、としか言えないかな?」
と、仕方なさそうに笑う夕輝。
「早い話、もっと早く言え」
晃夜はクイッとメガネを整える。
あっさりと、本当にあっさりと、親友たちは何食わぬ顔で俺の変化を受け入れてくれた。
「あはは……」
なんてことはない。
やっぱり、この二人は俺が不安に思っていた反応とは全く違う様子を見せてくれた。
「許して、欲しい。ほんと、ごめん……」
「訊太郎……わかったから、その……」
俺が許しを請うと、夕輝はやけに歯切れの悪い口調で何かを言い淀む。
それでも逸らしかけた視線を再び、俺へと向けて、真っすぐな瞳で優しく語りかけてきた。
「泣かないで?」
え?
不意に漏れ出た夕輝の言葉を理解するまでに、少しの時間がかかる。
俺は泣いてる?
そんな、はずは……。
「ったく、お前は出会った時から泣いてたよなぁ」
そう言って、晃夜が手を伸ばしてくる。そして、一瞬ためらうように躊躇し、その動きをとめた。
だけど、次の瞬間には俺の頬を優しく拭いてくれた。
「泣き虫だな」
ニコっと笑う晃夜の顔が眩しい。
「うるさい……あ、あのときは、晃夜が俺をパンチしたのがいけないんだ」
中学校時代の痛い思い出を引き合いに出し、『今でもおでこの傷が疼くんだぞ』と言ってやる。
「ボクだって今でも制服についた、うんちの匂いが取れないよ?」
と、夕輝が晃夜と俺の間に割って入り、ウン告白の際についてしまった汚物の事を平然とからかってくる。
「それに、ボクも訊太郎の泣き顔は見慣れてるよ。実はあの時の帰り道、交差点で訊太郎、泣いてたでしょ? 気付かないフリして前を歩くのは大変だったなぁー」
おまっ。
ウン告白の帰り道まで付き添ってくれたコイツは、俺の目からしょっぱい水が流れている事に気付いていたのか!
「ま、早い話。訊太郎の泣き顔なんて今更だよな。それに性転化病もな」
「そうそう。訊太郎がボクらの想像の斜め上を行って、突拍子もない事態に陥るのも今更だよねぇ」
あぁ、こいつらはなんて酷い親友たちだ。
なにくそと涙をぬぐい、こいつらにジト目を送ろうとする。
でも、この時ばかりはソレも上手くいかず、なぜか口がニマニマと緩んでしまった。
「……う、うるさいっ!」
こうして俺達は、クスクスと笑い合った。
更新の都合上、お見せできなかった読者さまもいるかと思いまして。
タロの浴衣姿のイラストです。
描いてくださったのは、鬼豆腐さまです。
ありがとうございます!