神とニヒリズムと探偵
第一回ゆめぜっと杯参考作品。
参加条件
1『つまりこれは、私がこの状況に気付いてから死の瞬間を迎えるまでの僅か数秒間だ。』から書き出されていること。
2『長大に引き延ばされた一瞬という特異な磁場』という設定。
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第一回ゆめぜっと杯
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以上です。
つまりこれは、私がこの状況に気付いてから死の瞬間を迎えるまでの僅か数秒間だ。しかしその数秒間は最大限にまで引き伸ばされ私の手に収まるのである。部屋を眺めている、色んな観念が並走する、私の意識と、永劫の数瞬の混濁した世界で……
永遠……
私はこの後死ぬのだろう……それでも、このように死へのカウントダウン、たった数秒間が窮極的に分割され続ける限りの、永遠のモラトリアムを形成しているあいだは、私は無限でいられるのだ。
部屋は真っ白。滑らかな質感溢れて私を取り囲む、六帖ほどの狭い床から。白。何もない立方体の展開の地平、連なり、内壁、視線で辿れば底のない無限の白磁を手渡されるのだ。赤……私は裸で蹲り、肌さえ、死の瞬間を物語るように、血の気は失われて真っ白。病的に、色は部屋の白磁に溶け込んでいる。
白、無限の平面染める、赤。私の腹部より吐き出され続けた赤、内臓が這いずり出しているかのような塊で飛び出した赤、凝固した大量の血液はギザ、ギザ、劈かれた染め上げられた咆哮の結晶で、赤。
部屋は完全な密室世界だった、ドアや窓のない白磁の壁面。完全に繋ぎ合わされた狂った密室世界で。
密閉された私は白磁の面を染め上げるばかり。ツルリ光ったセラミックのナイフはやはり白磁、血液の赤以外、密室世界は全一的に白磁のみ、支配。
すなわち、死を待つばかりの私が流し、凝固させたこの血液の塊だけが、世界から独立した存在であり、世界に相対することができる唯一であって、つまりそれは約めるなら、私自身の精神で肉体で意識で観念、であると云えた……
私の意識や魂は全て赤黒く凝固した塊に逆流して、虫の息ながらも生命活動の名残を宿していた。
凝固した血液の塊は観念する、私はどうやって産まれ(つまり私は殺害され)どうやって精液は(つまり犯人は)この完全密室から逃げ果せたのか? それ以前、どうやって女性器は(つまり私の肉体は)この白磁の立方体内部へと誘われ閉じられてしまったのか?
探偵(つまり凝固した血液)は虫の息で推理するばかりだった。まずは定石どおりに、仕掛けられたトリックを精査すべく、どろりゼリー状に固まった体躯を揺らし歩いて、部屋をいちいち巡回していった。
ずりずり、赤い尾靡かせて、白磁の床を細い轍で紋様させていた。それから、重力がまるで効力を持たぬかのように、壁面、何食わぬ顔で(つまりのっぺりとした血の襞で)ぶるん。境界線を越えたかと思えば、壁をあたかも床を歩くと変わらぬ要領で、同じく赤い紋様でなぞり、伝うのである、その様子はあまりに自然であるため、重力はもはやこの宇宙からは解放されている。
六面の床はあらゆる紋様に染められてしまった。よって、どの面が元々の床で、四つの壁面で、天井であったかなど、もう思い出す手立ては無かった。
死体は白磁に消えていた。
何処かに忍者屋敷のようなカラクリがないものかと血液の探偵は探し歩いたがやはり無い、仕方なく天井を(つまり正面へ平行する面を)見上げて、探偵はふっと息衝く。困ったものだ……事件はもはや迷宮入りなのだ。途方に暮れる探偵はやがて内面の観念世界へと囚われ始めていた。
何故なら何ひとつ発見できない物証のない殺人現場に放り込まれれば、事件を解くための鍵は、もう内面に蓄積された過去の記憶の引き出しつまり、彼の赤く皺に刻まれた脳内へと収納された、忘却の扉に閉ざされていた、深層心理の戸棚の内部を差し置いては他にないという、行動原理の指し示す決まりきった行末以外に活路を見いだせるはずもなかった。
よって探偵は彼自身の内面世界へ、みるみるうちに沈んでしまっていた……
赤……
無論、赤い脳みその赤い記憶の内部は当然赤一色に染め上らげれた一面世界であった。そこは見事に立方体で、彼の外部に広がる白磁の一面世界と美しい対をなしていた。そこには一体の死体があり、ポタ、ポタ、白い血液を流しているのだ。真っ赤に染められた不気味な死体の割かれた腹部から流れ出る白磁の液……バリウムのような、美しく、妖艶な血液の這這……そして、やはりそれはやがてだんだん凝固っていく……
ぶるん。ゼリー状に凝った白磁血液の塊、彼は真っ白な尾を靡かせ、赤い床を白く紋様で刻印しながら、辿りついた瞬間するり境界線を躱して、重力の法則は即座に破棄された。ここにおいても! 宇宙法則はもはやうわの空、壁面も天井もなく、ただ均等に六面の床だけ延べ広がっているのだった。そして白い紋様はもはや、赤い立方体内部を凌駕して、白、が遍くのである。
ふうっ。白磁の血液の探偵が一息、見上げた天井はもはや真っ白で、たった一筋の赤い紋様だけが、かつての赤く染まった世界の名残であった……
さて、つまり世界は塗り替えられた、延々と探し当てようのないトリック、結局、探偵の表情は(つまり探偵の深層心理による推理は)失敗を認めるように失笑していた。困り果てる顔。どれだけ探り歩いても(つまり記憶を辿ってみても)物証もなければ着想もない。世界の外も、記憶の内も……
パラレルなそれぞれの立方体宇宙に跨がり対峙する探偵、外宇宙にも、内宇宙にも事件の鍵はなく、途方に暮れる以外、為すすべは無くなっていた……きっと、この立方体世界を脱出する手立てがあったとして、しかしそれはその世界を反転しただけの、結局同様の立方体であって、その差異といえばたった一つ、赤か、白かの、コントラスト! 恐らく……立方体内部を開ける鍵を見つけたところで、入れ子するのはやはりコントラスト! それは、赤や、白磁の臓器が靡かせる、血液や体液の飛沫が塗りたくりやがては綺麗に染め上げてしまう、ペンキ仕事の永遠の羅列のような徒労感だけ広がっていて……
パラレルに、神の視点でこの世とあの世の境界線を次々と通過する高次存在がいたとして、結局それが見つめる景色は、延々垂れ流しにされていく、まるっきり単純な、赤か、白かの、交互に並んだ一面世界、内部にはきまって、その一面世界の色彩に対極する色彩に染まった、憐れな臓器がよたよたと、一面世界の六面を、靡き、摺り歩いて、染め上げていく無意味な運動が……
それを見ている神は、どんな姿をしているのだろう?
きっと赤? それとも……
そう考えれば、世界に残されるのは、世にも残酷なニヒリズムしかないのではないか? 『神は死んだ』とはよく言ったものだ、この、何の意味もない赤や、白の往復運動に、吐き捨てる言葉など無くて、『神は死んだ』という言葉さえ、赤や、白の、ベタ、ベタ、張りつく湿った風に掻き消されてしまうのがオチだろう……
……ああ……神どころか! ニヒリズムさえ死んでしまったのか…………
探偵はなおも探し歩いた、鍵を回す、そして開かれた世界、やはり、何度も見定めた、見慣れた景色の繰り返し……鍵は偽物だったのだ!
この世界は密閉されている、死体さえ、犯人さえ、世界に侵食され掻き消されてしまい、何もなくなった、世界は飽きるほど、浴びるほどの赤……白……鎖された世界の暴言! この世界は……闇。
「光!」
私は不意に呟いた……赤や、白に、広がった。密室世界の繰り返し……
神さえ……死神さえ……掻き消されてしまった完全密室の内部で……突然脈動し、産まれ出でた、モノ…………
それは高速だった!
きっと……光より速く……重力より深く……この宇宙を転覆させる万物の法則を超越したスピード!!!
そう……
その速度は赤や白の連続世界を驚異的なスピードで透過し過ぎ去って行った!
そして……広がった景色、ピンク!!!
ピンクは全ての鍵となり、宇宙万物の鎖を解く神の死のテホドキだった!!
そう……ピンク!
……世界は開かれていた。完全密室で、私は死体のように蹲っていた……凶器に割かれた腹部、流れ出る血液、徐々に染められゆく白磁の床、腹部の内部は、鮮やかなピンクの肉の襞に輝いている。鍵! 鍵が刺さっている、それはピンクに塗られていた、つまり、私のピンクの肉襞の色彩に溶け込んで、少し離れてしまえばそれを認めることはできなかった。至近距離。ようやくピンクは、ピンクと、分離するのだった。
刺し込まれ、開け放たれたドアから、犯人は、何一つの苦労もなしに逃走してしまった。
忘却……下手をすれば、ちょっと動いただけで、私は記憶を失くしてしまうだろう……それほどに、脳内にあるべきである血液はことごとく、この部屋の、白磁の床を一気呵成に染めていくことである、私はもうすぐ死にゆくだろう、つまりこれは、私がこの状況に気付いてから死の瞬間を迎えるまでの僅か数秒間だ、私はその数秒間を使い、逃走した犯人の開けっ放しのドアを締め、ピンクの鍵を使って内鍵を締める、すると、ピタリと鍵穴は、ドアの隙間は、そしてドアノブさえも不思議なことにこの、白磁に染められた光輝を反射して、まったくの白磁に塗られ、やがて白磁に消えていた。
臨死である被害者の私の運動量は、記憶を保持しうる限界値をとうに越していて、憐れ無残に私は状況より逸しているのだった。腹部へ沈み込んだピンクがもはや……掴みようのない気配へ還るさまを眺めいるような。
死を待つ数瞬……臨終は走馬灯より誘いをうけ、常軌より絆されてしまった私は、しかしその数瞬だけ、最大限にまで引き伸ばされ私の手に収まるのである。部屋を眺めている、色んな観念が並走する、私の意識と、永劫の数瞬の混濁した世界で……探偵は、推理を開始する…………
ありがとうございます、第一回ゆめぜっと杯参考作品でした。
皆さんゆめぜっと杯奮って参加してくださいね?
異常人気のない作家改めコアな作家ゆめぜっとでした。