青空
これにて雪の章完結です。
長い間のご愛読、真にありがとうございました。
いかがでしょうか、楽しんでくださったのなら幸いです。
月の章、花の章、ゆっくりと仕上げてゆきたいと思います。
薄曇り、町外れのひっそりとした墓場。
曇天の下、添えられた線香が薄紫の煙の筋を立ち昇らせている。
墓の後ろには 卒塔婆が二本。
一つには羽状 一、そしてもう一つの真新しい卒塔婆には、羽状 松、と記されている。
「よろしいんですかい」
心配そうに問いかける二吉に、そっと応える雪音。
薄っすらと微笑んで羽状家と彫られた墓石に水をかける。
「あのひとが、羽状の姓に拘るのは武家という肩書きへの執着だと、ずっと思っていました」
二吉は雪音からひしゃくを受け取って桶に戻すと、傍にいたスエにそれを渡した。
スエは黙って頷くと、それを寺へと戻しに行く。
それを見やってふと、空を見上げる雪音。
それから、二吉の方へ顔を向けてにっこりと笑みを送る。
二吉はその笑顔に、目頭が熱くなるのを感じた。
「でもあの折鶴を見ているうちに、思い出したんです……」
「思い出した……?」
「まだ父の生前、あの人が父に向けていた眼差しを」
「ほう、そいつはいってぇ……」
「どうして今まで忘れていたんだろう……。初めてつれてこられたあのひとの、照れくさそうな笑顔……。今思うと、とってつけたような地味な格好をして……」
「取り入るのに必死だったんじゃねえんですかい」
「もちろんそうだったんでしょう……。若くて綺麗なあのひとは、困ったような顔をして…それでも精一杯の笑みを作って私を見詰めてね。私、子供心に一生懸命さを感じたわ……。ああ、このお姉さんは私と仲良くなりたいんだなぁ……そう思った、そして私も……」
「雪音さん」
「もし、もしもね……。もしお父様が生きていたなら……」
「やめやしょう。考えちゃいけねぇような気がしやす」
雪音の横顔にふっと影が視えた。二吉はそれが怖かった。
もし、もしの行く末にいったい何が待ち受けるのか。
其処には哀しみしか待っていないのでは。
二吉はそう思ったのである。
消えてしまいそうな雪音の華奢な肩に、二吉は両の手を置いた。
「あっしは、今こうして誰にはばかる事無く、あんたとお天とうさんの下で一緒に居られる。それが何より嬉しい」
「二吉さん」
「見かけによらず無茶をするところは、まったく変わっちゃいねぇ」
「ごめんなさい」
「志郎さんと一緒に、あの女に引導を渡して、あっしがあの女の後を……段取りなんて何処にいっちまったやら」
「だって――っ」
遮って二吉は雪音を抱きしめた。力の限り、誰の目をはばかる事無く。
「もういい、もういいんです。こうして、あんたを抱きしめることができる。無事で……良かった」
「二吉さん……」
許されなかった。恋しい女の名を呼ぶことさえも。
「雪音」
今、二吉は其の腕に抱く幸せに、ただずっと浸って居たかった。
――もう決して離さない。離すものか――と
「……お父様達と、スエちゃんが見てますわ」
「っ」
慌てて視ると、いつの間にか戻ったスエが、ちょっと離れて立っていた。
「えへ、えへへ」
「あ、いやっ、その、なんだ、スエ、お手柄だったな」
「は、はい」
「うふふ」と笑った幸せそうな其の声に、二吉の頬も思わず緩む。
桃色の頬を緩ませてニカニカと笑うスエに、粋が売り物の涼やかな男前も形無しである。
雪音は、もう一度墓を見詰めると懐から小さな赤い折鶴を一つ、取り出して墓前に供える。
「あ、あの、こ、これも……」
スエの掌に乗った白い折鶴。
「これは……」
「なんでぇ、おめぇも折ってきたのか」
「う、ううん。お水を返しに行ったときに、ひとつ折りました」
「だったらここで……」といい掛けて二吉が頓狂な声を出した。
「おめぇ、もしかして気を使ったのか」
「え、えへへ」得意そうな、照れ臭そうなスエの笑い。
「まあ、スエちゃんたら」
スエと雪音。姉妹のようなやり取りに、二吉は身体中が浮き浮きとくすぐったくなった。
「こいつ、随分とませたことするようになりやがって……っは、はははは」
「えへへ」
すっかりと雲を払い、何処までも広がる青い空に、笑い声が広がってゆく。
スエの手の平に乗せられた、もう一つの白い鶴。
雪音はそれを受け取ると、自分が折った赤い鶴と並べて墓前に供える。
スエの折ったもう一羽の鶴に、赤い鶴が少し傾いてそっと寄りかかる。
――良かったね、おかあさん――
その後、備前屋善兵衛の後を継ぐべく、二吉は善兵衛の正式な養子として雪音と夫婦になる。
後見人は八丁堀与力と昇進目出度い、掛井 新三郎。
日本橋備前屋の店先では、涼やかな美しい若夫婦と、暖簾に吊るされたつがいの折鶴が、中睦まじく見られるようになった。
赤い花、白い花。
咲いた花、散った花。
雪月花、雪の章。
完結。




