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雪月花 ―雪―  作者: くろぬこ
水車
27/29

蜥蜴

江戸は町外れ、うらぶれた出会い茶屋。

      

居続けて過ごす退屈に、寝転んではごろり、ごろりと右へ左へ向きを変え、そしてまた仰向けになって天井を眺める。


「ふうん。こうやって下から天井を眺めていやがったのか……」


ここ数日、何故だか頭に浮かぶのは、あの日の幼い松の事ばかりであった。

      

銀二の下で身体を揺すられ、大きな目で見つめていたのは、この光景であったのかと、馬鹿なことに今更気づく。



――可愛かったよなぁ……――




それでも人の心の解らぬ男。

      

そこから先の少女の想いなどには興味もない。

      



突然、せかしく聞こえる衣擦れの音が、銀二の寝転ぶ部屋の前まで聞こえてきた。

      

一瞬身構えはするものの、直ぐに誰だか見当がつくと、もう一度ゴロリと横になった。


勢い良く開かれぴしゃりとまた閉める。


肩で息を切らす松を見上げて、色男ぶって甘い声を出す。


「よぉ、久しいな。ありげてぇこった、まだ忘れられちゃいなかったらしい――ってなにしやがんでぇっ」


馴れ馴れしい挨拶を遮るよう、問答無用で寝転ぶ銀二を蹴飛ばす松。


そうして腹の底から声を出す。


「やい銀二、二度は無いから心して聞きな」


いきなり横腹を蹴られて身体を起こし、銀二は上目遣いに松を見上げた。


「なんでぇ、おっかねぇなあ」


幾度となく問い詰めた。


だが、今生最後にもう一度、ゆっくりと尋ねる。


「お前、一さんを殺したかい」


「っ、な、何を云うかと思えば、おめぇもたいがいしつけぇなあ」



      

【体裁、みてくれを気にする女】の松が、髪を振り乱し、頭巾も被らずに自分を見下ろしている。

      

静かな口調とは裏腹に、その目は暗く冷たい炎が見えるほどに、憤っているのが視て取れた。


「ま、松……?」


「殺ったんだね……お前は、一さんを、あの人を……!」


懐から出した見覚えの有る匕首あいくちを抜いて、鞘を投げつける松。

      

羽状一の一件は、常日頃から疑われていた銀二であったが、確たる証拠がない上に、松には一部の納得する理由があったと見えた。

      

だからこそ、銀二の「殺していない」で通っていた筈であった。


「っへへ、またおめぇ、そんなもん振り回しやがって……。あぶねぇぞ、俺がそんなことする筈ねぇっていつも云ってんだろう――」


「だまりやがれっ、よほどの証拠でも見つからなきゃ、雪音が……あの子があたしに、あんな口きくわきゃないんだっ! なんでだい、どうして一さんを……あたしの亭主を殺したんだい!」


「ば、ばかっ声が大きいっ」


「あの人が、いったいあの人がお前に何をしたって云うんだい……」


「ま、松……? っ、お前……泣いてやがんのか……!」


「お上の手になんざ渡しゃあしない、この手で息の根止めてやる……死ねえっ」


「っ!」


鬼のような形相で、次から次へと光るやいばを銀二に向かって斬りつける。

      

銀二は涙を流して向かってくる松を視るうちに、腹の底から沸きあがって来る得体の知れない怒りに思わず口走る。


「……な、なんでぇ、あんなヒヒ爺いの一人や二人――」


「なんだって……?」


「あんなしょぼくれた親父のどこがいいっ、よっぽど立派なモノでも持っていやがったのか!」


「てめぇの汚いモノと一緒にするんじゃないよ!」


「なんだとぅ……!」


「あたしの、あたしの夢を、かえせっ!」


「っ!」


「っ!」


ぶすりと鈍い音がして、二人の動きが一瞬止まった。


銀二が小さく呟く。


「おめぇの……夢……?」


松も小さく呟いた。


「はじめ……さん……」


銀二の胸目掛けて飛び込んだ松を、銀二が受け止め抱いている。


渾身の力を込めて向けた筈の松のやいばは、虚しくその手から転げ落ちる。

      

一つ二つと滴り堕ちる真っ赤な雫は、松の胸から滲み出していた。


「馬鹿だなぁ松……。なんて馬鹿な女でぇ……」


もたれかかる松の身体が、ずるりと崩れ落ちるのをなすがままに、銀二は顔色一つ変える事もなかった。

      

銀二の手に握られた、一本の箸から松の血が伝って落ちる。


「ち、畜生……」


「しょうがねぇなぁ、もうおめぇはいいや……。頂くもん頂いて、上方かみがたへでもしゃれ込むか」


足元で呻く松へチラリと目をやり、ぞっとするほど冷たい声で呟いた。

      

そして次の銀二の言葉は、胸に喰らった箸よりも、深く松の心を突き刺した。


「雪音……も連れてくかぁ」


「っ」


「道中たっぷり愉しんでから、売っちまえば、いい金になるだろうぜ」


「っく…そ、そんなこと……っあ」


銀二の足を掴んで身を起こそうとする松の胸倉をぐいと引き上げ、懐から財布を取り出すと、ゴミの様に松を突き放して財布の中身を確かめる。


「けっ、しけてやがる」


「おま、お待ち……!」


障子に手をやり、振り向く事無く松の情夫は、最後の台詞で長年の二人の関係を終わらせる。


「じゃあな……なかなか、愉しかったぜ」


ぴしゃりとしまった部屋の中、途絶え途絶えの義母ははの声。




――ゆ、雪音……――


毒婦の極みと人の言う。


血を流し義理の娘の名を呟いて、鬼の義母は何を想う。







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