蜥蜴
江戸は町外れ、うらぶれた出会い茶屋。
居続けて過ごす退屈に、寝転んではごろり、ごろりと右へ左へ向きを変え、そしてまた仰向けになって天井を眺める。
「ふうん。こうやって下から天井を眺めていやがったのか……」
ここ数日、何故だか頭に浮かぶのは、あの日の幼い松の事ばかりであった。
銀二の下で身体を揺すられ、大きな目で見つめていたのは、この光景であったのかと、馬鹿なことに今更気づく。
――可愛かったよなぁ……――
それでも人の心の解らぬ男。
そこから先の少女の想いなどには興味もない。
突然、せかしく聞こえる衣擦れの音が、銀二の寝転ぶ部屋の前まで聞こえてきた。
一瞬身構えはするものの、直ぐに誰だか見当がつくと、もう一度ゴロリと横になった。
勢い良く開かれぴしゃりとまた閉める。
肩で息を切らす松を見上げて、色男ぶって甘い声を出す。
「よぉ、久しいな。ありげてぇこった、まだ忘れられちゃいなかったらしい――ってなにしやがんでぇっ」
馴れ馴れしい挨拶を遮るよう、問答無用で寝転ぶ銀二を蹴飛ばす松。
そうして腹の底から声を出す。
「やい銀二、二度は無いから心して聞きな」
いきなり横腹を蹴られて身体を起こし、銀二は上目遣いに松を見上げた。
「なんでぇ、おっかねぇなあ」
幾度となく問い詰めた。
だが、今生最後にもう一度、ゆっくりと尋ねる。
「お前、一さんを殺したかい」
「っ、な、何を云うかと思えば、おめぇもたいがいしつけぇなあ」
【体裁、みてくれを気にする女】の松が、髪を振り乱し、頭巾も被らずに自分を見下ろしている。
静かな口調とは裏腹に、その目は暗く冷たい炎が見えるほどに、憤っているのが視て取れた。
「ま、松……?」
「殺ったんだね……お前は、一さんを、あの人を……!」
懐から出した見覚えの有る匕首を抜いて、鞘を投げつける松。
羽状一の一件は、常日頃から疑われていた銀二であったが、確たる証拠がない上に、松には一部の納得する理由があったと見えた。
だからこそ、銀二の「殺していない」で通っていた筈であった。
「っへへ、またおめぇ、そんなもん振り回しやがって……。あぶねぇぞ、俺がそんなことする筈ねぇっていつも云ってんだろう――」
「だまりやがれっ、よほどの証拠でも見つからなきゃ、雪音が……あの子があたしに、あんな口きくわきゃないんだっ! なんでだい、どうして一さんを……あたしの亭主を殺したんだい!」
「ば、ばかっ声が大きいっ」
「あの人が、いったいあの人がお前に何をしたって云うんだい……」
「ま、松……? っ、お前……泣いてやがんのか……!」
「お上の手になんざ渡しゃあしない、この手で息の根止めてやる……死ねえっ」
「っ!」
鬼のような形相で、次から次へと光る刃を銀二に向かって斬りつける。
銀二は涙を流して向かってくる松を視るうちに、腹の底から沸きあがって来る得体の知れない怒りに思わず口走る。
「……な、なんでぇ、あんなヒヒ爺いの一人や二人――」
「なんだって……?」
「あんなしょぼくれた親父のどこがいいっ、よっぽど立派なモノでも持っていやがったのか!」
「てめぇの汚いモノと一緒にするんじゃないよ!」
「なんだとぅ……!」
「あたしの、あたしの夢を、かえせっ!」
「っ!」
「っ!」
ぶすりと鈍い音がして、二人の動きが一瞬止まった。
銀二が小さく呟く。
「おめぇの……夢……?」
松も小さく呟いた。
「はじめ……さん……」
銀二の胸目掛けて飛び込んだ松を、銀二が受け止め抱いている。
渾身の力を込めて向けた筈の松の刃は、虚しくその手から転げ落ちる。
一つ二つと滴り堕ちる真っ赤な雫は、松の胸から滲み出していた。
「馬鹿だなぁ松……。なんて馬鹿な女でぇ……」
もたれかかる松の身体が、ずるりと崩れ落ちるのをなすがままに、銀二は顔色一つ変える事もなかった。
銀二の手に握られた、一本の箸から松の血が伝って落ちる。
「ち、畜生……」
「しょうがねぇなぁ、もうおめぇはいいや……。頂くもん頂いて、上方へでもしゃれ込むか」
足元で呻く松へチラリと目をやり、ぞっとするほど冷たい声で呟いた。
そして次の銀二の言葉は、胸に喰らった箸よりも、深く松の心を突き刺した。
「雪音……も連れてくかぁ」
「っ」
「道中たっぷり愉しんでから、売っちまえば、いい金になるだろうぜ」
「っく…そ、そんなこと……っあ」
銀二の足を掴んで身を起こそうとする松の胸倉をぐいと引き上げ、懐から財布を取り出すと、ゴミの様に松を突き放して財布の中身を確かめる。
「けっ、しけてやがる」
「おま、お待ち……!」
障子に手をやり、振り向く事無く松の情夫は、最後の台詞で長年の二人の関係を終わらせる。
「じゃあな……なかなか、愉しかったぜ」
ぴしゃりとしまった部屋の中、途絶え途絶えの義母の声。
――ゆ、雪音……――
毒婦の極みと人の言う。
血を流し義理の娘の名を呟いて、鬼の義母は何を想う。




