鶴
士族とはいえお目見えもない下級武士の出であった。
お役勤めのやもめ男に目をつけて、あの手この手で取り入り、手に入れた家庭。
二人の連れ子とも、人の良い夫とも、上手くやれると信じていた。
祝言の日、花嫁姿の自分の前におずおずとやってきた少女雪音は、まるで子供の頃に作った雪兎のように清らかで愛らしかった。
「あ、あの」
「なぁに」
「これ」
差し出されたのは小さな鶴。
赤い綺麗な折り紙で、くちばしや羽の先まできちんと綺麗に、丁寧に折られている。
「これ…妾……?」
「あげる」
「嬉しい……ありがとう」
震える手で手渡すと、そのまま何処かへ走り去ってゆく。
それでも、そっと触れた小さな指先のぬくもりがまだ残っている。
見覚えのある赤い折り紙。
部屋の隅でずっと折っていた。
一つたたんでは丁寧にさすりながら。
――そう…これは、妾に――
どうせ、亡くした母親の仏壇にでも飾るのだろうと、たかを括っていた松であった。
気恥ずかしい白無垢に、同じく白く塗られた掌に乗せられた小さな赤い折鶴。
――待たせたね、お前の番だ――と、優しく微笑んでいるように松には思えた。
「そ、そんな……」
ほんの数年の夫の居る生活。
築かれた家庭は呆気なく終わった。
突然に亡くなった夫は、松に二人の連れ子を残した。
雪音と志郎。
生意気盛りの少年と、まだ幼い娘は、自分の産んだ子供ではない。
葬儀万端一息ついて、やっと喪があけたという頃。
寡婦となった松は、子供の頃からかかわりのある此の銀二という男と会っていた。
松の母親の男妾であった此の男は、松の最初の男。
母親が死に、松は一人で生きてゆくために、自分に異常な執着を見せる銀二を利用する。
「まったく、災難なこったな――」
「あんた――。よもや関わりないだろうね」
「な、なんのこってぃ……」
「いくらしたたか飲んでいたとはいえ、橋から落ちるなんざ間抜けすぎる。あの人……うちの亭主を、お前まさか――」
「め、滅相もねぇ、なんで俺が。やっと見つけたおめぇの太い金づるをわざわざ――俺ゃあ其処まで馬鹿じゃあねぇぜ」
「本当かい」
「本当さ――、なぁ、それよりよぉ松」
この男銀二であったら、人を殺すかもしれない。松にはそれがどうしても気になっていた。
子供の頃、松を手篭めにしたその時から消える事の無い自分への執着。
松の双眸が暗く銀二を値踏みする。
それに気づいてか銀二があわてて松の背後に回り、彼女の肩を揉みながら媚びた声を掛ける。
「なぁ、これからどうすんだ……? その若さで餓鬼が二人も残っちまって。くそ生意気な小僧と……雪音って言ったっけ、綺麗な娘だよなぁ」
「雪音……」
「金目の物をうっぱらって、離縁するか、また新しい旦那を見つけてやってもいいぜ――」
「馬鹿だね、そんな女を囲うか、娶る男なんざいないよ」
「そういうもんかねぇ――」
「うるさいね、少し黙ってな」
虫唾が走るほど此の男が嫌いだった。
羽状の家に嫁いでからは、遠ざけてはいたものの――執拗に顔を出す銀二をいずれ何かの役に立つのではと、小遣いをやって子飼いにしていた。
先ほどの雪音の名を口にした時の此の男の目は、以前、幼い自分に向けられた其れと同じ。
幼い子供、育ちきっていない少女に向ける銀二の――禍々しい眼差し。
松が何かを言いかけた時、銀二が先に声を出した。
「備前屋が、きていたなぁ」
「なんだって」
「いやぁ、おめぇんとこの亭主の焼香に備前屋がさ、来ていたと思ってよ」
「それがどうしたい」
「あそこは羽振りがいいじゃねぇか。正直善兵衛とか噂が高いが、長い事患っていた女房も先だって死んだらしいぜ――。なぁ、あそこの旦那に泣きを入れてみたらどうでぇ。正直善兵衛さんが、助けてくれるんじゃぁねぇのかぁ」
――また、男に頼って生きるのか――
知恵を巡らせ、気を使い、どれほどの容色を磨こうとも、所詮は女。
組み伏せられる悔しさ、嘲り笑うその憎々しさが松の心に湧き上がる。
男の身体の下にしか、女の棲家は無いというのか。
唇を噛み締める松の脳裏に浮かんだのは、
あの日、掌に乗せられた小さな赤い折鶴であった。




