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雪月花 ―雪―  作者: くろぬこ
銀二と松
17/29

びいどろ

若干性的な描写が含まれております。

松がさった船宿で、すっかり酔った銀二はそのまま寝転び目を瞑る。


酒に痺れる頭の中で、遠い昔を思い出す。


幼い小鳩、甘い果実。


柔らかな頬、小さな手。



武家屋敷の立ち並ぶ中、ひっそりとした佇まいのはずれの家。


若いわりには艶を含んだ男の気取った声が、草履を履く音と共に聞こえた。


「けえるぜ、また、な」



子持ち、年上の後家だった。

       

親ほども年の離れた女の色たっぷりの声が、奥座敷から男のの背中に纏わりつくように聞こえて来る。


「ご苦労様――」




「けっ、だんだんとしけてきやがったな、あの婆ばぁ……」


潜りくぐりどを抜けながら吐き捨てるように小さく呟く男、銀二。

       

まだ顎の辺りに、幼げな丸みが見える若造。

       

だがその瞳は、最早汚濁によどみ、岩下に蠢く虫のように人の心を窺わせない。



――おや、松じゃねぇか――



屋敷の外で塀に寄りかかっていた人の気配に目をやると、其処にはとおを過ぎたくらいの少女が居た。

       

声をかけても聞こえているのか、いないのか、小さなガラス細工のぽこぺんを口に銜えて夕日を浴びて遊んでいる。


「びいどろかぁ。洒落てるなぁ」

       


先程たっぷりと可愛がってやった年増女の一人娘。


母たづ。娘、松。夫を亡くし、母子二人で暮らしている。


武家の出を気取った暮らしを続ける為に、懐の温かい男を引き入れては骨の髄までしゃぶりつくす。


それが、たづと云う女である。

       

当然湧き上がる小競り合いや、いざこざの火を消して回る。

       

そんな役目で見込まれた、いうなれば淫売の色。

       

小銭を貰って厄介ごとを引き受ける。機嫌よく女の財布の紐をゆるませる。

       

貧乏侍の次男坊の成れの果てが銀二である。


金づるの男は元より、情夫いろの銀二との色事に、邪魔な娘は外へと追い払われる。


男が帰った頃合を見計らって家へと戻る。


そんな事を繰り返すのは、いったい幾つの頃からであっただろうか。


年よりもずっと大人びた横顔は、幼心を隠す仮面。

       



「もう、入っていいんじゃねぇか」

                

声をかけようとも、こちらを見やる風も無い。

       

まだ年端も行かぬ此の娘の瞳は、何時も虚ろで暗い。

       

銀二は松の隣に並んで、塀に寄りかかる。


「もう、暗くなるぜ」


細い管に息を吹き、また吸い込んで、底の薄いガラスを鳴らす。

       

ぺこぺことなるそのギヤマン細工の音が、銀二の声に応えたように聞こえてくる。

       

夕暮れに沈みかける陽を、大地が優しく迎え、抱きしめる。

       

そんな往来に子供達の姿はもう無い。


「こんな所に一人でいると、鬼がさらいに来るかも知れねえぞ――」



――鬼――

       


松は空にガラスを鳴らす手を止めて、銀二のほうに顔を向ける。

       

真っ白い雪のような顔に、すっと一筆、墨で描いた切れ長の瞳。

       

少し色の薄いその瞳に映る自分の顔は、紛れも無い鬼ではないかと銀二は胸の奥で苦笑する。


「松。蕎麦でも食いに行くか――」


そういって、小さな肩に手をかけようと手を伸ばすと、その手をくぐって家の中へと走り出して松は消えた。

       

「――へへっ。餓鬼でも、いや、餓鬼だからこそ、か。ちげぇねぇ、鬼に食われちゃたまんねぇよなぁ。っへへへへへ」


駆け出す松の小さな白いかかとと白いすねを銀二の目は見逃さない。


腐りきった黒い欲望が、へその下に湧き上がる。

       

銀二は自分の嗜好を、決して恥じることは無かった。


溢れるほどの情欲に、うっとりと妄想に耽る銀二。


たづの声が、汚らわしい愉しみを思い浮かべる一時の邪魔をする。



「松っ、野良猫みたいに家を駆け回るんじゃないよっ」




――ちっ、婆あが、胸糞わりぃ。さーて、懐も暖まったし飲みなおしといくか――




寂れた船宿、飲みつぶれて眠る銀二。

       

遠い昔の欠片の一つ一つが、まるで川に流れる灯篭とうろうの影絵のように巡っては消える。

       

松への執着は、銀二の胸の奥深くいつまでも根付いているあの時。

       

暗く眠っていた自分の求めていたものが、何であったか。はっきりと解ったあの瞬間。

       





「――松……なぁに、直ぐに塩梅あんばいがよくなる。これでおめぇは俺のもんだ……。俺が護って、でぇじにしてやるからよ――」



花を見て、手折るその手は何を思う。

       

手折られて、開く事なく剥がれ散るその花は、堕ちる花弁を幾つ数えるのだろう。

       

少女は、まるで木偶でくのように、身体を揺すられながらわらっていた。

       

大きな瞳に溢れては、流れ、消えてゆく幼い心。

       

松はずっと、誰かに向けて嗤い続けていた。

       


少女松。

       


十二の冬であった。



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