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雪月花 ―雪―  作者: くろぬこ
雪音と二吉
13/29

想い

雪音の家、スエはたすきをかけて雑巾がけをしていた。


しっかりと水を絞り、顔が映るまで磨くように拭く。どんなに水が冷たくとも、スエは其の作業が最近好きになってきた。


磨かれた廊下に映る自分の顔。おぼろげな其の姿でも、桃の家で髪を結ってもらいながら二人で覗き込んだ鏡のことを思い出す。


辛い仕事も、冷たい仕打ちも変わらぬ毎日の中で、あの楽しかった一時はスエの胸の奥でずっと輝いている。


スエはあれ以来泣くことがない。どんなに打たれようと、蹴られようと、唇を噛み締めて目を瞑れば其の目の奥に、はっきりと桃の笑顔が浮かんでくる。


――桃さんが居てくれる――


この幸薄い少女にとって桃と云う存在が、日に日に大きく、大切になってゆく。




「スエ、雪音を見なかったかい」


雪音の義母松に声を掛けられ、スエは立ち上がって返事をする。


「だ、だ、だん」


「旦那が、旦那がきてるってのかい」


「は、は、はいっ」


「おかしぃねぇ、今月はもぅ三回もきてるじゃないか……」


「は、は、はい」


「奥にいらして、どれくらいたってるんだい」


「は、は――」


懸命に応えようとするスエであったが、松の苛立ちは増すばかりである。


「あぁ、もういいよっ。お前の話を聞いてるほど暇じゃぁ無いんだ。夜が明けちまう」


「あ――」


奥座敷へ続く廊下へ消えてゆく、松の背中をスエは佇んで見送るしかなかった。


スエは小さく溜息をつくと、再びしゃがみ込んで床を磨いた。

       


目当ての部屋へと近づくと、松は静かに足を止める。

       

中の二人に気づかれぬよう、そっと耳をそばだてる。


低く優しい善兵衛の声が聞こえる。


「どうだい、考えておくれでないかい」


声音は雪音に何か決断を迫っているように思えた。


「あれが逝ってしまってもう、随分と長い。あたしは、このまま一人で老いさらばえてゆくだけだから、こんな事おまえさんに言えた話じゃないんだが――」


「旦那様……」


「何より、おたなに迎えてお前の立場をきちんとしてやりたい。幸か不幸か、子もいない。お前さんが商いを覚えてくれれば、残るもの全部まかせたっていいんだよ」


「旦那様、大店おおだなのおかみなんて……私には無理です」


「お店に迎える」善兵衛の其の言葉に、松の喉がゴクリと動いた。


「雪音――。手代の…二吉にきちを知っているだろう」


静かな間合いに、雪音が頷くのが松に伝わってくる。

       

後妻に入ってしばらくすると、夫はあっさりと事故で亡くなってしまった。

       

残された夫の連れ子たち。


雪音はまだまだ、おぼこい小娘。

       

なつく事が無かった志郎は、直ぐに家を飛び出した。

       

残されて二人、松が幼かった頃の我が身になぞらぬことは無かった。

       

そして松が選んだ道は――。


『子供を売った――。そいつが一番良かったんだ。そうさ、一番ね……』


そっと松が障子に手をかけようと手を伸ばすと、善兵衛の穏やかな声が再び聞こえて来る。


「あの男は、丁稚奉公からずっと面倒を見て来た男だ。華やかな面立ちに、浮かれて遊んだときもあったが、ああ視えて本来は、真面目で、気の優しい良い男だ。きっとお前を助けてくれる筈だよ」


「二吉、さん……」


可愛い女の漏らした呟き。


――二吉、二吉だって……?――

       

手塩にかけて磨き上げた手中のたまである、義理の娘の零した声音。

       

善兵衛は寂しげな微笑を浮かべ、俯く雪音のうなじを見ている。


雪音は俯き、そっと善兵衛を見上げる。


二人揃って松の立つ廊下に顔を向ける。


雪音は善兵衛の手をとって強く握る

       


二人の姿を知らぬ廊下の女。


松は眉間に皺を寄せ。強く拳を握りしめた。


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