繋がり
水に泳ぐ白魚のように、すらりと伸びた細い指で線香の火を軽くあおいで消すと、両手を合わせて静かに冥福を祈った。
志郎に誘われ、連れ立って桃の家にやってきた雪音は、昔と変わらぬ長屋の風情と暮らしぶりに
懐かしさと、不憫さがあいまって、複雑な眼差しでタミの位牌を見つめていた。
「もっと早く知っていたら……でも、これもタミさんの引き合わせなのねぇ」
先に線香を上げた志郎が、出された塩結びを早くも頬張っている。
「そうか、スエが世話になったのか。世話好きなところも似てるんだな――ぐっ、げほっげほ」
「兄さんったら」
「慌てなくても、まだ、たんとこさえてありますよ」
その一言を聞いて「まぁ」と雪音は小さな声を漏らす。
兄が語った桃の様子。タミの不幸。
大好きだったタミ。家族同様に思っていた。
そうして目の前に居るあの、小さな女の子であった桃。
だが今、桃は本当に昔のタミに生き写しの面差し。
しかも口調から口癖まで。タミの握り飯をほおばる兄に、いつも云ってくれた「まだ、たんとこさえてありますよ」と。
まるで幼かったあの頃に、戻ったような……。そんな光景を目の当たりにし、雪音の瞳が潤んで揺れる。
「なぁ、本当に似ているだろう」
兄は「どうだ」といわんばかりの得意顔で、もう一つ握り飯に手を伸ばす。
「本当。兄さんから聞いていた通り……。久しぶりに見て直ぐに似ているとは思ったけど――。声から話しかた、言っていることまでそっくり」
「そしてこの結びの味もそっくりだ。うんうん、梅酢はいらんな。正解だ」
「兄さん、もう……。ごめんなさいね桃ちゃん。何時までも子供みたいな人で」
「何を言うか」
「あっははは、羨ましいですよ。あたしには兄弟が居ないから」
屈託無く笑う桃の笑顔に、雪音の胸が切なさに締め付けられる。
若い娘が独り、懸命に暮らしている。そんな様子が伺える、つましい長屋。
どれほど心細いであろう、寂しいであろうか。雪音は、自らを振り返り改めてこの、タミの娘である桃に感心する。
「できる事があったらいってね」
「ありがとう。でもさ、結構一人で頑張れてるんだよ」
「若い女の子が一人で。桃ちゃんは偉いわ。それでも、遠慮なんてしないでね」
「そうだ、遠慮するな。タミには何にもしてやれなかったからな」
何年も会えずにいた雪音と志郎。だが変わらずに優しい言葉に、桃はずっと胸にあった事を切り出してみることにした。
「――じゃぁ、じゃぁさ」
「スエちゃん、ね」
「雪ちゃん」
桃とスエの出会いは聞いた。嘘偽りの無い真の話と雪音にはわかる。
桃の心配も。
だがしかし、だからこそ雪音は何も言えなかった。
あの時も、あの日だって、雪音は何時も背を向けて隠れていただけ。
部屋の隅で、泣きながら震えて蹲っている事しか出来なかったのだから
「志郎さん」
志郎も押し黙って口をつぐむ。
志郎と二人、今日はスエを誘ってみた。だが――。
「今日もね、一緒に来ないか誘ったの。だけど首を振るばかりで」
「あいつは」
「解るよ。あたしに心配かけたくないんだねぇ」
「先だっての時も、きっと痣を見せたくなかったんだろう」
桃は二人の顔を交互に見詰める。
先程までと打って変わり、目を伏せて俯く姿を。
「――ごめんよ、雪ちゃん。あたし久しぶりにあって差し出がましいとは思うんだよ」
解っている。この優しい二人が、気に病まぬはずがない。放って置いているわけである筈が。
「でもさ、言わせとくれよ。雪ちゃん、どうして庇ってやんないんだい。あたしの知ってる雪ちゃんはさ、昔の雪ちゃんはさ、あたしを大きな犬から護ってくれた雪ちゃんじゃないか」
桃の話に二人は顔を上げる。
「犬」
「そんな事もあったわね」
「そいつは、初耳だなぁ」
「大きな犬に出くわして、怖くて動けなくて震えていたあたしの前に両手を開いて仁王立ちして――」
「ほぅ」
「恐ろしかった。牙をむいて唸る犬が、吠え立てる声が怖くて仕方がなかった。だけど目をそらしたら、後ろで震えている桃ちゃんが危ない―そう思ったら一歩も後には引けなかった」
「結局犬とにらめっこかい」
「それがね、後ろで震えていたはずの桃ちゃんが、いきなり『雪ちゃんあぶないっ』って言ってね」
「ほぅほぅ」
「石を拾って犬めがけて投げ始めたのよ」
「わっはっは、そいつぁ逞しいやっ」
「だって――。っ雪ちゃんも投げたじゃない」
「だって――。小さい桃ちゃんが頑張ってるし……というか、犬が本気で怒り出して怖かったんだもの」
「そのときの威勢、どこにいっちまったんだろうなぁ」
小さな勇気。
思い出が三人の胸の中の何かを揺り動かそうとしていた。




