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雪月花 ―雪―  作者: くろぬこ
其々の花
11/29

面影

雪音の家から少し歩くと、静かな小川が有る。


黄金色の夕日に染まる肩を並べ、土手に座る若い男女。


先程、雪音の家を訪ねてきた若い娘。


そしてスエの代わりに応じて出た若い男。


だが並んで座る二人の姿は至極自然で、さながら兄と妹のように見えるほど。


男は手元に小さな石を持って、水面に投げている。


水を切って跳ぶ石を娘は見詰めて居る。


そしてその瞳を男の横顔に向け、しみじみと口を開いた。



「まったく、すっかり見違えておっさんになっちまったんですねぇ。志郎さん」


「おっさんはないだろう、おっさんは。おまえさんこそ、随分と、その、なんだ」


志郎と呼ばれ、今照れ臭そうに口ごもる男。雪音の兄、羽状 志郎である。


「なんですか」


「タミに、瓜二つだぞ」


「あら」と云って頬に手を当てた娘は桃。


羽状の家で奉公をしていた母タミ。桃は雪音、志郎の二人とは幼馴染。


小さな時から優しく美しい雪音と、物静かな兄、志郎は大好きな友達。


つい先日思わぬことで知り合ったスエを案じて、訪ね歩き、今、志郎と桃は巡り合ったのである。




「顔つきも声もだが、なんだかなぁ」


「なんですったら」


「その、物言いといいさ、まるでタミだぞ」


「そりゃぁ、親子ですから」


「まぁ、な」


「でも、嬉しい。そうかぁ、おっかさんに似てるんだ、あたし」


「雪の乳母で来たタミだったが、俺もよく世話かけたなぁ」


「そうなんですか。あたしが雪ちゃんと遊んでた頃には、志郎さんはお勉強なさってるから邪魔しちゃいけない、ってよく叱られましたよ」


「そうかい、そいつはすまなかったな」


「志郎さんのせいじゃありませんよ」


「厳しかった親父に叱られちゃぁ、蔵に閉じ込められてた俺に、よく握り飯を差し入れしてくれたっけ」


「まぁ、そんなにやんちゃだったなんて、意外」


「其の逆さ。本ばっかり読んでいて情けない、男子はもっと武芸に励めと言いやがるから、俺はしょっちゅう反抗してな」


「まぁ」


「タミは、奥様からといって持ってきてくれたが、親父を恐れたお袋がそんなことするはずが無い」


「でも――」


「何より証拠にな、母が握る握り飯はこう、型でとったかのようにきっちりと三角で結んであってな」


「へぇ」


「其の上に、結ぶときに手に薄っすらと梅酢を何時もつけてたんだ」


「風雅ですねぇ」


「それだけじゃぁねぇよ、傷みも遅くなるしな、ってそんなこたどうでもいいんだ。だがよ、タミの持ってくる結びは三角ってよりも、もう、なんというか――丸だ」


「あっはは、わかる」


「なんだ、変わってないんだな。丁度、茶碗一杯ほどの小さい塩結びだったが、美味かったなぁ」


「うんうん」


志郎は不思議な感覚を覚えた。


今横にいて嬉しそうに笑っている娘。


口調、声、仕草までもタミに似ていた。


志郎の胸に幸せだった頃が甦る。


父、母、妹。そして、タミ。


くるくると良く働き、良く笑う。悪さをして叱られたこともあった。


懸命に説教をしてくれた。目に涙を一杯溜めて。


あの懐かしい日々。少年だった淡い想い。



ふと思いついて志郎は再び口を開く。


無性にタミに逢いたくなったのだ。年老いただろう、覚えているだろうか。話したいことは山ほど、だがそれよりも何よりも――。


「おう、なんだかタミの塩むすびが食べたくなってきたぞ。家は近いんだろう、直ぐ行こう。よし、タミのすきそうな饅頭でも買っていくか」


「あ」


桃の顔から一瞬、笑みが消えた。


「うん、どうした。急でだめなら日を改めて――」


「違うの、志郎さん」


「ん」


「おっかさんね」


「おう」


「死んじゃった」


「っ、何時」


「去年」


「そうか――そいつは」


「うん」


「そいつは、すまなかった」


「謝る事じゃないですよ」


「いや、すまん」


大丈夫、と云うように微笑む桃。年下の娘の桃が志郎には妙に大人に見えた。


「饅頭を、買っていってやりたいんだが」


「ありがとうございます。でも――」


「ん、だめなのか」


「志郎さんみたいに胡散臭い男連れ込んだと知れたら長屋の連中がなんていうか」


「ぐっ、な、なんだ。じゃぁ、髪も切ってゆく、髭だってちゃんとあたってだな―」


「あっはっは、嘘ですよ。やですよ、真に受けて」


「ぬぉっ、此れは一本とられたな」


「あっははは。おっかさんの話が聞けて嬉しかった。何時だっていらしてくださいな。もっとおっかさんの話を聞かせてくださいな」


「お、おぅ」


「おっかさんゆずりのまぁるい塩結び、ご馳走しますよ」


「おう」


「梅酢もちゃんとつけましょうかね」



――健気な娘になっちまったなぁ。あんたの娘。だが、いい娘だ。自慢の娘だよなぁ……なぁ、タミ――




「それとも無い方がいいですか」


覗き込むように志郎におどけてみせる。


それは、彼の目に揺らぎが見えたから。


哀しい時、辛い時。


目に溜まってしまう涙を零さぬように、志郎は小さい時から目にぐっと力を入れて堪える癖があった。


そんな時、決まってタミが志郎の顔を覗き込んだ。


大好きなタミに泣いて見せるものかと、唇を噛み締める志郎を、タミが笑わせてくれたものであった。


「本当に……タミに似ていやがる」


志郎は立ち上がって、大きな掌で顔を覆う。


成長した志郎は、泪を恥じることの無い男となったのである。


「うっふふふ」


桃は何故だか心がくすぐられる思いがした。


母を亡くし、娘一人暮らす桃には母を知り、己を知る存在に再びめぐり合えたことが、心から嬉しかった。



顔から手を降ろし、桃を振り返った志郎は、もう先程のさわやかな笑顔を見せていた。


「だが、もう少し若い娘らしくしても良いかと思うぞ」


「若い娘に変わりはないんだから、これでいいんですよ。それにね――」


言いかける桃の言葉を遮るように志郎が口を挟む。


「そうしていると、タミと一緒に居るようで、寂しくない――か」


「意地が、悪いですよ」


本の少し恨めしそうに志郎を見上げた桃が年相応に愛らしく視えた。



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