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アイラブ桐生・第二部 17~19

作者: 落合順平

アイラブ桐生・第二部

(17)第1章 怪人たちの館に美女がいる

『3人組の女の子たち』



 あの日の一件以来、茨城君との交遊が一気に親密になりました。

とはいえその目的は明白です。

もちろん当の茨城君の下心も見え見えでした。度ある毎に、呑みに誘われます。

さっちゃんを誘い出すことが目的でしたが、そうなると当たり前のように、

例の3人娘も付いてきます。



 すこしだけ、(あの3人娘が)苦手だと言うと

まァいい手を考えるから、今晩あたりにまたどうだ、と茨城くんは誘います。

呑むのは嫌いでもないし、しばらく呑みにも出ていないので

いいだろうと落ち合う時間を決めてから、あとは、いつものように

適当に仕事を片づけることにしました。

心当たりがあるわけでもないので、守が行きつけの、あのお下げ髪で、

栃木なまりの娘のいる店で待ち合わせることになりました。



 「あら、群馬。

 (東京が)初めての割には、

 ずいぶんと、小洒落た処を知ってるのね~」


 「へぇ~見かけに寄らず、中は広いんだぁ!」




 がやがやどかどか、好き勝手な感想を口にしながら

怪奇館の3人娘とさっちゃんが現われたのは、約束時間の少し前でした。


 「茨城くんは、まだだけど・・・・」


 「いいからいいから気にしない、気にしない。

 あいつなら、一張羅の背広にネクタイをむすぶのに手こずって

 どうせ遅刻してくるから、もう勝手に始めましょう」


 え、あいつが背広にネクタイ?・・・・

ほんとうですかと大げさに驚いて見せると

澄ました顔で、スレンダーな姐ごがスッパリと言い切ります。




 「いつものことで有名な話だわよ、ねぇ~みんな」



 当のさっちゃんも、苦笑をしています。

どうやらこうした展開は、初めてのことではないようです。



 「私たちは、ダシなのよ。

 まぁ、それはあんたも一緒のことだけど。

 それでね、そのうちになんだかんだと茨城が理由をつけて、

 苦しい言い訳をさんざんしゃべたあげくに、さっちゃんと二人になりたがるの。

 まぁね・・・・それも毎度のことだけど。」



 さっちゃんは、下をむいたまま笑いをこらえています。



 「ばっかなんだよね~茨城は。

 さっちゃんも、もうその気になっているから、いつでもOKなのに、

 あのバカったら何を勘違いしているのか、さっちゃんの本心に気がついていないのよ。

 鈍感と言うか、臆病すぎるというのかしら、とにかく『晩熟おくて』なのよ・・・・

 相も変わらずあの手この手で、さっちゃんにカマをかけ続けてくるんだもの。

 面白いから、もうすこしだけ、みんなもさっちゃんも、

 気がつかないふりをしてるだけなの。」


 ここだけの話だよ、と姐肌がきつくクギをさしました。






 やがて茨城君が、姐肌が言い当てた格好のままで現れました。

三畳の小上がりで、男女の6人がひしめきあいながらの酒盛りのはじまりです。

途中で、顔を出した守が一声だけの挨拶に来ましたがすぐに離れて、

一人でカウンターで飲み始めました。



 やがて姐肌が言ったとおりに・・

席をたつための言い訳を、さんざん繰り返した茨城君が、

さっちゃんに、せわしない目配せをしながら赤い顔をしながら立ちあがりました。

茨城君がみんなに背中を見せて、わずかに隙を見せた一瞬に、

さっちゃんが、すかさずV字のサインをつくります。

3人娘も、すかさず返事のOKのサインを出します。

なんと全員が、両手で頭の上に大きな丸の形をつくりました。

どうやらこれも、恒例といえる決まり事のようです・・・

知らぬは茨城くん、ただ一人です。



 人の恋路にもいろいろあるものだと、つくづく思った瞬間です。

あいつ、いや茨城君は、まださっちゃんを口説けていないのでしょうか・・・

人ごととはいえ、すこし茨城君が不憫になった瞬間でした。






 茨城君とさっちゃんが去ったその後も、4人で2時間余りの談笑がつづきました。

会話が途切れた瞬間に、ふと沖縄の話題が飛び出しました。

沖縄には東南アジアへの圧力のために、圧倒的な規模を誇る米軍基地が密集をしています。

沖縄自体も終戦以降、長年にわたりアメリカ軍に統治をされたままでした。

72年には本土復帰が決まったものの、いまだに戦争が終結をしていない

日本国内では唯一の『占領支配地』です。



 「えっ、パスポートが必要なの、沖縄って」


 「知らないのっ、あんた」



 「いやいや、米軍に占拠されて、

 アメリカの統治下だというのは知っているけど

 まさか、そこと行き来するのにパスポートが必要なんて、

 そこまでは知らなかった。」


 「安保のデモに、行ったんでしょ。」


 「しかしそこまでは・・・」



 「施政権がないということは、

 日本であっても、日本の法律が通用しないからには、そこは外国だという話でしょ。

 外国ならパスポートもあたりまえでしょう」


 「へぇ、そうなんだぁ・・・」



 びっくりするほど、実は意外にまじめな3人娘です。

見た目と、着飾っている雰囲気とは裏腹に、

政治的にはしっかりとした自分の意見も持っています。




 「そういえばどうなった、今度の沖縄派遣のはなし?」


 「今年は行こうと思っているの。

 一度、むこうの様子をじかにこの目でみたいもの。」


 「さすが全共闘!」



 「馬鹿ね、

 私の兄貴が全共闘くずれだけの話だわ。

 今はもう卒業をして、学校の先生を真面目にやっているわよ。

 その兄貴がいつも言うの。

 沖縄には、日本の未来が潜んでいる。

 ただ単にアメリカに占領されているだけでなく、

 やがてアジア全体も巻き込んで、日本が戦略上で重大な役割を担うことになる。

 日本が、アメリカに従属しているということの本当の意味が沖縄にある。

 いまがそれを見る最後のチャンスになるだろう、

 施政権返還前に一度、本当の姿を見てこいって、いつも言ってるの。

・・・だから今回こそ、優子と行ってこようと思ってる」




 優子と呼ばれた、沖縄出身の女の子も同じようにうなずいています。

この時はたまたまに出てきた話題のひとつとして、気にも留めず、

ただ漠然と簡単に、聞き流していました。

しかしこれから数カ月の後に、この子と沖縄出身の優子の3人で

まる2日間の日程をかけて、沖縄を目指して旅に出ることになるのです。



 少し遅い時間になってくるとお店も空いてきて、

カウンターの客は守と、もうひと組みのサラリーマンだけになってしまいました。

守は声をひそめてカウンター越しに、お下げ髪と先ほどから延々と話込んでいます。

そのうちにお下げ髪がなにかを守に耳打ちをすると、そのまま厨房へ消えてしまいました。

あれ・・・なんだか妙な雰囲気になってきたぞと、ぼんやり見ていると、

また、姐肌の不意打ちが飛んできました。



 「ねぇ、じゃあ、あんたも来るわね、群馬くん」


 えっと驚いて女性陣を振り返ます。

姐肌が、やっぱりという顔で待ち構えていました。




 「あんたは人の話を全然、聞いてない。

 みんなでやっているデッサン会にあなたもまぜてあげるから、

 遊びに来てくださいって言ったのに!」




 そうだ・・・・その話で盛り上がっていたところです。

ここにいる3人娘は、週に一度そろって全員でデッサンの勉強会を開いています。

全共闘くずれの兄を持つ。妹の部屋で、夕方から深夜までとにかく集中して

書きまくるという勉強会でした。

男は混ぜない主義でやってきたけれど、あんただけは特別だからといわれました。

もしもデザインをやるのなら、デッサンは欠かせないから、

武者修行に出掛けるつもりでやってこいと、重ねてクギをさされました。




 「遊び呆けて堕落しないために、

 週に一度の精神修行の場みたいなものよ。

 誘惑が多いんだもの、田舎から出てきたばかりの美人には。

 ・・・冗談はさておいて、

 地方出身は状況に流されやすいのよ。

 初めて親元を離れてきたために、最初のうちは緊張をしているけど、

 見るものも、聞くものも新鮮だもの、やがて次から次に手を出すの。

 あげく、私たちは3人そろって、最初の一年目は、遊びすぎちゃいました。

 その反省からの、勉強会です。

 見た目以上に、結構まじめでしょう・・

 わたしたち。」





 真面目な美大生ぶりに、思わずこの3人を見直しました。

そろそろ上がろうかと言う声が出て、じゃあその時にはよろしくと言って席を立ちました。

女性陣は思いのほか呑み過ぎているために、酔いざましもかけて

すこし夜道を歩いてくると、反対側の方向へ、もつれ合いながら歩き始めました。

その辺でつまらない男に手を出すんじゃないよと一声かけたら、

そんなに心配ならボディガードに着いて来いと、姐肌が切り返されました・・・・



 「送り狼になってもいいのか」と再び言葉を投げると、

今夜は酒で充分に酔っているから、男に酔うのはまた明日で結構ですと、

拒絶の捨て台詞をはいて、3人組が夜の町角へ消えて行きました。



 3人へ手を振るのをやめて、帰りの方向に顔を向けた時、

お店の路地にたたずんでいるお下げの姿が、流れる視線の中で垣間見えました。

あれ・・・何だろうとも思う間もなく、こちらの気配に気がついたのか、

ぺこりと頭をさげたお下げが、あわててお店の裏口に駆け込んでいってしまいます。


 ふと、なんとなくですが、この瞬間にいやな予感がありました。



 そういえば、守との

カウンター越しのひそひそ話が、妙に長かったと感じたことが

いまさらのように思い出されました。

そういえば、守はいつの間に帰ったのでしょうか、それすら

まったく気がつきませんでした。









アイラブ桐生

(18)第1章 デッサンの合間に(1)

『お下げからの電話』




 上京から早くも3か月目になろうとしています。

東京の暮らし方にも随分と慣れてきました。

温かい日も多くなり、公園で見かける桜のつぼみもだいぶ大きくなりました。



 青柳インテリャで朗報がありました。

まもなく子供が生まれようとしている新婚家庭へ、今まで好意的ではなかった

奥さんの実家から、母親だけが単身で上京をしてきました。


 奥さんには内緒で、ひげ社長が奥さんの実家へ何度も足を運んだ結果です。

頭を畳にこすりつけて、ひたすら頼みこんできました。

あらためて結婚の許可を願い出たうえに、出産にいたるまでの顛末を

ただひたすらに詫びてきたといいます。

「お父さんは意地をはっていますが、なにそのうちに、初孫の顔を見れば

あとは自分で何とか考えるでしょう。

初孫が可愛くないはずなどがありません、まぁもう・・・・風前の灯です。」

と娘の顔を見ながらおばあちゃんは、笑いのけていました。

これでようやく産後の環境が整って、奥さんも安心して出産に臨めそうです。




 デッサン会のほうも順調にすすんでいました。

さっちゃんも顔をだして、都合5人での勉強会になりました。

テーマーと書く素材を決めてから、決められた時間内でそれぞれが一斉に書きはじめます。

決められた時間がくるとデッサン帳をそれぞれの隣に渡します。

また新しいページへ、次の書き込みを始めます。



 ぐるりと一周をする自分のデッサン帳が、自身の手元に戻ってくるまで

この勉強会は、時間をかけて繰り返されます。

こうすることでと、5人全員の画が自分の手元に残ります。

他人が書いたものと見比べると、技術はもとより、その思考や感性の違いまでを

目の当たりに確認することが出来ました。





 何がどう違うのか・・・サンプルの同時比較ともいえるこの勉強会は、

実に分かりやすいうえに、それなりの収穫がありました。

驚かされたのは、姐肌の持っている図抜けたデッサン力とその技量でした。



 姐ごのデッサンは、磨きぬかれた線一本で、

見事なまでに的確に、対象物をぞんぶんなまでに表現しきりました。

緻密ともいえるデッサンの出来栄えには、驚嘆すべきものがあります。

この人の才能は別格だ・・・・ 瞬時にそう思えるほどの出来栄えでした。



 ただ、たいへん残念なことに、このメンバーに茨城くんは入れてもらえません。

何で俺だけ・・と度あるごとに嘆いています。

どうも恋の行方と似たようなところがあって、いまだに悪女たちには焦らされています。

そう言えばいまだにさっちゃんも、茨城君を焦らし続けていました。

(う~ん・・、可愛い顔をしているくせに、こいつも悪女の一人だ。)




 新築住宅でのカーテンレールの取り付けが予定よりも早く終わり、

今日はもう、こんなところで早じまいでいいだろうと、

3時過ぎに戻ってきた日のことです。

産み月が迫ってきて(おなかが)ずいぶんと大きくなり、

歩くのがやっとに見える奥さんが、帰宅と同時に声をかけてきました。



 「ねぇ、群馬くん。

 もう彼女ができましたか?。

 どうしても会ってお話がしたいって、

 女の子から何度も、泣きそうな声で電話がかってきてました。

 隅におけませんねぇ・・・

 あまり、女性を泣かせないようにしてください。」



 と笑いながら、ひげ社長や茨城くんには見えないように

袖に隠して、電話番号のメモを渡してくれました。

そんなに大げさなことまでしなくても・・・と思ってよく見たら

一万円札も一緒にはいっていました。

「給料日前でしょう、でも、利息はちゃんといただきますから」

と、にっこりと笑います。




 アパートに戻ってから電話をかけると、お下げはすぐに出ました。

しかし電話口に出た気配はあるものの、肝心の声はいつまで待っても

耳に届いててきません。

良からぬ話かもしれないと腹をくくった上で、こちらから話を切り出しました。

ほどなくして、聞き覚えのある声がようやく、

(周りを気にするような雰囲気を伴いながら)小さく響いてきました。



「これから会ってもらえますか」と短く言います。


それだけ言うと、電話はまた無言状態になってしまいました。

今日はもう、別に用事もありませんので何時でも大丈夫です、と応えました。

快諾の返事を届けた瞬間に、電話の向こうからは、何故かほっとしたような

そんな感じの空気が伝わってきました。





 お下げに指定されたのは、駅近くの喫茶店でした。

そういえばお下げと、昼間に会うのは初めてのことです。

太陽の下で見ると意外なほど色白で、薄いお化粧の下でちょっとだけ

そばかすが目立つことに、今日初めて気がつきました。



 しかし今日は、いつも見る飲み屋の時の雰囲気とは、だいぶ違っています。

素顔に近いお化粧のため、、別人のように見えるだけでなく、

いつもの持ち前の元気が、まったく鳴りを潜めています。

いつまで経ってもうつむいたままで、なかなか話を切り出してくれません。

(たぶん、難しい話か、言いにくいことだ・・・)そんな気配が濃厚に漂います。

こちらからきっかけを作りました。



 「今日はもう仕事が終わりですので、時間もたっぷりあるし、

 ゆっくりすることができます。

 よかったら、すこし歩きませんか、

 天気が良いので、公園の辺りも良いと思います。

 まあ、歩く相手が私でよければの話ですが・・」



 

 お下げと喫茶店を出て、公園を目指す露路を歩き始めました。

お下げは無言のまま、数歩遅れて着いてきます。

公園に人影は無く、静かそのものの空間が待っていました。

(静かすぎるなあ・・・逆効果になるかもしれないぞ・・・)

時間の経過と共に、これはもう、面と向かって話してもらえるような

内容ではないという推測が、やがて確信に変わりはじめました。



 絶対に、厄介な話だ・・・

その話を聞いたところで、今の俺の手に負えるのだろうか・・・

そんな風に考え始めると、歩いている周りの景色さえ目に入らなくなりました。

さらに待っても埒があかないために、こちらも覚悟を決め直します。

呼びだされた用件を、正面から聞いてみることにしました。

その時になって初めて、お下げの目線がこちら見つめてきました。



 「お願い事があって、守さんのお友達のあなたにお電話をしたのですが・・・、

 厚かましすぎるような気がしてきました。

 うまく説明もできません。

 たぶん、自分一人でなんとかしなければならない問題です。

 出来ることなら、どなたかに相談をしたいのですが、

 私には、東京で相談出来る相手はひとりもいません。

 今の私には・・」


 「守にも相談が、出来ないようなこと、?。」



 お下げの目に、哀しい色が浮かびました。

まさかと思っていた私の最悪の推測が、核心を突いたようです。

小さな声での返事が返ってきました。


 「実は、できれば、明日・・

 産科へ・・・一緒に行ってもらえませんか・・」



 お下げがそれだけのことを、

すべての想いを込めてやっと言いきりました。

まだいっぱい残っているはずの、状況を説明すべきたくさんの言葉を、

全部まとめて呑みこんだまま、お下げがさらに無口になってしまいます。

固く結ばれたお下げの唇には、全ての想いが滲んでいます・・・・

やがて、公園のベンチへ崩れるようにして、お下げが座り込んでしまいました。






 お下げ髪の京子の頼み事には、承諾の返事を返しました。

何とも言えない重い気持ちを引きずりながら、アパートまでは

なるべく遠回りの道を選びながら戻りました。

重大な決断をしてしまったその直後に必ず訪れる、後悔の気持ちがもう騒ぎ始めました。

じっと噛みしめているうちに、本当にこれでよかったのかどうかと何度も逡巡をする、

なんともやりきれないざわめきが、沸沸とこみあげています。




 「これは、おそらく俺の手にはおえない・・・」




 人口中絶。

最近のマスコミの報道などで、よく耳にする言葉です。

無軌道な若者たちを中心に、性モラルの荒廃によって生みだされてきた

(当然の結果ともいえる)社会悪のひとつです。

安易で危険な人工中絶もまた、必要悪として流行をするきざしさえ見せはじめました。

そして例外は無く、守と京子もその問題に直面をしました。



 お下げの京子は、守の荷物にはなりたくないから、

黙って堕したいと、最後にきっぱりと言い切ってしまいました。

私では、まったく説得することができません。

やりきれない気分のまま、天井を眺めて部屋の中でゴロゴロしていました。

しかしどうにもやりきれません・・・・

(堕ろすことが正解とは思えないが、現状ではどうにもならない・・)

段々と、いたたまれない気分になってきたために、

気晴らしのために、すこし外へ出て歩くことにしました。




 表に出てから、新聞店の角を無意識に左へ曲がりました。

いつもの交差点に行き当ったところで、思わずハタと立ち止まります。

右か左か・・・・どちらへ行こうかと今頃になってから思案していたら、ポンと、

薄茶色のサングラスをかけた(きわめて若いと思われる)女性に肩を叩かれました。

白いスーツを身につけていて、しゃなりとしている肢体が都会風に綺麗です。

誘惑的な、甘い香水も漂いました。

(いい女だな、こういうのが、大人の女の匂いかな?)




 「なにしてんのさぁ、群馬!」



 あれ・・・意外なことに良く見ると女の正体は、百合絵です。

3人娘の、姐肌の本名は百合絵です。

それにしても・・・・

いま目の前に居る百合絵は、普段とは完璧に別の人です。

私の知っている百合絵は、髪を振り乱しながらいつも一心に画筆を動かしている、

飾り気のまったくない、そばかす美人の乙女です。

それが、綺麗にお化粧をしたうえに、細身のスーツまでを着こなしてしまうと

どこからどう見ても、成熟しきった大人の、別の女性に見えてしまいます。




 「失礼な目で見るわねぇ~あんた。群馬。

 あんたのその失礼な目付きは、まるっきり女に飢えている目だわよ。

 それともいい女をみるのは、これが初めてかしら。

 そんなにジロジロと見ないで頂戴。

 これでも今日は、精一杯におめかしているの。

 どう・・・・私もまんざらでもないでしょう、

 いい女でしょ。」



 たしかにいい女でした。



 「ごめんごめん、そんなつもりは・・」と、こちらもしどろもどろです。



 「これから出勤なの。

 で、あんたは、どうしたの。

 所在なさそうだけど・・暇してるみたいだわねぇ~

 どうする?

 あたしも時間が少しあるから、その辺でお茶でもする。

 めったにいい女に変身しないんだもの、今日の百合絵はおすすめよ。

 そういえば・・・あんたには、女の気配がまったく見えないわね。

 彼女は居ないの、それともつくらない主義?

 わたしはどうよ、

 まんざらでもないでしょう。」




 体をくねらせながらマリりんモンローばりの、

きわめて色っぽいウインクをされてしまいました・・・・

平常時に行き会えば、たしかに悩殺されていたかもしれません。

しかしまりにも無感動に近い反応ぶりと、

さえない顔つきから、ついに百合絵に詰い詰められてしまいました。

少し口ごもっていると、いきなり百合絵が距離を詰めてきます。

2歩ほどあった空間が一気に詰まり、形の良い唇と甘い香りが急接近をしました。

長いまつげが、正面から迫ってきます・・・・

ついに負けて、今日あった事のすべてを白状してしまいました。



 「そう・・・

 それは降ってわいたような災難だ。

 よし、この百合絵さんが一肌脱ごう・・群馬のためだ。

 お店が終わったら、

 少し考えてみるから明日はわたしも着いていく。

 まかせてよ、こうみえても私は田舎の大家族の出身なのよ。

 家族の話なら、大の得意だわ。」


 家族のはなしとは若干違うとは思いましたが・・

百合絵は悠然と、形の良い胸を張って見せました。

「じゃ、また明日ね」と、後ろ姿で手を振りながら、百合絵は颯爽とお尻を振って

お店へ出勤をしていきます。

あれ、あいつもレイコになんとなく似た雰囲気を持っている・・・・

後ろ姿を見送りながら、漠然とそんなことを感じていました。






アイラブ桐生

(19)第1章 デッサンの合間に(2)

『京子の瞳』




 翌朝、怪奇館の百合絵の部屋には、女4人が勢ぞろいをしていました。

お互いに顔は見知っているはずだから、いいから京子をここまで連れて来いと

強い口調で命令されてしまいました。

なにか秘策でも見つかったのかと聞き返すと・・・・




 「そんなものが、簡単に見つかるはずがないでしょう。

 考えているのは、単なる女同士の井戸端会議だよ。」


 まんざら考えていない訳ではないが、男のあなたに説明したところで

到底理解ができない世界だから、いいから、あんたは早く呼びに行けと、

強い剣幕のままアパートを追い出されてしまいました。



 約束の場所では、京子が白い顔でうつむいていました。

病院へ行く前の、少しだけ紹介したい人たちがいるからと説得をすると、

余り疑いもせずに、黙って後ろから怪奇館までについてきました。




(覚悟を決めた女は、ひたすら強いと言う話はよく聞きますが

京子からも、何が有ってももう動じないと言う決意ぶりが強く見えました・・・)


 百合絵の部屋に案内をした瞬間、

待ちかまえていた笑顔の女どもが、あっというまに京子を取り囲みます。

私も入ろうとした寸前に、「女たちだけの話に、男は邪魔だ!」と

ドアが猛烈に閉められました。

じゃあ私はどうしたらいいのだ、とドア越しに聞けば、今度は

「いいから、2~3時間潰しておいで~」と軽く、いなされました。

追い出されたままに階下の茨城くんを訪ねると

朝からのただならぬ異様な気配に、すでに気がついていたようです。



 「なにが起ったの?

 さっちゃんも2階へに来ているようだけど・・

 お前はなにが起きたか知っているんだろう。

 連れてきたお下げ髪は、例の飲み屋の看板娘か

 女が5人、いったい何が始まるんだ・・・なあ群馬。」



 説明すると長くなる。

まあ、いいから映画でも見に行こうと、茨城君と連れだってアパートを出ました。

女同士の話の決着が、どのようにつくのかはまったく予測がつきません。

同じ空間にひたすら待機しているのが、どうにも耐えられないだけのことでした。

大好きな「フ―テンの寅さん」をリバイバル館でぼんやりと観た後、

立ち食いの蕎麦を掻き込みます。

どうにも遅く進む時計の針を横目で見ながら四苦八苦で、さらに時間をつぶしました。

アパートに戻った時は、すでに正午をすこし回っていました。




 戻った瞬間に二階から、声がかかりました。

この重大な時に、貴方達はなにをのんびりと遊び回っているのと、

きつい目をした百合絵から、こっぴどく怒られました。

今度は、急いでハンコを持って2階へ上がってこいと命令をしています。

旅の途中なので三文版しか持っていないが、それで大丈夫なのかと聞き返すと

いいからそいつを持ってさっさと上がって来いと、さらに高飛車にせかします。

(う~ん、こいつまで、レイコみたいな命令口調になってきたぞ・・・・)




 ハンコを持って百合絵の部屋へ上がっていくと、

女5人が車座になったその真ん中に、婚姻届が置いてありました。

(婚姻届! なるほど・・・3人寄れば文殊の知恵と言うが、

女が5人も居ると、途方もない手を思いつくもんだ。へぇ・・・・)



 女性が記入する欄には、すでに京子の名前と本籍地の住所が書いてありました。

さらに立会人の欄には、流れるような筆跡で百合絵の名前が書いてあり、

そこにはすでに、綺麗にハンコが押されています。

反対側にある立会人の欄には、おまえの名前を書いてハンコを押せと、

百合絵が、婚姻届を私の目の前に押し出しました。

「だ、いつ出すの、これって?」と聞きながら書きこんでいると



 「これから次第の話。

 本籍地から戸籍の書類を取り寄せないと、正式なものにはならないし、

 あなたの友人が、承諾するかどうかも微妙だわ。

 でもまぁとりあえず、京子には気休めになると思う。

 今のこの時点で、母と赤ちゃんの二人が生きている証明書なのよ。

 これを突き付ければ、たぶんあんたの同級生も、

 重く受け止めてくれると思う。」




 ここまでは女性陣のアイディアで、順調に事が進みました。

しかしこれ以降が、大変なことになりました。

夕方からは全員で飲みに出かけようという約束は、すでに出来あがっています。

問題は、その簡までの時間ををどう過ごすかでした。

それまでの時間潰しもかねて、百合絵の発案で京子をモデルに

画を書こうということに決まりました。




 運悪く、途中からこの様子をのぞき見に来た茨城も、企みに巻き込まれました。

しかし、長時間もモデルを頼むと、京子は身重だから・・と言いかけた処で、

百合絵にスケッチブックで、本気で殴られました。

(もう少し空気を読め。このとうへんぼく。)

急接近してきた百合絵の両目が、本気の怒りで燃えていました。

(そうだ、まだ解決したわけでは無い。これから先が本番なんだ・・・)



 百合絵の意図するところは、よくはわかりません。

とにかく展覧会に出す時のように、自分の代表作を仕上げるつもりで書けと

きつい宣言をされてから、6人によるデッサン会が始まりました。



 ただしモデルの京子にはすこぶる優しいデッサン会でした。

10分もすると、もう休憩が入ります。

モデルが休息している間は、めいめいに細かい部分を仕上げるようにと、

勝手に百合絵がルールを決めてしまいます。

結局、モデルを見ながら書いている時間よりも、細部をしあげている時間のほうが

多くなってしまいました。

百合絵は京子にはりついたままです。

妹と世間話をしている姉のような雰囲気がありました。



 いろいろな角度から書かれた、京子の作品集が出来上がりました。

やはりここでも百合絵の画が、ひときわ抜きん出ていました。

つぶらに描きこまれた京子の瞳の中には、人生そのものを覗きこんでいるような、

凄さと、迫力が秘められていました。

それでいて、どこかに心になごむような優しい光も含まれています。




 百合絵の持って生まれた才能に脱帽しました。

百合絵の筆は、女の本性どころか、人の心の奥深くまで表現しきっています。

絶望と希望が同時に存在をするこの京子の瞳の中に

一体百合絵は、何を見つけたのでしょう・・・・

画家の筆は、人そのものを描き出す。

やはりデザインの世界とは格段に違う目線の深さに、驚愕を覚えた一瞬です。






 やがて・・・書き上がった全員の作品をしっかりと画帳にとじ込んでから、

百合絵を先頭に、約束通り全員で飲みに出かけることになりました。

その行先は、最初から決まっていました。

一行は、駅裏通りの飲み屋街を一番奥まで進みます。

その突き当たりを右に曲がると、終戦直後から今も残る古い建物ばかりが並ぶ

露地通りのひなびた景色が登場します。



 ここに、終戦直後から営業をしているというダンスホールがあります。

かつてこの界隈は、赤線地帯の一つでした。

娼婦やいきかう客たちで賑わいぶりを見せたというかつての路地も

いまはひっそりとしたままで、只の錆びれただけの空間がひろがっています。

ダンスホールは、くすんだビルの地下でした。

この界隈の雰囲気には全くそぐわない若い一団が、その入口で立ち停まります。



 場違いの空気が存分に漂っています。

『行くわよ』、百合絵がひとつ生唾を飲み込んでから

先頭に立って、暗い階段をおり始めます。

地下に広がるダンスの空間は、思いの他の広さがあり、

すでに中高年の男女がバンド演奏に合わせて暗いホールで踊っていました。





 この時代で生バンド入りのダンスホールは、

すでにその役割を終えて、過去の遺物になりはじめていました。

世間では、8トラックのカラオケが人気を集めています。、

譜面台に置いてある歌詞を頼りに熱唱をするという、カラオケ時代が

すでにはじまっていました。



 ボーイに案内された一行が、

最後列のテーブルにそれぞれの居場所を決めたころ、

まばらな拍手に迎えられて、スーツ姿の守が舞台に出てきました。

頃あいを見計って、少しだけスローテンポのイントロが流れてきます。



 森新一のような、かすれた声が守の持ち味です。

久し振りに聞く守の歌唱でしたが、正直、上手くなったと思いました。

声を張り上げることもなく、ほどよく伴奏と調和をしながら

急がずに、優しく語りかけるような歌い方です。





 「踊ろうか、群馬。」



 耳元で百合絵がささやきます。

うんと答えたものの、躊躇もあって遅れて立ち上がっていたら、

百合絵はさっさと一人で行ってしまいました。

背筋を伸ばした百合絵は、まったく躊躇などは見せることもなく、

守が歌っている舞台のまん前まで、颯爽と進み出てしまいました。

守が、目線を横切っていく百合絵の姿に気がつきました。

覚悟を決めて百合絵の正面に立ち、右手をその肩に置こうとしたら、



 「群馬・・・それは、チークダンス。

 この手は、指を伸ばしてここへこうするの。」



 耳元に口をよせて、百合絵がささやきます。

ためらいなくやってきた百合絵の指は、私の指をつかむと自分の背中側へまわし込み、

背筋に沿ったあたりから、さらにすこしだけ下方へずらします。

背中と腰のくぼみの定位置へ、しっかりと導きました。



 「指は、きれいにまっすぐ伸ばして。

 ほら・・もうすこし、くっついてよ、遠慮しないで。」





 「上手だわ。次に私がターンをしたら、同級生のすぐ目の前よ。よろしくね。」

お願いと、百合絵が片目をつぶります。

くるりと回わりながら、ステップを踏み、百合絵と私が、

守の真下へ最接近をしました。

守は、目と鼻の先です。歌唱中の守が驚いていました。

百合絵がにこやかにほほ笑むと、右手を離して守へ小さく手を振りました。

つられてこちらも手を振ってしまいます。



 もう一度、守の目線がこちらを向いたときに

百合絵が最後列に座るメンバーたちの方向を、こっそりと指差します。




 「上手くいくのかなぁ」


 「当人同士の問題だもの。

 産むのも産まないのも、二人の結論次第の話。

 よくある話だし・・・

 京子に、あれだけの親衛隊がいれば、

 あんたの親友も。この先で少しは考えてくれるでしょう。」


 「そんなものかなぁ・・・」



 「あのデッサンは、

 全部私たちから、京子への応援と激励のメッセージ。

 東京でまた、お友達が増えたことの記念品。

 今の京子に必要なのは、たくさんの女友達をつくることだと思う。

 何でも話せるようになれば、一人で悩むこともなくなるし、

 女って、群れていることで安心できる生き物なのよ。

 まぁ、そんな事を言っても鈍感な群馬には無理か・・・

 

 そんなことよりも、さぁ

 あんた本当に彼女、いないの・」




 まじまじと正面からのぞき込んでくる百合絵の目が、何故かはにかんでいます。



  「あたしとじゃあ、だめかな・・・」


 聞き取れないほどの小声でささやき、、

くるりと綺麗なターンを二度ほど見せてから、再び耳元に寄ってきました。



 「今日だけの、思い出をつくっておこう。

 どうせ私になんか、振り向いてなんかくれないんだもの、

 明日泣く前に、

 せめて今日だけを、楽しませて。」



 どうして、

レイコに似たような女ばかりが寄ってくるのだろう・・





アイラブ、桐生




 第二部 第一章(完)


 第2章では、施政権返還前の沖縄に舞台が移ります。

まずは、寝台特急「富士」で、九州、最南端までの鉄路の旅を辿ります





■本館の「新田さらだ館」は、こちらです

   http://saradakann.xsrv.jp/


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