第17話 肉の嫁
黒騎士の後を歩く。普通なら先程の事を謝罪すべきだろう。
ただ背中から発せられる威圧感がそれをさせない。気安く話しかけられる雰囲気ではない。
気まずい空気が流れるまま森の奥へと歩いて行った。
しばらく歩くと日のささない岩壁に辿り着く。
「止まれ、ここで待て」
黒騎士が岩壁へと歩いていく。何をしているかはここからでは見えない。
「凄い結界ね、これじゃ誰も気が付かないわ。とんでもないね転生術師って」
クレアが感嘆の声を漏らす。結界。俺にはただの古びた崖にしか見えないが、彼女たちには違う景色が見えているのだろう。
「あぁ、ここに来るまでに何重にも風景が擬装されてる。これ案内無しで帰れないよ」
デイジーのさらりと言った言葉に、背筋が寒くなった。そうだ、ここは魔王軍領地の奥深く。
自力で辿り着くことも、逃げ出すことも叶わない場所なのだ。
「来い」
短く無機質な許可。 視線を向けると巨大な岩肌の中に黒騎士の体が吸い込まれるように消えていくところだった。
「へぇ……邪魔するよ」
「ホラ、おじさんも行こ」
二人が躊躇なく、その岩壁へと消えていく。どう見ても、ただの硬い石の壁だ。
接近する岸壁に思わず目を閉じ歩を進める。
一瞬、冷たい水膜を通り抜けたような奇妙な浮遊感。
目を開けると日の光が差す開けた空間に出ていた。
森の奥とは思えない広々とした庭のような場所。花々が咲き乱れ、遠くに石造りの建物が見える。
空気が清々しく、さっきの薄暗い森が嘘のようだ。
黒騎士の背中はもう遥か先、石造りの建物へと向かっているようだ。
二人もそれを追って歩き出していた。
ここで取り残されたら、それこそ命はない。俺は三人の後を追って必死に走り出した。
「おい!遅いぞ!早く来い馬鹿モンがぁ!」
しばらく歩くと目玉から聞こえていた声に怒鳴られる。
老人のような声。しかしその姿はローブをまとい、深く被ったフードからは暗い灰色の肌が見える。
わずかに見えるその目は怪しく黄色に光り口元には長い髭が揺れている。
この存在と暗い森で出会っていれば恐怖で凍り付いただろう。
だが、今は違う。元気に怒鳴り声を上げ、息を切らして走ってきたせいか、不思議と恐怖は感じなかった。
「儂はゼクロームじゃ。お前らが魔王軍の転生術師と言っとる者じゃな」
「ゼクロームさん。先程の騒ぎに突然の訪問、重ね重ね申し訳ございません。外山圭吾です」
「もうよいわ、さっさと来い。あやつが喜ぶのが楽しみじゃな」
はしゃぐ子供のように小走りに建物へと向かう。想定外の対応に俺たちは驚く。
無表情な仮面に隠されているが、黒騎士さえも呆気にとられているように見えた。
時折振り返り急かすゼクロームの後に続いて建物へと辿り着く。数々の装飾が施された立派な石造りの建物だ。
「ケイゴとやら、先に言っておく」
入り口の前でゼクロームが真剣な表情で俺を見る。
黄色い目が俺を貫くように見つめ、長い髭が静かに揺れる。
「今から会わせる者は、間違いなくお前の奥さんじゃ」
その言葉を聞いた瞬間、全身の血が逆流するような衝撃が走った。
喜びのあまり言葉を失い、溢れそうになる涙を必死にこらえて、俺はただ強く頷いた。
「じゃが……。その姿を見てあまり気を落とすでないぞ」
ゼクロームの言う言葉の意味は分からない。黒騎士のように人間とは違う見た目なのだろうか。
その言葉の真意を測りかねたまま、俺は吸い込まれるように石造りの建物へと足を踏み入れた。
暗く落ち着いた照明の、長い通路を歩いていく。壁に嵌められたランプが淡い光を放ち、俺たちの足音が不気味なほど鮮明にエコーする。
ゼクロームが歩みを止めた。通路の突き当たりにある木製のドア。それが、俺の人生のすべてを決める境界線のように佇んでいた。
「ここじゃ、入るがよい」
この中にみさきが居る、ドアの取っ手を握りしめ。
取っ手を握る手が、自分でも驚くほど震えている。深呼吸をして、ゆっくりとドアを開けた。
中に入ると薄暗い照明の中、床に座る一人の少女が居る。
その視線の先にあったのは、わずかに動くボーリング玉程度の大きさの物。
小さく脈打ち濡れたような光沢がある薄桃色の肉の塊。すぐに気が付いた。
確信に近い感覚が残酷なほど鮮やかに答えを告げている。これがかつての妻、みさきだ。
(圭吾……?)
確実に感じた懐かしい温もり。あの頃と同じ……妻みさきの声。
それは人と呼ぶには小さすぎる存在。
なのに、みさきの声が聞こえたと同時に不安は消え失せた。
みさきを前にし、何故だか格好つけようと涙を必死に我慢する。
「あぁ、俺だ。圭吾だよ、みさき」
みさきに駆け寄る。客観的に見ればそれは生命の残骸、あるいは何かの臓器の一部に過ぎない。けれど、今すべてが塗り替えられた。
生きている。みさきが、生きている。
脳を焼くほどの衝撃。そして、魂の底から溢れ出す狂おしいほどの歓喜。
堰を切ったように涙が溢れ出した。
もはや形などどうでもいい。そこに温もりがある。ただそれだけで、この世界は救いに満ちていた。
「ゼクロームさん、触っても……大丈夫ですか?」
触れれば壊れそうだ、鼻をすすりながら問う。
「あぁ、構わんよ。抱きしめてやるがいい。おい、シャーロット。二人きりにしてやれ」
シャーロットと呼ばれた少女がゼクロームに服の首根っこを掴まれ、ずりずりと引きずられていく。
パタン、と。静かにドアが閉じられた。
「みさき、お前の事ばかり考えてたら。俺まで来ちゃった」
そう言って、俺はおそるおそる彼女に触れた。 触れた場所が、ふるふると震える。
(くすぐったいよ、圭吾)
「あぁ、ゴメン。ってどこ触っていいか分かんないよ」
根拠の薄い妄想にすがって会いに来た。その無謀な勇気が、今最高のかたちで報われた。
俺は優しくみさきを抱きしめ口づけをした。
「みさき……会えて嬉しい。嬉しいよ……」
(もう……しょうがないな圭吾は……)
みさきも泣いているのだろうか。声が、心なしか震えているように感じた。
異世界に召喚され、ハズレだと蔑まれ、孤独に耐えてきた日々のすべてが、この瞬間のためにあったのだ。
俺はしばらくの間、ただ彼女を抱きしめ、子供のように声を上げて涙を流し続けた。
読んでいただいた全ての方に感謝します。
会えたのは不完全な妻、でも圭吾の心の穴を埋めるには十分すぎる程大きな存在のようです。




