第二十二話:サテュロスと腸脳相関の話 (3/3)
彼は、目の前に並べられた、素朴で、しかし、今まで感じたことのない、不思議な力強さを放つ料理の数々を、ただ呆然と見つめていた。
「さあ、食ってみな。派手さも、珍しさもねえが、今のあんたの心と体には、これが一番の薬になるはずだ」
俺が促すと、サテュロスの青年は、意を決したように、ゆっくりと箸を手に取った。
まず、湯気の立つ味噌汁を、一口すする。
発酵した味噌の、深く、優しい旨味が、彼の冷え切った体の芯に、じんわりと染み渡っていく。
《あたたかい……。なんだか、お腹の底から、力が湧いてくるような……》
次に、醤油麹の香ばしい香りがする、焼きたての魚を一口。炊き立てのご飯と一緒に、ゆっくりと、噛み締めるように味わう。
善玉菌という名の応援団が、彼の荒れた腸に、次々と送り込まれていく。乱れていた腸内環境が、少しずつ、本来あるべき姿へと整えられていく。
彼は、夢中で、しかしどこか祈るように、一口、また一口と、食事を進めていく。
食べるたびに、彼の体と心に、穏やかな変化が訪れていた。
まず、お腹の不快感が、すーっと消えていく。そして、その心地よい信号が、脳へと伝わり、頭にかかっていた深い霧が、晴れていくようだった。
やがて、お盆の上の皿が綺麗に空になると、サテュロスは、はぁ……と、深い、満足のため息をついた。
その表情は、来た時とは比べ物にならないほど、晴れやかになっていた。どんよりと曇っていた瞳には、再び、音楽家らしい、好奇心と遊び心に満ちた光が戻っている。
そして、彼は、ゆっくりと、自分の相棒である葦笛を手に取った。
今まで、重荷でしかなかったはずの、その楽器を。
彼は、店の外の雪景色を見つめながら、そっと、その葦笛に唇を寄せた。
そして、流れ出したのは、もう、あの悲しくて沈んだ音色ではなかった。
ピルルルル♪ ピルリラ♪
それは、まるで、長い冬の終わりを告げる、春の小川のせせらぎのような、軽やかで、陽気で、心が弾むようなメロディーだった。即興で奏でられているとは思えないほど、その音色は、喜びに満ち溢れていた。
《あ……!音が、鳴る!楽しい音が、勝手にあふれてくる!》
彼は、涙を流しながら、夢中で笛を吹き続けた。
腸が元気になり、心が晴れやかになったことで、彼の内側に眠っていた創作意欲が、再び目を覚ましたのだ。
「どうだい、旦那。腹が笑えば、心も、音楽も、笑うだろ?」
俺の言葉に、彼は演奏を止めると、満面の笑みで、力強く頷いた。
《ああ!ありがとう、旦那!腹の底から、次の曲のアイデアが、どんどん湧いてくるぜ!》
自信を取り戻した彼は、俺に深々と頭を下げると、今度は森の仲間たちを踊らせに行くと、スキップでもしそうな、弾むような足取りで、元気いっぱいに店を後にしていった。
その背中からは、もう、あの暗い影は消えていた。
「やれやれ、今日の客も、ご機嫌で帰っていったな」
俺は、空になったお盆を片付けながら、一人、静かにつぶやいた。
芸術家のスランプも、結局は、腹の虫のご機嫌次第。この世界の真理は、どこまでもシンプルで、面白い。
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