第二十二話:サテュロスと腸脳相関の話
雪に閉ざされた森の中で、ハーピィの少女が穏やかな眠りを取り戻してから数日。俺、仏田武ことぶっさんの店には、静かで、しかしどこか温かい時間が流れていた。石窯の炎がパチパチと音を立て、窓の外では、雪が静かに、世界の音を吸い込んでいく。
「静かなのもいいが、ちいとばかし、寂しいかねぇ」
俺がそんなことを考えながら、熱いお茶をすすっていた、その時だった。
カランコロン、と、まるでため息のような、力ないドアの音がした。
見ると、そこに、一人の青年が立っていた。
山羊のような脚に、くるりと巻いた角。その手には、一本の素朴な葦笛が、力なく握られている。森の音楽家、サテュロスだ。噂によれば、彼が笛を吹けば、森の動物たちは皆、陽気に踊りだすという。
だが、目の前にいる彼は、そんな陽気な噂とは程遠かった。その肩は力なく落ち、自慢の葦笛は、まるで重荷であるかのように、彼の指から滑り落ちそうになっている。
「いらっしゃい。旦那、どうしたい? 自慢の楽器が泣いてるぜ」
俺が声をかけると、サテュロスの青年は、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、深い霧がかかったように、どんよりと曇っている。
《ああ……あんたが、噂の……。俺の音楽が、最近、全然ダメなんだ…》
脳内に響いてきたのは、楽しかった過去を懐かしむような、ひどく疲れた声だった。
《陽気で、みんなが踊りだすような、楽しい曲を作りたいんだ。それが、俺の生きがいだった。なのに、どうしてか、最近は、悲しくて、沈んだ音色しか出てこない…。『心が躍らない』って、こういうことなのかな。もう、音楽を作るのが、楽しくないんだ…》
なるほど。芸術家が陥る、深刻なスランプか。技術が落ちたわけじゃない。彼の心そのものが、音楽を奏でることを、拒否してしまっている。
俺は、彼の様子をじっくりと観察する。顔色が優れず、肌も荒れている。何より、彼の体からは、生命力そのものが、枯渇しかけているような印象を受けた。
「旦那、最近、飯はちゃんと食ってるかい? 何を食った?」
《飯……? あまり、食欲もなくてな…。森の木の実とか、果物とかを、少しだけ……》
「なるほどな。そりゃあ、心も躍らなくなるわけだ」
俺は、彼の不調の、本当の原因にたどり着いていた。
「旦那、あんたのスランプの原因は、才能の枯渇なんかじゃねえ。あんたの、『お腹』の中にある」
《腹…?》
「ああ。『腸脳相関』って言ってな、腸、つまりお腹の調子と、脳、つまり心の調子は、一本の太いパイプで繋がってるんだ。心がストレスを感じると、腹の調子が悪くなる。逆に、腹の調子が悪いと、その不快な信号が脳に伝わって、心がどんどん沈んで、ネガティブになっちまう。あんたは、その悪循環に、どっぷりハマっちまってるのさ」
俺の説明に、サテュロスは、きょとんとしていた。
「君の心の不調は、実はお腹の中から来てるのかもしれないな。よし、任せとけ」
俺はニヤリと笑うと、創作意欲を失った音楽家に、力強く宣言した。
「今日は、君の心と腸に、最高の応援団を送り込んでやる。君の魂が、もう一度、陽気なメロディーを奏でたくなるような、特別な料理でな!」
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