第二十一話:ハーピィと静寂のスープ(1/3)
自らの毒と共存する道を見つけたバジリスクの若者が、希望を胸に森へと帰ってから数日。森は深い雪に覆われ、世界は白と静寂に包まれていた。俺、仏田武ことぶっさんは、店の石窯でじっくりと煮込んだ根菜のシチューを味見しながら、窓の外の雪景色を眺めていた。
「静かでいいもんだ。たまには、こういう日も悪くねえ」
そんなことを考えていた、雪がしんしんと降り積もる午後のことだった。
カランコロン、と、まるで怯える小鳥が何かにぶつかったかのような、弱々しく、そして切羽詰まったドアの音がした。
見ると、そこに、一人の少女が立っていた。
鳥の翼を持つ、ハーピィの少女だ。だが、その姿は、伝説に語られるような自由奔放さとは程遠かった。彼女は、自分の翼で、まるで兜のように、頭を、特に耳のあたりを固く、固く覆っている。そして、何かに耐えるように、その体は小刻みに震え、その瞳には、深い疲労と、助けを求めるような切実な色が浮かんでいた。
「いらっしゃい。ひどい雪だな。まあ、そんなところに立ってねえで、中に入りな」
俺が声をかけると、彼女はビクッと体を震わせ、まるで俺の声そのものが苦痛であるかのように、顔を歪めた。そして、カウンターの隅の席に座ると、懐から小さな石板と木炭を取り出し、震える手で文字を綴り始めた。
『ごめんなさい。わたくし、大きな声が苦手で…。森の音が…全部、聞こえすぎてしまうんです…』
石板に綴られた文字は、彼女の心の叫びそのものだった。
『木の葉が雪の重みで軋む音も、雪の下で虫がもがく音も、遠くの山で風が唸る音も、全部が頭の中でガンガン響いて、痛くて、苦しくて…。仲間たちの歌声も、わたくしにとっては、ただの耐え難い騒音でしかありません。だから、わたくしは、ずっと独りで、こうして耳を塞いで生きてきました。お願いです。ただ、一度でいい。静かな場所で、ぐっすりと眠ってみたいのです…』
なるほど。感覚が鋭すぎるがゆえの、「感覚過敏(聴覚過敏)」か。世界から絶えず流れ込んでくる情報量に、心と体が、もう限界まで疲れ果ててしまっているんだな。
俺は、彼女の様子をじっくりと観察する。これは、ただの神経質な性格じゃない。彼女の耳は、俺たちが聞き取れないような、微細な音まで拾ってしまう、超高性能な集音器になってしまっているんだ。
「嬢ちゃん、あんたのその悩み、よく分かった。まずは、応急処置だ。ちょっと待ってな」
俺は、店の棚から、アナグマと交換した蜜蝋の塊と、柔らかな綿を少し取り出した。そして、蜜蝋を手のひらで温めて、粘土のように柔らかく丸める。その中心に、綿を詰め込んで、小さな耳栓を二つ、即席で作り上げた。
「ほら、これを耳に入れてみな。少しは、楽になるはずだ」
俺が、その小さな耳栓を差し出すと、彼女は、半信半疑といった様子で、おそるおそる、それを受け取った。そして、自分の耳を覆っていた翼を、ゆっくりと、ほんの少しだけ広げ、その耳栓を、そっと耳の穴に押し込んだ。
その瞬間、彼女の瞳が、驚きに見開かれた。
世界から、音が、消えた。
今まで、彼女を苛み続けていた、絶え間ない音の洪水が、ぴたりと、止んだのだ。
《しずか……。こんなに、世界が静かだったなんて……》
彼女の瞳から、大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
それは、彼女が生まれて初めて体験した、「静寂」という名の、奇跡だった。
「ああ。だが、外側から音を遮断するだけじゃ、根本的な解決にはならねえ。あんたの荒ぶりすぎた神経を、今度は、体の内側から、優しく鎮めてやる必要がある」
俺はニヤリと笑うと、初めての静寂に涙する少女に、力強く宣言した。
「よし、任せとけ。今日は、君の荒ぶる神経に、最高の休息を与えてやる。世界で一番、静かで、穏やかなスープでな!」
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