第二十話:バジリスクと中和の話(1/3)
消えかけの鬼火が、希望の光を胸に冬の森へと帰ってから数日。森は、本格的な冬の到来を迎え、深い沈黙に包まれていた。俺、仏田武ことぶっさんは、店の石窯にたっぷりと薪をくべ、その温かい炎を眺めていた。
「こう寒くなってくると、客足も遠のくな。まあ、たまには、こうして一人で静かに過ごすのも悪くねえか」
そんなことを考えていた、雪がちらつき始めた午後のことだった。
カランコロン、と、ひどく遠慮がちで、まるでそこにいることを詫びるかのような、小さなドアの音がした。
見ると、そこに、一人の若者が立っていた。
深いフードの付いたローブを頭からすっぽりと被り、その顔は見えない。手には、厚手の革手袋をはめ、口元は、固く結ばれた布で覆われている。その出で立ちは、まるで、自分の存在そのものを、世界から隠そうとしているかのようだった。
そして、奇妙なことに、彼が触れたドアノブの周りの木が、わずかに黒く変色し、彼が息を吹きかけたであろう窓ガラスの霜が、不自然な形で溶けている。
(……なんだ? こいつは、ただ者じゃねえな。強力な、何かをその身に宿している)
「いらっしゃい。ひどい雪になってきたな。まあ、そんなところに立ってねえで、中に入りな」
俺が声をかけると、若者はビクッと体を震わせ、後ずさりしそうになった。
《い、いえ……わたくしは、ここで……。あなた様を、傷つけたくは、ありませんので……》
脳内に響いてきたのは、恐怖と、深い諦観に満ちた、青年の声だった。
「傷つける、ねえ。まあ、心配するな。俺は、見ての通り、ただの飯屋のおやじだ。そう簡単には壊れねえよ」
俺が言うと、若者は、しばらくためらった後、意を決したように、ゆっくりと店の中に入ってきた。彼は、決して壁や椅子に触れぬよう、細心の注意を払いながら、カウンターから一番遠い席に、そっと腰を下ろした。
《わたくしは、バジリスク、と呼ばれる種族の者です》
彼は、震える声で、自分の正体を明かした。
《わたくしの体から出るものは、涙も、唾液も、吐息さえも、全てが強力な毒なのです…。わたくしが触れた草花は枯れ、わたくしが飲もうとした泉の水は、どす黒く濁ってしまう。誰かを傷つけるのが怖くて、誰にも近づけません》
彼は、自分の革手袋に覆われた手を見つめ、絶望的に続けた。
《ちゃんと食事をしようとしても、わたくしの唾液で、食べ物が口の中で腐ってしまうのです…。ただ、普通に、温かいご飯を、美味しいと感じて、食べてみたい。誰かを傷つける心配なく、ただ、生きていきたい…。そんな、当たり前のことすら、わたくしには許されないのです》
なるほど。コントロールできない、自分自身の毒性か。あまりに強力すぎるがゆえの、深い孤独。そして、生命維持すら困難になっているという、切実な問題。
俺は、彼の話を聞きながら、一つの答えにたどり着いていた。
(こいつの毒は、強力な酸か、あるいは特殊なタンパク質か。どちらにせよ、その毒性を『無力化』できれば、道は開けるはずだ。必要なのは、火事を消すための、最高の消防士だ)
「坊主、あんたのその悩み、よく分かった。あんたの毒は、強力な火事みてえなもんだ。だが、どんな火事にも、必ず消し方ってのがある」
《け、消し方…ですって…?》
「ああ。酸性の毒には、アルカリ性のものをぶつけて『中和』する。そして、もっといい方法がある。『吸着』だ。毒の成分そのものを、磁石みてえに吸い寄せて、体に吸収される前に、無力化しちまうんだ」
俺の説明に、バジリスクの若者は、呆然としていた。
「よし、任せとけ。今日は、君の体に、最高の安全装置を付けてやる。君が、生まれて初めて、安心して『美味しい』と感じられる、特別な料理でな!」
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