第十七話:ドッペルゲンガーと構造の話 (3/3)
俺は、もう一つ、完璧な形のミルフィーユを、彼の前にそっと置いた。
それは、先ほど彼がバラバラに味わった、三つの要素(構造、結合、装飾)が、完璧なバランスで組み合わさった、完成品だった。
「さあ、食ってみな。今度は、全部一緒にだ。さっき学んだことを、舌と、頭と、体全体で、もう一度味わい直すんだ」
ドッペルゲンガーの若者は、こくりと、真剣な表情で頷いた。
彼は、フォークを手に取ると、その刃を、サクサクのパイ生地に、ゆっくりと、しかし迷いなく突き立てる。
サクッ…
心地よい音がして、パイ生地とクリームが、美しい層を保ったまま切り分けられる。
彼は、その一切れを、静かに口に運んだ。
その瞬間、彼の瞳が、驚きと、そして、今まで彼がしたことのない「理解」という表情で見開かれた。
《……!すごい……!》
脳内に響く、歓喜の声。
《さっき、バラバラに食べた時とは、全然違う!サクサクしたパイ生地(構造)の食感を、滑らかなクリーム(結合)が優しく包み込んで、そこに、フルーツ(要素)の甘酸っぱさが、完璧なタイミングでやってくる…!全部が、お互いを支え合って、一つの、完璧な『美味しい』になってるんだ!》
彼は、夢中で、しかし一口一口を、まるで難解な設計図を読み解くかのように、確かめながら食べ進めていく。
今まで、彼がやっていた変身は、このミルフィーユの、表面に塗られた粉砂糖だけを真似ているようなものだったのだ。その下にある、複雑で、計算され尽くした構造を、彼は全く理解していなかった。
やがて、皿の上が綺麗になると、ドッペルゲンガーの若者は、はぁ……と、深い、満足のため息をついた。
そして、彼は、ゆっくりと立ち上がった。その体は、まだ不安定なままだ。
だが、その瞳に宿る光は、来た時とは全く違っていた。
《旦那さん……ありがとう。僕、分かった気がします。僕に足りなかったものが、何だったのか》
彼はそう言うと、店の隅に置かれていた、ごく普通の木製の椅子を、じっと見つめ始めた。
今までなら、ただその「形」と「色」だけを、ぼんやりと見ていただろう。だが、今の彼には、その椅子の、もっと奥深くにあるものが見えていた。
(四本の、力強い脚。これが、全体重を支える構造の基本。座面と背もたれを繋ぐ、この接合部分が、強度を保つための結合の要。そして、この滑らかに削られた肘掛けが、座る者に安らぎを与える要素……)
彼は、目を閉じて、その構造を、完全に頭の中に描き出す。
そして、ゆっくりと、その体を変質させていった。
ぐにゃり、とした、今までの不安定な変化ではない。
まるで、熟練の大工が木材を組み上げていくように、確かな意志を持って、彼の体が再構築されていく。
そして、数秒後。
そこには、さっきまで彼が見つめていた椅子と、寸分違わぬ、完璧な木製の椅子が、どっしりと、安定感を持って鎮座していた。
俺は、その椅子を、コンコン、と指で叩いてみる。硬い。中身の詰まった、本物の木の音がする。
「……すごいじゃねえか、坊主!完璧な椅子だ!」
俺が言うと、椅子は嬉しそうに、少しだけガタッと揺れた。そして、また元の、不安定な若者の姿に戻る。
《できた……!僕、初めて、完璧なものになれた!》
彼は、自分の手を見つめ、その成功に打ち震えていた。
《旦-那さん、本当にありがとう!僕は、これから、世界のいろんなものの『仕組み』を、勉強しに行くよ!そして、いつか、この世で一番美しいものに、なってみせる!》
希望に満ちた顔でそう言うと、彼は俺に深々と頭を下げ、今度は一度も崩れることなく、しっかりとした足取りで、店を後にしていった。
「やれやれ、物事の本質、か。料理も、人生も、案外、同じなのかもしれねえな」
俺は、空になったミルフィーユの皿を片付けながら、一人、静かにつぶやいた。
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