幕間:首なし騎士と空腹の音
体の独白
我が体は、騎士としての務めを果たすためだけに存在する。
主君である「首」の命令に従い、剣を振るい、馬を駆る。それだけが、我が存在理由。そこに、感情や欲求が入り込む余地はない。
「空腹」という感覚を、我が体は知らぬ。
ゆえに、主がどれだけ「腹が減った」と叫ぼうとも、我が体には、その言葉の意味を理解することができなんだ。腹は、空いておらぬのだから。ただ、主の命令は絶対である。ゆえに、何かを口にはする。だが、それはただの「作業」に過ぎなんだ。
しかし、近頃、主の命令とは裏腹に、我が体の動きが鈍くなっているのを感じていた。剣を振るう腕が、重い。馬を御す手綱が、鉛のようだ。理由は、分からぬ。ただ、何かが、足りていない。その焦りだけが、我が体を支配していた。
主は、わめき散らしておった。「このままでは二人とも動けなくなる」と。
その言葉の意味も、我が体には、やはり理解できなんだ。
あの食堂を訪れた時も、主は一方的に叫び、我が体はただ、沈黙を守るのみ。
店の主は、奇妙なことを言っておった。「飢餓ホルモン」とやらが、届いておらぬ、と。
そして、目の前に置かれた、熱い鉄板。
その上に、肉の塊が置かれた瞬間、我が体に、初めての異変が起きた。
ジュワァァァァァァァァァッッ!!!
その音。その匂い。その、立ち上る煙。
我が体の奥底で、今まで眠っていた何かが、無理やり叩き起こされた。主の命令ではない。もっと、原始的で、抗いがたい、魂の叫び。
グゥゥゥゥ……
我が腹が、鳴った。
初めて知る感覚。これが、「空腹」。
気づけば、我が手は、主の命令を待たずして、ナイフとフォークを握りしめていた。
首の独白
我は、騎士である。そして、この体の主である。
だが、この愚鈍な体は、我が言うことを全く聞かぬ!
我は、知っているのだ。エネルギーが、枯渇しかけていることを。このままでは、剣を振るうどころか、立ち上がることすらできなくなる。その恐怖を、この体は全く理解しようとせぬ。「腹は空いていない」の一点張り。ああ、なんと愚かで、なんと歯がゆいことか!
あの食堂を訪れた時も、我は必死に訴えた。だが、体は沈黙したまま。
店の主は、我らの体の仕組みを、いとも簡単に見抜いてみせた。胃から脳への信号が、届いていない、と。絶望的ではないか。
だが、男は言った。「本能を叩き起こす」と。
そして、目の前で始まったのは、料理というより、一種の儀式だった。
鉄板が焼ける音、肉が爆ぜる音、ニンニクとバターの香り、そして、醤油の焦げる、禁断の香り!
我が脳は、その圧倒的な情報の奔流に、完全に支配された。食いたい!食わねばならぬ!
その時だ。
我が体から、あの音がした。腹の虫が鳴く、という、あの音が。
そして、体は、初めて、我が命令を待たずに、動き出したのだ。
そして、二人は
体が、肉を切り分ける。
その一切れが、我が口元へと運ばれる。
口に含んだ瞬間、我(首)は、その圧倒的な旨味に打ち震えた。
そして、それと全く同じタイミングで、我(体)は、その肉が胃に収まり、温かいエネルギーとなって全身に満ちていくのを、はっきりと感じ取っていた。
ああ、これだ。
これだったのだ。
我らが求めていたのは、この、完全なる一体感。
それからは、夢中だった。
体が運び、首が味わう。そこにはもう、すれ違いも、苛立ちもない。ただ、生きるという喜びに満ちた、完璧な調和があるだけだった。
帰り道、我らは、初めて、同じものを見て、同じことを感じていた。
「どうやら、仲直りできたみてえだな」
店の主の言葉に、我らは、同時に、こくりと頷いた。
我らは、二人で、一人の騎士なのだから。
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