幕間:獏の見る夢
わしは、獏。人々の見る、悪夢を糧とする者じゃ。
それは、わしらに与えられた、逃れることのできぬ宿命。人々が安らかな眠りを得るために、わしらはその心が生み出す澱みを、ただひたすらに喰らい続ける。それが、わしらの存在理由であり、誇りでもあった。
本来、悪夢とは、後味の悪い霞のようなものじゃった。じゃが、近頃の悪夢は違う。近くの村で、よほど良くないことが起きておるのじゃろう。嫉妬、憎悪、恐怖、後悔…。どろりとした、まるで煮詰まったタールのような、濃すぎる味の悪夢ばかり。舌に、喉に、胃に、まとわりついて離れぬ。
それを喰らい続けるうちに、わしの体は悲鳴を上げた。胃は焼け、腹は張り、心は休まらぬ。そして、何より辛いのが、眠れぬことじゃった。目を閉じれば、自分が喰らった悪夢の残滓が、わし自身の悪夢となって襲いかかってくる。悪夢を喰らうわしが、自らの不調によって、悪夢にうなされる。これ以上の皮肉があるかのう。
その夜も、わしは重い体を引きずり、森をさまよっておった。胃の中では、今日喰らったばかりの、誰かの後悔が、鉛のように居座っておる。もう、一歩も歩けぬ。このまま、朽ち果てるのか。
その時じゃ。風に乗って、温かく、優しい匂いが漂ってきた。まるで、生まれたばかりの頃に見た、母の夢のような、不思議な匂い。わしは、その匂いに、ただ引き寄せられるように、一軒の食堂へとたどり着いた。
店の主、ぶっさんと名乗る男は、わしの疲れ切った姿を見ても、驚きもせず、ただ静かに、わしの話を聞いてくれた。そして、わしの不調の原因を、「腸脳相関」という、不思議な言葉で解き明かしてくれた。わしの脳が喰らった悪夢が、わしの腹を壊し、その腹の不調が、またわしの脳を苛んでおったとは…。長年生きてきたが、初めて聞く理じゃった。
彼が作ってくれたのは、夜食じゃった。
まず、一杯の温かいお茶。カモミールとミントの香りが、今までわしの鼻腔にこびりついていた、悪夢の鉄錆のような嫌な匂いを、すーっと洗い流していく。一口飲むごとに、荒れ狂っていた心の湖が、凪いでいくのが分かった。
次に出てきたのは、チーズリゾット。
温かく、とろりとしたそれが、わしの疲れ切った胃を、まるで優しい手でマッサージするように、労ってくれる。一口食べるごとに、重くのしかかっていた胸のつかえが、解けていく。ああ、なんと、穏やかなのじゃろう。
食事が終わる頃には、わしの体は、抗いがたい眠気に包まれておった。こんなに、心が安らいだ状態で眠りにつくのは、一体、何百年ぶりのことか。
わしは、カウンターに座ったまま、意識を手放した。
その夜、わしは、久しぶりに夢を見た。
それは、どろりとした悪夢ではない。
チーズリゾットのように、温かくて、優しくて、ハーブティーのように、心がすーっと軽くなるような、幸せな夢じゃった。
夢の中で、わしは、ただ、穏やかな陽だまりの中で、うたた寝をしていた。それだけなのに、それが、何よりも、心地よかった。
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