第十二話:ゴーゴンと鏡の法則 (3/3)
そこには、夜空の星々を閉じ込めたかのような、寸分の狂いもない、完璧な「鏡」が生まれていた。
俺は、完成したミラーglazeケーキを、彼女の座るカウンターテーブルに、そっと置いた。
「さあ、嬢ちゃん。準備はできたぜ」
俺はそう言うと、自分はカウンターの影、決して彼女の視界には入らない、安全な場所に身を隠した。万が一、俺の仮説が間違っていた場合、俺が最初の犠牲者になるわけにはいかないからな。
「いいかい、これから言う通りにしてくれ。まず、ゆっくりと、その目隠しを解くんだ。だが、決して顔を上げちゃならねえ。視線は、目の前にある、そのケーキの『鏡』にだけ、集中するんだ。いいな?」
俺の声に、彼女はこくりと、小さく頷いた。彼女の髪の蛇たちが、緊張でさわさわと音を立てている。
彼女の、震える指が、ゆっくりと目隠しの結び目にかけられる。
俺は、固唾を飲んで、その瞬間を見守った。
目隠しが、はらり、と床に落ちる。
そして、生まれて初めて、彼女の瞳が、その呪われた力が、世界に解き放たれた。
彼女は、俺の言いつけを固く守り、その視線を、ただひたすらに、目の前のケーキの表面に注いでいた。
ケーキの、深く、美しい青色の鏡面。そこに映っているのは……他でもない、彼女自身の顔だった。
蛇の髪を持つ、美しい少女の顔。
そして、その瞳。宝石のように輝く、しかし、見たものを石に変えるという、呪われた瞳。
彼女は、生まれて初めて見る「自分自身の姿」に、息をのんだ。
一秒、二秒、三秒……。
何も、起きない。ケーキは、石に変わらない。彼女自身も、もちろん石にはならない。
《……わたくし……これが、わたくしの……顔……》
彼女の心の声が、震えていた。
俺の仮説は、正しかった。鏡に映った自分自身は、石化の対象にはならない。
「そうだ、嬢ちゃん。それが、あんただ。綺麗だろ?」
俺は、壁の影から、優しく声をかける。
「じゃあ、次の実験だ。顔は動かさず、視線だけを動かして、ケーキの鏡に映る他のものを探してみな。例えば、天井の梁とか、カウンターの上の、花瓶の花とか」
彼女は、おずおずと、その瞳を動かした。
ケーキの鏡面に、店の天井が映る。カウンターの隅に飾った、小さな野の花が映る。
だが、何も石にはならない。
間接的にであれば、世界は、その美しさを保ったまま、彼女の目に映るのだ。
《……見えます……。花が、見えますわ……。石に、ならない……。美しい、まま……》
その瞬間、彼女の瞳から、大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
それは、長年の呪いから、ほんの少しだけ解放された、歓喜の涙だった。
俺は、そっとカウンターの影から出ると、彼女に一つの小さな贈り物を手渡した。それは、手のひらに収まるほどの、美しい銀細工のコンパクトミラーだった。
「そいつは、お守りだ。君だけの、安全な窓だよ。これからは、そいつを使って、たくさんの美しいものを見るといい」
彼女は、その小さな鏡を、まるで宝物のように、大切そうに胸に抱きしめた。
《ありがとうございます……! ぶっさん様……! ありがとうございます……!》
彼女は、何度も、何度も、頭を下げた。
その日、一人のゴーゴンの少女は、初めて、絶望以外の涙を流した。そして、世界を呪うのではなく、世界を愛でるための、新しい方法を手に入れたのだった。
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