第十一話:妖狐の兄妹と陰陽鍋 (3/3)
目の前で湯気を立てる、赤と白、二つの対照的なスープ。そして、山と積まれた新鮮な具材。
妖狐の兄妹は、ゴクリと喉を鳴らし、その不思議な鍋を、ただ呆然と見つめていた。
「さあ、遠慮はいらねえ。好きなだけ食うといい」
俺が促すと、二人はハッと我に返り、それぞれ箸を手に取った。
だが、やはりというか、兄のナツは、自分の目の前にある、いかにも味気なさそうな白いスープには目もくれず、妹のフユのために用意された、唐辛子が浮かぶ真っ赤なスープに、勢いよく肉をくぐらせた。
「ふん、やっぱ男はこっちだろ!力が湧いてきそうだぜ!」
一方のフユも、兄のために用意された、香辛料が効いた赤いスープを睨みつけ、自分の前にある、穏やかな白いスープに、静かに豆腐を沈めた。
「わたくしは、こちらで結構ですわ。兄さんのような、野蛮な味は好みませんもの」
二人は、お互いに意地を張るように、自分たちが「好む」側、つまり、自分の体質をさらに助長する側のスープばかりを食べ始めた。
すると、どうだ。
「ぐっ……!か、体が、燃えるように熱い……!イライラするぜ、ちくしょう!」
ナツの体から、さらに強い熱気が立ち上り、その瞳は怒りで赤く充血し始めている。
「……なんだか、体の芯まで冷えてきましたわ……。頭が、ぼーっと……」
フユの顔色はさらに青白くなり、その体は小刻みに震え、今にも眠ってしまいそうだ。
「ほら見ろ!お前のその冷たいスープの湯気のせいで、こっちの気分が悪くなるんだ!」
「いいえ、兄さんのその暑苦しい気のせいですわ!」
またしても、一触即発。
俺は、やれやれと首を振りながら、二人の間に割って入った。
「お前ら、まだ分かんねえのか。だから言ったろ。お前らに必要なのは、自分に足りない、反対の性質を取り入れることなんだって。ナツ、お前はそっちの白いスープを食え。フユ、お前は、その赤いスープを飲むんだ」
俺の言葉に、二人は「冗談だろ!?」という顔をする。
「まあ、騙されたと思って、一口食ってみな。それでダメなら、代金はいらねえよ」
二人は、しぶしぶといった様子で、お互いのスープに具材を浸し、恐る恐る、それを口に運んだ。
まず、兄のナツ。
白身魚を、白いスープにくぐらせて、一口。
その瞬間、彼の動きが、ピタリと止まった。
《……なんだ、これ……? 体の中で燃え盛ってた炎が、まるで、優しい夕立に鎮められるように、すーっと、静まっていく……。イライラが、消えていく……》
次に、妹のフユ。
赤身肉を、赤いスープに浸して、一口。
彼女の氷のように冷たい瞳が、驚きに見開かれた。
《……あたたかい……。お腹の底から、まるで小さな太陽が昇るように、じんわりと、温かい力が広がっていく……。こんな感覚、初めてですわ……》
二人は、顔を見合わせた。
そこにはもう、いつものような敵意はない。ただ、純粋な驚きと、今まで知らなかった新しい世界を発見した、子供のような好奇心だけがあった。
それからは、もう夢中だった。
ナツは、白いスープで野菜や豆腐を、フユは、赤いスープで肉やきのこを。時折、お互いの具材を交換したりしながら、二人は黙々と、しかしどこか楽しそうに、鍋を食べ進めていく。
やがて、鍋が空になる頃には、店の空気は、来た時とは比べ物にならないくらい、穏やかで、調和の取れたものになっていた。
「……ふん。まあ、悪くはなかったぜ」
「……ええ、たまには、こういうのもよろしいですわね」
二人は、まだ少し照れくさそうに、しかし、その声は驚くほど穏やかだった。
帰り際、二人は、初めて、いがみ合うことなく、並んで店を出ていった。その背中を見送りながら、俺は一人、静かにつぶやいた。
「陰と陽、か。どっちか一方じゃダメなんだ。どっちもあって、初めて一つになる。食い物も、人間関係も、案外、同じなのかもしれねえな」
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