幕間:職人の拳とカカオの魔法
あたしの名前はツチネ。代々続くドワーフの鍛冶工房で、物心ついた時から槌を握ってきた。鉄の声を聞き、炎の色を読む。この腕一本で、親方の名前を、一族の誇りを、もっと高く打ち上げてやる。そう、信じて疑わなかった。
……この、忌々しい震えが始まるまでは。
最初は、気のせいだと思った。極度の集中が続いた後の、ただの疲れだろう、と。だが、震えは日に日に酷くなっていった。狙った場所に、寸分の狂いなくタガネを打ち込むことができない。渾身の力で振り下ろした槌が、わずかに的を外す。そして、最後の仕上げであるべき、繊細な紋様彫りが、全くできなくなった。
ぷるぷると震える自分の右手が、まるで自分のものではないみたいだった。裏切り者。あたしの誇りを、夢を、めちゃくちゃにする、忌々しい肉塊。
「ちくしょう!やってらんねえ!」
工房を飛び出し、ヤケ酒でも呷ってやろうと森を歩いていた時だ。風に乗って、奇妙な噂が耳に入った。森の奥に、どんな悩みも解決する料理人がいる、と。
馬鹿馬鹿しい。あたしのこの職人としての苦しみが、食い物なんかでどうにかなるもんか。そう思いながらも、あたしの足は、気づけばその店に向かっていた。
店の主は、ぶっさんと名乗った。ひょろりとした、あたしらドワーフとは正反対の、頼りない体つきの男。そいつが、あたしの手を見るなり言ったんだ。「マグネシウム不足だ」と。
まぐねしうむ? 呪文か何かかい。
小難しい理屈を並べ立てる男に、苛立ちは頂点に達していた。だが、男が「極上のデザートだ」と言って厨房に立った時、店の空気が変わった。
なんだい、この匂いは。
鉄と石炭の匂いしかしない、あたしの工房とは全く違う。甘いだけじゃない。ほろ苦くて、濃厚で、なんだか、ささくれ立っていた神経の角が、少しずつ丸くなっていくような、不思議な香り。
目の前に出されたのは、真っ黒な焼き菓子と、とろりとした飲み物。
「こんなもんで」と悪態をつきながら、一口、口に入れた。
その瞬間、あたしの世界から、槌の音と、炉の轟音が消えた。
なんだ、こりゃあ……!?
うまい。ただ、ひたすらに、うまい。カカオの深い苦味が、あたしの疲れきった脳みそに染み渡る。飲み物は、腹の底から、じんわりと体を温めてくれる。
夢中で食べた。気づけば、皿もグラスも空っぽになっていた。
そして、自分の手を見た。
震えが、止まっている。まるで、嵐が過ぎ去った後の湖面のように、ぴたりと、静かだ。
試しに、彫刻刀を握り、木片を彫ってみる。
ス…スス…。
滑るように、刃が走る。思い描いた通りの、力強く、美しい線。これだ。これがあたしの手だ。あたしの、魂だ。
「魔法じゃねえ、科学だよ」
男は、そう言って笑った。
帰り際、あたしは釣りはいらねえと言って、あの黒い豆を分けてもらった。ぶっきらぼうに店を出たが、工房への帰り道、あたしは何度も、その布袋を握りしめた。
工房に戻り、あたしは炉に火を入れた。
もう、迷いはない。最高の剣を打つ。そして、あの男に、この剣を見せてやるんだ。
あんたのあのデザートが、どれだけすごい仕事をしたのか、見せてやる。
そう心に誓い、あたしは夜通し、槌を振り続けた。その音は、もう、以前のような迷いの音ではなかった。
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