第八話:ドワーフと神経伝達の話 (3/3)
ツチネは、目の前に置かれた、およそドワーフの食事とは思えない洒落たデザートを、ただただ、信じられないといった顔で見つめていた。
「けっ…、こんな甘ったるいもんで、腹が膨れるかよ。あたしらの飯は、もっとこう、歯ごたえがあって、力強いもんなんだ」
彼女はそう悪態をつきながらも、その香ばしく、どこか心を落ち着かせる香りには抗えなかったらしい。恐る恐る、しかし職人らしい手つきでフォークを手に取ると、ガトーショコラを一口分切り取り、用心深く口に運んだ。
その瞬間、彼女の頑固な表情が、ピシリと固まった。
《な……なんだい、こりゃあ……!?》
脳内に響く、驚愕の声。
《甘いだけじゃねえ…。カカオの深い苦味と、濃厚な香りが口ん中に広がる…。しっとりとして、舌の上でとろけるようだ。あたしがいつも食ってる、パサパサの黒パンとは大違いだ……》
彼女は、次にスムージーを一口飲んだ。
《こっちは、なんだか腹の底から、じんわりと落ち着くような……。それに、うまい。ああ、うまいな、こいつは……》
彼女は、それから無言で、しかしどこか恍惚とした表情で、デザートを口に運び続けた。一口食べるごとに、あれほど張り詰めていた肩の力が、ふっと抜けていくのが分かった。炉の火のように燃え盛っていたイライラが、穏やかな湖のように、静まっていく。
そして、皿とグラスが綺麗に空になった時、ツチネは、はぁ……と、今まで聞いたこともないような、穏やかで、深い息をついた。
「どうだい? 少しは落ち着いたろ。神経のささくれも、和らいだんじゃねえか?」
俺が声をかけると、ツチネはハッとして、自分の手を見つめた。あれほど、言うことを聞かずにぷるぷると震えていた指先が、今は嘘のように、ぴたりと静止している。
彼女は、信じられないといった様子で、腰の道具袋から一本の小さな彫刻刀と、練習用の木片を取り出した。そして、試しに、その木片に一族に伝わる複雑な紋様を彫り始める。
ス…スス…
彫刻刀の先端が、木の上を滑るように走る。
震えはない。迷いもない。彼女の思った通りの、滑らかで、力強く、そして美しい曲線が、木片の上に寸分の狂いもなく刻まれていく。それは、もはや作業ではなく、一つの芸術が生まれる瞬間だった。
「……なんで、だ……? あんなに震えてた、あたしの手が……。まるで、体の一部じゃねえみたいだったのによ……」
呆然と呟くツチネに、俺はニヤリと笑って言った。
「魔法じゃねえ、科学だよ。あんたの体は、足りなかった栄養を求めて悲鳴を上げてただけさ。それを、ちゃんと補給してやった。ただ、それだけのことだ。最高の道具も、使い手が万全じゃなきゃ、その力は発揮できねえだろ?」
ツチネは、しばらくの間、自分の手と、彫りかけの木片を交互に見ていたが、やがて、ふっと顔を上げた。その目には、もう焦りの色はない。職人としての、揺るぎない自信に満ちた光が戻っていた。
「……ふん。まあ、悪くはなかったよ。おかげで、最高の剣が打てそうだ。借りが、できちまったな」
彼女は、ぶっきらぼうにそう言うと、財布から金貨を数枚取り出して、カウンターに叩きつけた。
「釣りはいらねえよ! その代わり、その黒い豆、少しもらうよ!」
俺は笑って、お土産にカカオ豆と数種類のナッツを布袋に包んで渡した。ツチネはそれをひったくるように受け取ると、「じゃあな!」とだけ言い残し、風のように店を出ていった。その背中は、もう悩める職人ではなく、歴史に残る傑作を生み出す、一流の鍛冶師のものだった。
「やれやれ、威勢のいいこった」
俺は、彼女が置いていった金貨を眺めながら、小さく笑った。
職人の繊細な指先も、結局は栄養、つまり食い物が支えている。この世界の真理は、どこまでもシンプルで、面白い。
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