第八話:ドワーフと神経伝達の話 (1/3)
石のゴーレム、ゴホウさんが軽やかな足取りで森に帰ってから、数日が過ぎた。俺、仏田武ことぶっさんの店には、また穏やかな時間が流れている。ゴホウさんが入っていた樽を干しながら、俺は彼のことを思い出していた。
「役目を終えても、人生は続く、か。俺も、似たようなもんかもしれねえな」
そんなことを呟き、店の中へ戻った、その時だった。
ダァンッ!
まるで攻城兵器がぶつかったかのような轟音と共に、店のドアが蹴破らんばかりの勢いで開かれた。
そこに立っていたのは、背は低いが、鍛え上げられた鋼のように、がっしりとした体つきの女性だった。汗と煤で汚れた作業用の革エプロンを無造作に身につけ、編み込んだ赤茶色の髪からは、気の強そうな瞳がこちらを睨みつけている。その腰には、彼女の体格には不釣り合いなほど巨大で、しかし見事な装飾の施された戦鎚がぶら下がっている。間違いない、ドワーフだ。それも、ただの職人じゃない。一流の鍛冶師だ。
「ちくしょう!やってらんねえ!」
彼女は、吐き捨てるようにそう言うと、店のテーブルにどかりと腰を下ろし、そのゴツい拳をテーブルに叩きつけようとした。だが、その振り上げた拳が、目標を前にして、ぷるぷると小刻みに、まるで怯える子犬のように震えている。
「あぁクソ!この、言うこと聞きやがらねえ手は!肝心な時に、なんでだ!」
結局、彼女は拳を振り下ろすことなく、忌々しげに悪態をつきながら、震える自分の右手を、左手で必死に押さえつけていた。
「へい、いらっしゃい。威勢のいいお嬢さんだが、その手、どうしたい? 見るからに、あんたの自慢の商売道具のようだが」
俺が声をかけると、彼女はこちらをギロリと睨みつけた。その瞳には、燃えるような苛立ちと、深い焦りの色が渦巻いている。
「あぁ?見てわかんねえのかい。この大事な商-売道具が、言うことを聞かねえんだよ。一族のコンテストに出す、親方の名前を懸けた剣を打ってんだ。最後の仕上げに、刀身に一族の紋様を彫り込むって一番大事な作業だってのによ、この通り、ぷるぷる震えちまって、細かい線が一本も彫れやしねえ!これじゃあ、話にならねえんだ!」
口は悪いが、その声は悔しさで震えていた。彼女がどれだけ、その一振りに魂を懸けているかが伝わってくる。名前はツチネ。若いが、その腕は確かで、次代の工房を担うと期待されているらしい。
俺は彼女に一杯の水を差し出すと、その手を、じっくりと観察させてもらった。
(筋肉の付き方は見事だ。長年の鍛錬でできたであろうタコも、一流の職人の証だ。だが、この震えは、精神的なものじゃねえな。もっと物理的な、体の内側の問題だ)
「嬢ちゃん、無粋なことを聞くが、最近、飯は何を食ってる? やっぱり、肉か? それとも、硬い黒パンか?」
「あ? 大体そんなもんだよ。腹にたまりゃ、なんだっていいんだ。職人は体力勝負だからな。それが何か関係あんのかい」
「大ありだ。大ありどころか、それが全ての原因だ。あんたのその震え、たぶん『マグネシウム不足』だぜ」
俺の言葉に、ツチネは「まぐねしうむ?」と、初めて聞く呪文のような言葉に、怪訝な顔をした。
「筋肉ってのはな、カルシウムが『縮め』って命令を出して、マグネシウムが『緩め』って命令を出す。この二つの絶妙なバランスで、俺たちの体は、精密機械のように滑らかに動いてるんだ。だが、あんたみたいに肉やパンばっかり食ってて、鍛冶みてえな極度に集中する仕事をしてると、体の中のマグネシウムが、炉の火の粉みてえに、どんどん燃えて使われちまう。緩める役がいねえから、神経が興奮しっぱなしになって、筋肉が言うことを聞かなくなるのさ」
俺のよどみない解説に、ツチネは呆気にとられていた。
「なんだい、あんた。本当にただの料理人なのかい? 山奥の学者みたいに、小難しいことばっかり言いやがって」
「どっちも似たようなもんさ。最高の仕事には、最高の休息と栄養が必要だ。嬢ちゃん、あんたに今必要なのは、景気づけの酒じゃねえ。心と体を芯から落ち着かせる、極上のデザートだ」
俺はニヤリと笑うと、工房から甘く、そしてどこか心が安らぐような香りを漂わせる準備を始めたのだった。
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