幕間:誇り高き衛兵と、初めての安らぎ
わたくしの世界は、音でできていました。
葉が擦れる音。小枝が折れる音。闇夜に、虫が羽ばたたく、その、かすかな音。
その全てが、わたくしにとっては、巣を脅かす「敵」の音でした。
衛兵として、誇り高き一族の守り手として、眠ることなど、許されなかった。
いつしか、わたくしの神経は、張り詰めた弓の弦のように、ほんのわずかな振動にも、殺気をもって反応するようになっていたのです。
眠い。
だが、眠れない。
その、あまりにも大きな矛盾が、わたくしの魂を、内側から、ゆっくりと蝕んでいきました。
体は鉛のように重く、誇りだった黄金の羽も、輝きを失っていく。
このままでは、わたくしは、衛兵としてではなく、ただの、疲れ果てた抜け殻として、この森の土に還ってしまうのではないか。
その恐怖が、わたくしを、あの、不思議な食堂へと、導いたのかもしれません。
現れたのは、まだ、あどけなさの残る、三人の、若き料理人さんたちでした。
彼らは、わたくしの、この、無様な姿を見ても、憐れみはしませんでした。それどころか、リーダー格の若者が、こう言ったのです。
「あんたの、その張り詰めちまった魂に、最高の休息をプレゼントしてやる」と。
(…面白い。やってみるがいい)
厨房の奥で、何やら三人が真剣に話し込んでいるのが見えた。やがて、彼らの顔が上がり、その瞳には、わたくしを救うという、揺るぎない決意が宿っていた。
それから始まったのは、調理というより、もはや、わたくしの魂を調律するための、神聖な儀式でした。彼らの真剣な眼差し、作業から伝わる音、そして、厨房から漂い始めた、どこまでも優しく、温かい香りが、恐怖で固く閉ざされていたわたくしの心を、少しずつ、解きほぐしていくのが分かりました。
そして、差し出された、一つの、温かい奇跡。
「月光の寝かしつけシチュー」。
一口、口に運ぶ。
その瞬間、わたくしの世界から、戦いの音が消えました。
鶏肉の、どこまでも優しい旨味。チーズの、濃厚なコク。ほうれん草の、大地の力強い味わい。
ああ、なんと、穏やかなのでしょう。
警戒音でも、敵の足音でもない。これは、わたくしが、ずっと探し求めていた、『安らぎ』という名の、温もりでした。
そして、奇跡は、本当に起きたのです。
わたくしは、ずっと忘れていた、あの感覚を、思い出しました。
体の芯から、強張っていた力が、解きほぐされていく感覚。
そして、抗いがたい、穏やかな眠気。
《…眠い…。ああ、なんと、眠いのだろう…》
ありがとう、ザック様、リル様、ゴル様。
あなた方が与えてくれた、この優しい温もりの中で、わたくしは、この、美しき春の森で、ほんの少しだけ、羽を休めるとしましょう。
もう、この森の夜が、衛兵の張り詰めた警戒心に凍えることはありません。
代わりに、どこからか、風に乗って聞こえてくる、穏やかで、大きな寝息に、全ての命が、新しい春の訪れを、確信するのですから。
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