第三十話:雷獣とアース鍋の話 (3/3)
その、ほんの僅かな変化が、絶望に凍てついていた雷獣の子供の心に、小さな火を灯した。
《…今…ビリッて、しなかった…?》
「ああ。気のせいじゃねえ。あんたの体が、大地との繋がり方を、少しずつ思い出してる証拠だ。さあ、もっと食いな。ゆっくりでいい。一口ずつ、土の声を、体の芯で聞くんだ」
俺の言葉に、雷獣の子供は、こくりと力強く頷いた。
そして、二口、三口と、夢中で鍋を食べ進めていく。
一口ごとに、奇跡は、より確かな形となって彼の身に現れ始めた。
根菜と豚肉の旨味が溶け込んだ温かいスープが、乾ききっていた彼の体を、内側から、じんわりと潤していく。失われていた水分とミネラルが、体の隅々まで行き渡り、電気を通しやすい、本来あるべき健やかな状態へと戻していくのだ。
あれほど絶ま間なく鳴っていた、毛先の「パチ、パチ」という音が、少しずつ、その間隔を空けていく。拒絶の証のように逆立ち続けていた全身の毛が、ふわり、ふわりと、まるで雪解けの若草のように、本来の柔らかさを取り戻していく。焦げ付くような金属の匂いも、いつの間にか、優しい湯気の香りへと変わっていた。
やがて、鍋の中の食材が綺麗に空になる頃には、彼の体から放たれていた孤独な火花は、完全に消え失せていた。
彼は、自分の前足…その、今まで世界を傷つけることしかできなかった手を、信じられないといった様子で、じっと見つめている。
そして、ゆっくりと顔を上げ、俺の目を見た。俺は、約束通り、彼に向かって、そっと掌を広げてみせた。
雷獣の子供は、ごくりと喉を鳴らした。
まだ怖い。また、あの鋭い痛みで、この優しい人を傷つけてしまったら。その恐怖が、彼を縛り付ける。
「大丈夫だ、坊主」
俺は、静かに言った。
「お前さんはもう、独りじゃねえ。ちゃんと、大地と繋がってる」
俺の言葉に、彼は、意を決したように、ゆっくりと、その小さな前足を上げた。
震える指先が、一ミリ、また一ミリと、俺の掌に近づいてくる。
そして、触れた。
火花は、散らなかった。
鋭い音も、痛みも、焦げ付く匂いもない。
ただ、そこにあるのは、子供らしい、柔らかな肉球の感触と、確かな生命の温もりだけだった。
《…あたたかい…。ただ、温かいだけだ…。バチッて言わない。痛くない。煙も出ない…。これが…これが、友達が言っていた、『優しいタッチ』なんだ…》
彼の瞳から、大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
それは、絶望の涙ではない。生まれて初めて、世界と優しく繋がれた、歓喜の涙だった。
(…やれやれ、こいつ、ずいぶんと長いこと、この温もりを知らずに生きてきたんだな。無理もねえ。こんな小さな体で、たった独りで、よく頑張ってきたじゃねえか)
俺は、彼の小さな頭を、もう片方の手で、優しく撫でてやった。もちろん、火花は散らない。
「お守りだ」
俺は、お土産に、小さな銅製の鈴を、彼の首にそっとかけてやった。
「そいつを身につけて、時々、地面に腹ばいになってみな。お前さんの体の中に溜まった余計な電気が、こいつを通って、大地に優しく帰っていくはずだ。もう、お前さんは独りじゃねえ。いつでも、大地と繋がってるんだぜ」
《…うん…!うん…!ありがとう、ぶっさん…!》
彼は、何度も、何度も、その温かい鈴の音を確かめるように、首を振った。
その日、一人の雷獣の子供は、自分の体を呪うことをやめた。そして、その温かい手で、世界と、仲間たちと、優しく触れ合って生きていくのだと、強く心に誓ったのだった。
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