幕間:射手の魂と鍋のリズム
我が魂は、とうに死んだのだと、そう思っていた。
この腕は、かつて、狙った獲物を外したことなどなかった。弓と、矢と、我が体は、一つの生き物だった。だが、ある日を境に、我が腕は、裏切り者と化した。矢を放つ、その神聖な瞬間に、意思とは関係なく震え、狙いを狂わせる。
誇りを失った射手は、ただの半人半馬だ。
悔しくて、情けなくて、何度も弓を叩き折ろうと思った。だが、それすらできなかった。この弓は、我が魂そのものだったからだ。
その日も、俺は雪の中に、無様に矢を突き立てていた。そんな時、あの男が現れたのだ。ぶっさんと名乗った、ただの料理人。そいつが、俺の腐りきった心を見透かすように言った。「あんたの頭が、邪魔をしてるんだ」と。
馬鹿げている。料理人ごときに、射手の魂の何がわかる。
そう思った。そう思うしか、砕け散った誇りを保つ方法はなかった。だが、男が、俺の弓にそっと触れて言ったのだ。「見事な弓だ」と。その瞬間、俺の中で、何かが変わった。こいつは、分かっている。俺の魂の、本当の姿を。
「今日からお前は、俺の弟子だ!」
気づけば、俺は、その男の厨房に立っていた。弓の代わりに、一本の包丁を握りしめて。
最初は、地獄だった。
刃が、葉脈に引っかかる感覚が気持ち悪い。弓弦が指から滑らかに離れる、あの感覚とは、あまりにも違う。こんなことさえ、今の俺にはできないのか。絶望が、また胸を締め付けた。
「力を抜け。刃の重さに身を任せて、キャベツの声を聞いてやるんだよ」
師匠の声。俺は、言われるがままに、無心になった。
トントン…トントン…。
すると、聞こえてきた。刃が、キャベツの繊維に沿って、自然に滑り込んでいく。それは、俺の指先から腕へ、そして魂へと響き渡る、忘れかけていた心地よい旋律だった。体が、この動きこそが「正しい」のだと、喜んでいるのが分かった。
次の修行は、チャーハンだった。
鍋の中の米粒が、まるで意思を持ったように、俺に反抗する。
「違う!米粒を信じて、鍋の中で自由に踊らせてやれ!お前がやるのは、最高の舞台を用意してやることだけだ!」
師匠の檄。そうだ。俺は、コントロールしようとしすぎていた。弓を、矢を、無理やりねじ伏せようとしていた。
力を抜いた。鍋を、米粒を、信じた。
その瞬間、鍋の中の米粒が、ふわりと、生き物のように宙を舞った。
仕上げに、矢で木の実を射落とせ、と師匠は言った。
俺は、弓を構える。もう、震えはない。
的は見ない。考えるな、感じろ。キャベ-ツを刻んだ、あのリズムを。米粒を躍らせた、あの感覚を。
放たれた矢は、吸い込まれるように、木の実だけを撃ち抜いた。
ぽとり、と。その実が、チャーハンの真ん中に落ちる。
ああ、そうか。そういうことだったのか。
俺は、ずっと、頭で矢をねじ伏せようとしていたんだ。
違う。信じるのだ。この体を、この魂を。弓とは、そうして射るものだった。
《ありがとう、師匠。腹が、減った》
死んだと思っていた魂が、腹の底から、生きるための糧を求めて叫んでいた。力が、湧いてくる。
俺は、縛られていた過去の自分から、解放された。弓を射る喜びを取り戻しただけでなく、料理を作るという、世界を広げるための、もう一つの翼を手に入れたのだ。
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