第二十八話:ケンタウロスと筋肉の記憶(1/3)
「よっ、と。しかし、よく降るもんだな」
俺、仏田武ことぶっさんは、木製のスコップで店の前の雪をかき分けながら、白い息を吐いた。体を動かした後の、このキンと冷えた空気と静寂が、案外、心地よかったりする。
そんな時だった。背後の森から、風を切るような鋭い音が聞こえたのは。
ヒュッ!…そして、**ドスッ!**という、何かが木に突き刺さる鈍い音。だが、その後に続いたのは、満足のため息ではなく、深い、深い、絶望に満ちた呻き声だった。
「くそっ…!まただ…!なぜだ、なぜ、当たらんのだ…!」
俺が訝しんで店の外を覗くと、雪原の中に、一人の青年が立っていた。
上半身は、鍛え上げられた人間の青年。そして、その腰から下は、力強い栗毛の馬の体となっていた。森の射手、ケンタウロスだ。その手には、美しい白木の長弓が握られているが、その肩は、プライドを打ち砕かれ、力なく落ちている。彼の足元には、何本もの矢が、的であるはずの木から大きく外れて、雪の中に虚しく突き刺さっていた。
「いらっしゃい。旦那、ずいぶんと、難儀しているようじゃねえか」
俺が声をかけると、ケンタウロスの青年は、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、射手特有の鋭い光を失い、深い霧がかかったように、どんよりと曇っている。
《……あんたが、噂の料理人か。見ての通りだ。この腕が、言うことを聞かんのだ》
脳内に響いてきたのは、かつての自信を失い、ひどく疲れた声だった。
《どうしても、的を射ることができないのだ…。矢を放つ瞬間、意思とは関係なく、この腕が震え、狙いが定まらない。以前は、眠っていても的の中心を射抜けたというのに…。このままでは、私はただの半人半馬。射手としての誇りを、完全に失ってしまった…》
なるほど。こいつは、前世でよく聞いた「イップス」ってやつか。
(…昔テレビで見た、スランプに陥ったプロ野球選手と、同じ目をしてやがる…)
技術も、筋力も、視力も衰えていない。だが、心と体の連携が、うまくいなくなってしまっているんだ。
「旦那、あんたのその悩み、腕が悪いわけでも、弓が悪いわけでもねえ。あんたの、『頭』が、邪魔をしてるんだ」
《頭…だと…?》
「ああ。弓を射るみてえな熟練の技はな、何度も繰り返すうちに、脳が考えなくても、体が勝手に動くようになる。そいつを『筋肉の記憶』って言うんだ。だが、一度スランプに陥ると、『うまくやらなきゃ』って意識しすぎるあまり、その滑らかな体の動きに、頭が余計な命令を出して、体が混乱しちまうのさ」
俺の説明に、ケンタウロスは、呆然としていた。
「君の体は、弓の引き方を忘れたわけじゃない。むしろ、思い出そうとしすぎてるんだ。よし、任せとけ」
俺は、彼が力なく握りしめていた白木の長弓に、そっと指先で触れた。
「…見事な弓だ。こいつは、あんたみたいな一流の射手に使われて、幸せだろうな」
《……!》
俺の言葉に、ケンタウロスがはっと息を呑むのが分かった。俺はニヤリと笑うと、誇りを失いかけた孤高の射手に、力強く宣言した。
「今日からお前は俺の弟子だ!**こいつに、もう一度最高の仕事をさせてやるためにな。**弓のことは一旦忘れろ!料理を通して、お前の体に本当の動き方を思い出させてやる!」
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます!皆さんの感想や、フォロー・お気に入り登録が、何よりの励みになります。これからも、この物語を一緒に楽しんでいただけたら幸いです。




