第二十七話:トレントと脳科学の話 (3/3)
俺は、湯気の立つ、乳白色のスープを、大きな樽に静かに注いだ。
それは、ただのスープではない。森の記憶を、未来へと繋ぐための、希望のスープだった。
「よし、みんな、運ぶのを手伝ってくれるかい?」
俺が言うと、森の動物たちは、待ってましたとばかりに、一斉に動き出した。
体の大きな熊たちが樽を担ぎ、リスたちが道中の雪を払い、小鳥たちが上空から道案内をする。俺とドライアドの少女は、その行列の中心で、大切なスープがこぼれないように、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、長老の元へと向かった。
再びたどり着いた、森の聖域。
トレントの長老は、静かに、俺たちを待っていた。
「長老、森のみんなからの、贈り物だ。腹一杯、飲んでくれ」
俺が言うと、ドライアドの少女が、まるで聖水を捧げるかのように、厳かに、樽を傾けた。
温かいクリームチャウダーが、長老の乾いた根元に、ゆっくりと、優しく、染み込んでいく。
森の動物たちは、皆、固唾をのんで、その光景を見守っていた。
サーモンの「DHA・EPA」。
クルミの「脳の活力」。
ベリーの「ポリフェノール」。
そして、森の仲間たちの「願い」。
その全てが、長老の体の隅々まで、行き渡っていく。
しばらくの間、森は、完全な沈黙に包まれた。
ただ、雪が静かに降る音だけが、世界を支配していた。
そして、奇跡は、その静寂の中で起きた。
天を突くほど巨大な、長老の枝。その一番先にある、一枚の、完全に灰色になっていた葉。その先端に、ほんの、ほんの少しだけ、瑞々しい緑色が、ぽつりと、灯ったのだ。
それは、冬の森に芽吹いた、最初の若葉のようだった。
《おお……!》
《緑色が……戻った!》
森の動物たちから、歓喜の、しかし静かな声が上がる。ドライアドの少女は、その場で崩れるように膝をつき、声にならない、喜びの涙を流していた。
《……見える…。思い出したぞ…。あの一番星の名は、『常冬の案内人』。そして、月が歌ってくれた子守唄は…ああ、こんな歌じゃった…》
長老の言葉と共に、かすかだが、どこか懐かしく、美しいメロディの断片が、俺の脳裏にも流れ込んできた。
脳内に響いてきた長老の声は、まだ弱々しいが、来た時のようなノイズは、もう混じっていなかった。その声には、確かな、記憶の輝きが戻っていた。
「言ったろ? 最高のガソリンを、届けてやるってな」
俺の言葉に、長老は、その枝を優しく揺らして、感謝の意を示した。
《料理人よ、そして、森の仲間たちよ…。このご恩は忘れん。せめてもの礼に、わしの、おぼろげな記憶のかけらを、一つ、おぬしに授けよう…》
長老は、そう言うと、俺の脳内に、一つの映像を送ってきた。
それは、森のさらに奥深く、誰も知らない場所に湧き出る、月光のように輝く「泉」の映像だった。
《あれは、『命の泉』…。わしの記憶が正しければ、どんな傷も、病も癒すという…。いつか、おぬしの助けになるやもしれん…》
その言葉を最後に、長老は、穏やかな眠りについたようだった。
俺たちは、静かにその場を後にした。
帰り道、俺は、空になった樽を背負いながら、一人、静かにつぶやいた。
「やれやれ、とんでもねえ、お礼をもらっちまったな」
森の記憶を救った一杯のスープ。それが、今度は、俺を、新しい物語へと導こうとしていた。
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