第二十七話:トレントと脳科学の話(1/3)
「くそっ、やっぱりこの世界の小麦粉だと、あのモチモチ感は出ねえか…」
俺、仏田武ことぶっさんは、石窯で試作していたピザ生地をこねながら、一人ごちていた。故郷の味を再現しようと試行錯誤するのも、この異世界スローライフの楽しみの一つだ。
「まあ、これはこれで、素朴で悪くねえけどな」
そんなことを考えていた、その時だった。
ダンダンダン!
と、店のドアを、まるで壊れてしまうのではないかというほど、激しく叩く音がした。
「おっと、こりゃまた、随分と慌てたお客さんだ」
俺がドアを開けると、そこに立っていたのは、第五話で助けた、ドライアドの少女だった。彼女の美しい緑の髪は乱れ、その瞳は、今にもこぼれ落ちそうなほどの涙で潤んでいる。
「嬢ちゃん、どうしたんだい、そんなに慌てて。まあ、中に入りな」
俺が店の中に招き入れると、彼女は、わっと泣き崩れた。
《ぶっさん様、大変なんです!長老様が…!『一番星の名前を忘れてしまった』『千年前に月が歌ってくれた子守唄が、もう聞こえない』と…!長老様の葉が色を失うたびに、この森から、大切な物語が一つ、また一つと、消えていってしまうのです…!》
長老。この森の「生き字引」ともいえる、古代から生きる賢者、トレント(樹木人)のことだ。
なるほど。森の歴史そのものが、失われかけているのか。これは、ただ事じゃない。
(…記憶が霞んで消えていく苦しみか。だんだんと俺の顔も分からなくなっていった、オフクロの寂しそうな目を思い出すぜ…。よし、人ごとじゃねえ。最高の栄養を、あのじいさんの脳みそに直接ぶち込んでやる!)
俺は、内心で固く拳を握りしめた。
「嬢ちゃん、案内してくれ。長老の様子を、この目で見なきゃ始まらねえ」
俺は、ドライアドの少女に案内され、森の最も深く、神聖な場所へと向かった。
そこにいたのは、天を突くほど巨大な、一本の大樹だった。トレントの長老だ。だが、その姿は、俺が噂に聞いていたような、生命力に満たたものではなかった。葉は色を失って灰色になり、その幹には、深い疲労が刻まれている。
《…おお…おぬしが、噂の…料理人か…》
まるで、遠くから風に乗ってくるかのように、途切れ途切れで、ノイズ混じりのテレパシーが、直接、俺の脳に響いてくる。
《…もう、わしの記憶も、長くは…もたぬ…》
俺は、長老の足元、その根が張る土壌を、そっと手で掬い上げた。
(…痩せた土だ。これじゃあ、必要な栄養素を、十分に吸い上げられねえ)
俺は、長老と、心配そうに見上げるドライアドの少女に向き直った。
「長老の不調は、呪いでも病でもねえ。あんたたち植物で言うところの、根腐れみてえなもんだ。だが、問題は土の中の根っこじゃねえ。記憶を司る、『思考の根』の方だ。人間で言うなら、脳の栄養失調だな」
《のう…?》
「ああ。脳が正常に働いて、記憶を保つには、特別な栄養素が必要なんだ。今の長老は、それが圧倒的に足りてねえ。だから、記憶が消えていくのさ」
俺はニヤリと笑うと、森の存亡の危機に、力強く宣言した。
「よし、任せとけ。今日は、長老の脳みそに、最高のガソリンを届けてやる!森の記憶を、絶対に消させやしねえ!」
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