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第5話

ああ、ついにやってしまった。

心が暴走した。


私の気持ちはどこへも逃げ場がなかった。

ずっとずっと抑圧され続けてきた想いはよりにもよって、彼の目の前であふれてしまった。


一生、心に秘めるつもりだった。

だって、この気持ちを溢れさせた瞬間に、私は大好きな人を2人失うから。

でも、いつか溢れ出してしまうだろうとも思っていた。

私は最初から八方塞はっぽうふさがりの場所にいたのだろう。


先生はまっすぐに私を見ていた。その瞳にどんな感情が伴っているのかは、うまく読み取れなかった。

先に目をらしたのは私だった。彼の目をずっと見ていることが耐えられなかった。


私は、掴んでいた白衣から手を離した。ずるりと手の力を抜く。

乱れてしまった白衣を整えることもせず、先生はゆっくりと言葉をつむいだ。

「好きな人が、いるんです」

とても静かな声だった。

「気持ちに応えられなくてすみません」


「うん、知ってる」

短く答えた。

涙腺るいせんが言うことを聞かなくなりそうだった。でも、ここで泣くのはあまりにもみじめだ。唇をぎゅうっと噛んでこらえた。


そうだ。こういう男だった。


私にはもう、自白以外の選択肢は残っていない。

自分がなにをしたのか、どうしてそうしたのか、洗いざらいぶちけた。



「この部屋で起きたこと、リリィには言わないでほしい」

下を向いたまま言う。情けないほど小さな声になってしまった。

先生は返事をしなかった。

「一生、2人だけの秘密にしておいて……」

そう喋りながら、ちらりと先生の顔を見た。

表情はそれほど変わらない。でも、ほんの少しだけ困っているように見えた。


「……って言ったら、先生は黙っておいてくれる?」


長い長い沈黙だった。


やがて、先生が口を開く。

「僕は……」


それ以上聞くのが怖かった。


もしかすると先生は、この秘密を背負ってくれるかもしれない。

たった今起きた出来事を、墓場まで持っていってくれるかもしれない。


一生秘密にしたまま。

一生リリィをだましたまま。


「冗談だよ」

無理に笑顔を作ろうとしたけどうまくいかなかった。


「リリィには私から話すから」

先生に、このかせを背負ってもらうわけにはいかない。

私はきっと、その選択をしてはいけない。


「私、もう動けるんでしょう?」

先生はしばらく黙り込んだあと、低い声で「ええ」とだけ答えた。

「……帰るね」

ベッドから下りた。

お腹は少しだけ痛むけれど、グッと力を入れて耐えた。


この気持ちを溢れさせた瞬間に、大好きな人を2人失うことは分かっていた。

まずは1人目を振り切った。



体には鈍い重みが残っている。ゆっくりと歩いて帰った。

衣服は切り裂かれて血に塗れたはずだけれど、ヴィクトル医師はどうやら私が気を失っている間に着替えの世話をしてくれたらしい。生物学上は同性だ、彼はなんのためらいもなく私の衣服を脱がせただろう。

代わりに着せられていたのは飾り気のないボタンダウンシャツ。新品に見える。餞別せんべつとしてもらっておいてもいいだろうか。


「ああ、そうだ……」

寮に帰る前に試薬を回収しよう。そう思って研究室に足を向けた頃には、もうとっぷり日が暮れていた。


研究室に明かりが灯っている。

(もしかして……)

今さらひるむ必要などない。何を考えたところで、私は2人を失う。ただそれだけだ。だからためらいなく扉を開けた。



そこにはやっぱりリリィがいた。

机の上には、私が片付けそこねた試薬の一部が雑然と置きっぱなしになっている。その試薬の正体は、せんじたサカサソウだ。

リリィも薬学の研究者なのだから、カラクリはおおかた察しただろう。


リリィは少し驚いた顔をした。私が来るとは思っていなかったのかもしれない。

それでも、ゆっくり立ち上がると、口を開いた。

「あのとき……あのあと、ね。私は、マキアと先生のもとから走って逃げて……。なにをどうしたらいいか、どう考えたらいいか分からなくて……それで、ここに来たの」

話はうまくまとまらないようだ。


「それで、ここにマキアが散らかしてる試薬を見て、先生がどうしてあんな態度を取ったか分かったから。それで私は、もう一度先生のところに行って、少しだけ、話をして」

私は言葉を返さない。

それでも、リリィは一方的に話し続けた。

「……サカサソウを服用したら、口に出す言葉は全部正反対になるけど、効能はせいぜい30分しかもたない、はずだから。私は1時間以上経ってから先生のところに戻ったから、ちゃんと本当のことを、話してもらえた。だからもう全部、分かってるよ」


リリィの言うことはほとんど正解だ。

私はフリーズドライのラムネ菓子にサカサソウを仕込んだ。あれは妙な効能をもつ薬草で、服用後には思ったことと反対の言葉を言ってしまう。

私は数日前、自分で作ったラムネ菓子の効き目を、この部屋でちゃんと確認した。十分な効果をもつ薬だった。


「ねえ、マキアはさ、私がまた魔術を使えるように、サカサソウを使って、嘘を言って荒療治あらりょうじをしたんでしょう?私が魔術を暴走させるように仕向けて……なんでそんなメチャクチャなことをするの?痛かったでしょ?マキアって本当にむこうみずで」

「私、先生にキスした」

リリィの言葉を遮るように、強い声で言った。

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