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第4話

「先生、ごきげんよう!」

日曜日の朝から訪れた珍客に、ヴィクトル医師は少し驚いたようだった。

「マキアでしたか。ようこそ」

それでも、嫌な顔ひとつせず出迎えてくれる。彼はお優しいのだ。


「リリィもあとから来ると思うんだけど……あれぇ、おかしいなあ。私の方が先に着いちゃうなんて……」

ごちゃごちゃとごまかしながら、クリニックの庭先に設けられた小さなガゼボに踏み込む。


「お茶でも飲んで待ちますか」

先生が声をかけてくれた。願ったり叶ったりだ。

「うん!ありがとう!!」

リリィを真似るみたいにして少し可愛く伝えてみたけれど、きっと私は少しも可愛くないに違いない。だって私はヒロインじゃないから。


ややあって、お茶を持ってきてくれた先生に私は微笑みかける。

「差し入れに、手作りのお菓子を持ってきたのよ。フリーズドライのラムネ菓子なんだけど、甘くておいしいからさ。先生、味見してみてくれない?」



「あれ、マキア……」

持ってきたお菓子があらかたなくなったころ、リリィがやってきた。そして、ガゼボにいる私に気付いてとびきり驚いた顔をした。

私はガゼボの椅子から立ち上がり、意地悪そうに笑って見せる。


「今ね、先生とお話してたの。でも驚いたなぁ。先生はリリィよりも、私のことが好きだっていうんだもん」

「……え?」

リリィの乾いた声。

「ね、そうなんでしょ、先生?」

私は上目遣うわめづかいで問いかけてから、先生の手をギュッと握る。

突然のことに混乱しつつも、リリィはすがるような、祈るような瞳を先生に向けた。

でも、そんな目をしたってダメなんだ。


「ええ。僕はね、リリィのことは少しも好きじゃなくて」

先生は淡々と語る。

「マキアのことが好きなんです。特別なんです」


その言葉は、私の脳内でガンガンと反響した。

心がヒリヒリと震えた。涙が出そうになった。

でもこんなタイミングで涙を見せたらダメだ。私は涙目を隠すように、先生の腕にふわりと抱きついた。


「マキアが……」

リリィをチラリと見やる。この世の深淵しんえんでも見たみたいな暗い目をしていた。

「私のことを、う、裏切ったの……?」

畳み掛けるように言ってやる。

「そう。裏切ったの。ごめんね?」

「どうして……」

その暗い瞳からボロボロ、ボロボロと大粒の涙が落ちる。


「どうしてそんなことするのよっ!!!」

リリィの金切り声が響いた。


刹那。

リリィの体の周りで黒いモヤのようなものが巻き起こる。彼女の腕の中に氷の刃が出現する。

それは魔術暴走の気配だった。大きく鋭いその刃は、リリィの怒りそのものだった。


ああ、作戦はすべてうまくいった。


私は先生の肩を背後に向かってトンと押したあと、リリィに向かって歩んだ。リリィに触れるほど近くまで歩んで、言い放った。

「だって私は先生のことが好きで、リリィのことが大嫌いだもん」


絶望を絵に描いたようなリリィの顔。その瞳からこぼれ落ちる涙を見ていたら、腹に激痛が走った。

見れば、リリィが生み出した魔術の刃の一部が、私の体に深々と刺さっていた。


のたうち回りたいほどの痛み。歯を食いしばって耐えながら、私は呟く。

「なんだ……魔術、できる、じゃない……」

リリィのことを笑ってやりたかったけど、うまくいかなかった。それで、口角を少し上げた。


私の意識はそこで途絶えた。



「……っ……痛」


腹部に軽い痛みを感じ、眉根をひそめる。


思考を巡らす。

(そうだ……私は、リリィの魔術で)

すべて思い出した。無茶をしたけれど、どうやら無事に意識を取り戻すことができたらしい。


おそるおそる目を開ける。思考しながら、ゆっくり状況を整理する。

周囲は薄暗い。でも、知っている場所だ。

ヴィクトル医師が勤めるクリニックの処置室。そのベッドに寝かされているようだ。


窓の外がやけに赤々しい。夕方なのだろう。


(夕方?)

私は朝イチで来たのだから、ほぼ半日ほど意識を手放していたのだろう。

そう考えてからふと思う。

(数日経過してたらどうしよう……)


リリィの魔術はかなり効いた。腹部をひと突きにされたはずだけど、激痛は今はない。

ということは、きっと……。


「ああ、目覚めましたか」


それほど遠くない場所から低い声が飛んできて、私はびくりと体を震わせた。

私は、その落ち着き払った低い声をよく知っている。


「先生か……」

顔だけをそちらに向ける。


ヴィクトル医師は音もなく私のもとへと歩み寄る。白衣のすそがひらりと揺れる。

「半日寝てましたよ」

よかった。どうやらブランクは半日のみで済んだようだ。この医者はきっと、怪我を負い気を失った私のために、半日間にわたって回復術をかけ続けてくれたに違いない。

彼に怪我を治してもらうのは、8年ぶりのことだ。


「リリィは……」

声を出してから思う。自分の容態よりも先にリリィのことを気にしてしまった。どうにも滑稽こっけいだった。

そのおかしさが、なんだか妙に心の中に引っかかった。なんだかイライラしてしまって、つい声を荒げた。


「なんで、リリィの近くにいてあげないのよ……!」

「あなたはそれを望んでいるんですか?」

とびきりイヤな質問を返してきた。

この冷血医者め、と内心で毒づく。歯噛はがみする。


「さて、あの菓子の成分を伺えますか?おそらくサカサソウでしょう?」

私の浅知恵はすっかりバレている。


ああ、この男にはなにもかも見透かされているのかもしれない。


質問には答えず、腕で体を支えながらゆっくりと上半身を起こした。

医師は、傷の治癒具合を把握しているに違いない。私が起き上がることを止めなかったし、起き上がる手助けもしなかった。


私は手を伸ばす。

すぐ近くにいる彼の、白衣のえりをグイと掴んで、引き寄せた。


そのまま、身を乗り出すようにして―――唇を奪った。


乾いたキスだった。

ほんの一瞬だけ触れさせた唇を離して、その目を覗き込むようにしながら伝える。


「先生のことが、ずっと好きだった」

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