51 サロンでの噂話
そろそろ小麦の収穫時季が近づいた夏、ランゲル王国南部の穀倉地帯は深刻な害虫被害に遭っていた。
ローゼリアがその話を聞いたのは自身が開いたサロンに参加をしていた商人の夫人からだった。
「……ええ、ウチの主人が今年の麦はもうダメだと申しておりましたのよ。ですから皆さまも今のうちに麦を買われた方がよろしくてよ」
ローゼリアはエルランドへ行った時に馬車から見えた村々の田園風景を思い出していた。新しい領主に税を下げるように申し立て、それが通らなかったばかりに領民たちは麦の収穫量を減らす為にわざと耕作面積を減らしていた。
苦労して収穫をしても、税として持って行かれてしまうのなら収穫量を減らす。結果として領主の懐に入る税収は減ってしまうのだから、税をこれまでと同じ4割に戻して欲しいと領民たちが主張してきたのだ。
ローゼリアはその事を夜会で会ったヴィルタ派の貴族に嫌味と共に伝えられたのだった。フォレスターが領民に甘かったから領民が言う事を聞かないと。
結局今年も新領主と領民との話し合いの決着はつかなかったようなので、領民たちは相変わらず一部の元耕地を放置していた。
エルランドへ向かったローゼリアが、馬車の窓から見た時にはかなりの雑草が生い茂っていた。あれらの荒地があのままだったとするなら今頃はもっと酷い状態になっているだろうし、きっとそれが原因となって害虫被害へと繋がったのだろう。
フォレスターが治めていたのなら、領民が一部の耕作地を放棄していたとしても一年で対策を講じていただろうし、長年治めていた土地なので領民たちも聞く耳を持っていたのかもしれない。
自分とはもう関係の無い土地ではあったが、かつてのフォレスター領が荒れた様子を見るのは忍びなかった。畑を寝かせていたとしても、いつか畑に戻すための整地くらいはしていて欲しかった。
「北部の麦は大丈夫ですの?ウチは北部に伝手がありますから、収穫には早いですが取り置き分として今のうちに麦の発注をしてしまいましょうかしら」
「北部で獲れる麦は大した量ではありませんから、取り合いになってしまうかもしれませんわ」
本日のサロンは詩の朗読をした後に雑談をしながらオルコット領で作って完成させた美容液のサンプルを披露するはずだったのだが、朗読の後に設けたティータイム時の雑談で南部の麦の話が出てしまったので、今日はその話だけで終わりそうだった。
ローゼリアは夫人たちの話には入らずに、適当に相槌を打ちながら彼女たちの話す内容に耳を傾けていた。
「今のところ害虫被害は南部に集中しているという話ですが、飛び火してしまう可能性もありますわね」
「まあ、怖い。昨年も小麦が不足しがちでしたのに、今年もだなんて……」
「ブノア様、このような時はエルランド王国から支援をしていただけるのでしょうか」
一人の夫人がエルランド大使夫人であるソレンヌに疑問を投げかけた。それまでソレンヌも夫人たちの会話を聞いているだけだったのだが、ローゼリアの顔をチラリと見てから答える。
「そうですわね、国としての支援でしたら国同士の問題ですから、申し訳ありませんが私からお話し出来る事ではありませんわ」
「南部の領主はヴィルタ派の貴族が多いですから、公爵様が何とかして下さらないかしら」
ヴィルタ公爵家は国内で絶大な力を今は持っているが、外国との繋がりはほとんど持っていない貴族なので、その望みが薄い事をローゼリアは知っていたが黙っていた。
「こういう時の為に王家には国庫には麦の蓄えがあるはずでしょうから大丈夫なのでは?」
「王家といえば、王太子様がご結婚の折は王家からドレスや宝飾品の注文がたくさんありましたのに、最近ではあまりご購入されていらっしゃらないようですわ。今シーズンの夜会では王太子妃様のお姿もあまり見られませんでしたし、どうされたのかしら?」
夫人たちの会話の流れは麦の話から王太子夫妻への話へと変わっていく。
「王太子妃様にはたくさん着飾っていただかないと、私たち商人としましては困ってしまいますのに」
「シーズンの初めに御懐妊の噂が立った時には仕立て屋をしている商人たちは皆喜んでいましたのに、その後何も話を聞きませんものね」
「ウチの主人なんて王家に売り込みを掛けるのだと楽しみにしていましたのに、残念ですわ」
王太子妃が懐妊となると、これから体型に合わせて新しくドレスの発注が何着も必要になる。それに他の高位貴族も王太子夫妻の御子と自身の子供の年齢を合わせようとするので、貴族夫人たちのドレスや子供用品の発注が多くなる事を商人たちは期待していたようだった。
ローゼリアの開くサロンはオルコット家と付き合いのある貴族以外は商人の夫人が多く、商売をしている低位貴族や平民ばかりをローゼリアは招待していた。
高位貴族たちのお茶会での会話の端々から真意を読み解くような回りくどい会話を彼女たちはあまりしないので、ローゼリアはサロンを開く度に彼女たちの会話を聞く事を楽しみにしていて、敢えて高位貴族を自分のサロンには呼ばないようにしていたのだった。
「そういえば先日、兄からエルランドのお茶が送られてきましたの。よろしかったらお淹れ致しますわ」
ローゼリアは部屋の隅に控えていた侍女に指示をしてお茶を出す。当初の予定ではサロンの途中でお茶と一緒に美容液を出すつもりだったのだが、美容液を出すと彼女たちの話す市井の噂話が聞けなくなってしまうので、美容液は次のサロンで出す事にした。
お茶と共に同封されていたエーヴェルトからの手紙には、今年はエルランドの小麦を買う事を勧める内容が書いてあった。
最初は兄がオルコット商会を通じてエルランドの小麦を売りたいのかと思ったのだが、その割には売ろうとしている量がそれほど多くは無かった。輸送費を考えると割高になるので断ろうかと思っていたのだが、南部の害虫被害の話を聞いてその話を受ける事にした。
(お兄様は南部の害虫被害を早いうちから知っていらしたのか、予測をされていらしたのね)
エーヴェルトはフォレスター公爵家の次期領主として育ってきた。
領地の事も領地で収穫される麦の事も新しい領主たちよりもずっと詳しい。南部の穀倉地帯と呼ばれていたフォレスター領の麦の事は常に気に掛けており、個人的に麦の品種改良の研究もしていたのだ。
フォレスター家が領主のままであったのなら害虫被害は起こらなかったか、起きても小さな規模で止まっていただろう。
それにフォレスターにはピオシュ家出身のナタリーがいて、順調にいけばローゼリアは今頃は王太子妃となっていた。
害虫被害が防げなかったとしても、すぐにエルランドへ支援を願い出る話になっていただろう。
オルコット家は国政にもほとんど参加をしていない地方貴族だし、今のローゼリアにはオルコット領を守る事が精いっぱいで、もう国の面倒までは見れない。
そもそも国内に実家の無い今のローゼリアは、交渉するためのカードを持っていなかったし、もう国の事を考える立場にはいない
フォレスターがあったなら、次年度はフォレスターの麦を安く融通する事や、エーヴェルトが品種改良の途中だった麦の情報を開示する事を条件に支援を願い出る事が出来たかもしれない。
ランゲル国内に自領を犠牲にしてまで国に尽くそうとする貴族がどれだけいるのかは分からないが、フォレスターだったら王家の為にという家訓の元、国の為に出来る事をしただろう。
フォレスターを切った事でランゲル王国が失ったものは大きかったのだとローゼリアは改めて思うのだった。
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物語も終盤に近づいてきました。
もう少しお付き合い下さいm(_ _)m