46 残念な王子
ファーストダンスを踊り終えたローゼリアは伯爵と挨拶周りをするイアンとは別れて、壁際へと移動したのだが、早速何人かの中立派の貴族令嬢たちに囲まれてしまった。
皆が伯爵家以上の家柄の令嬢たちだった。
お互いに顔を知っている程度の関係なのに、挨拶もそこそこに質問責めに遭ってしまった。
「オルコット夫人、そちらのドレスはどちらでお買い求めになられましたの?」
「化粧品はどちらのものをお使いになっていらして?」
「そのお髪はコテで巻いていらっしゃるのかしら?」
「………」
ローゼリアにとってはこれまで隠していたものを見せるようになっただけのつもりだったのだが、周りには何かをしたと思われているようで、令嬢たちはローゼリアが美しくなった秘密を探りたいようだった。
まるで旧知の間柄のような態度に色々な事を聞いてくる女性たちにどう返したものかと考えていると、後ろから声を掛けられた。
「こんばんは、皆さん。楽しそうな事を話されていらっしゃいますのね。私も混ぜて下さるかしら?」
声のした方を見たらランゲル製のドレスを着ているが、顔立ちからエルランド人と分かる少し年上の婦人がにこにことした笑顔を浮かべて立っていた。
濃い金色の髪に明るい茶色の瞳をした婦人が持つ扇子の親骨にはローゼリアにも見覚えのある紋章が刻まれていた。
(あれは、確かエルランドの……)
「そういえば先日、エルランドへ行った折にブノワ産のワインを飲ませて頂きましたわ。ピオシュ領も少しばかり作っておりますが、エルランドでワインの産地といえばやはりブノワですわね」
令嬢たちはローゼリアが突然話題を変えた事が理解出来ずに、皆がよく分からないといった戸惑った表情を見せている。
しかし、ローゼリアが婦人にブノワ産のワインの話を振った途端、エルランド人である婦人の表情が輝いた。
「さすが、ナタリー様のご息女であられるローゼリア様ですわね。私、マシュー・ブノワが妻のソレンヌ・ブノワでございます。ナタリー様によく似ていらっしゃるからすぐに分かりましたわ」
「ローゼリア・オルコットです。改めてよろしくお願い致します」
ブノワ家はエルランド国にある伯爵家で、ピオシュ家の派閥に属している。そして今年からエルランド大使としてランゲルに駐在するようになったエルランドの貴族だった。
「そちらのドレスはもしかして、マダム・アンヌの最新デザインではなくて?」
早速ソレンヌがローゼリアのドレスの話題を振る。
「ええ、伯父から贈られましたの」
「まあ、公爵様が!独特の織り模様がある布地と、刺繍の細やかさはマダムのお店のドレスと思っていましたら、公爵様からの贈り物だなんて素晴らしいドレスですわね。それにあのドレスショップの予約はなかなか取れないと有名ですのに、羨ましいですわ」
「母が昔から懇意にしているドレスショップと聞いていますわ」
「マダム・アンヌがまだ無名だった頃、ナタリー様がマダムのドレスを幾度となくお召しになった事で人気のドレスショップに成長したのは有名な話ですものね」
「母はこだわりが強いのですが、マダムの手にかかれば思う通りの仕上がりになると話しておりましたわ」
「お贈りになられたのは公爵様でも、きっとナタリー様が布地やデザインをお選びになられたのでしょうね。公爵家様はナタリー様を溺愛されていらっしゃいますから、ナタリー様によく似ていらっしゃるローゼリア様の事も実のお子様と同じように思われていらっしゃるのではなくて?」
ソレンヌの話を聞いて、それまで喰ってかかるような態度の令嬢たちが一歩、二歩と後ずさろうとしていた。
若い世代にはローゼリアの母親の実家の情報はエルランドの貴族という程度しか知られていない。ソレンヌがエルランドの公爵家という言葉を何度も使うので、フォレスターが無くなってもローゼリアにはエルランド国の公爵家という後ろ盾があるのだと令嬢たちは理解したのだった。
ソレンヌとの会話はまだ途中だったが、急に周囲のざわめきが変わった事にローゼリアは気付いた。
何が起きたのだろうと思って、当たりに目を配らすと、人々の波を分けるようにこちらへむかってくる人物がいたのだ。
ホールの片隅で話していただけだったので目立たないと思っていたのだが、ローゼリアの事をしっかり見ていた人物がいたのだった。
歩いてくる人物を視界に入れたローゼリアは僅かに眉を顰める。
その人物はローゼリア達のところまで来ると、まっすぐにローゼリアを見て手を差し出した。
「初めまして、ご令嬢。よろしかったら私と一曲踊っていただけませんか?」
よりによって新婚の元婚約者が、キラキラとした笑顔を浮かべながらローゼリアをダンスに誘ってきたのだった。
口ぶりからして、おそらくヘンリックは自分の話し掛けている相手がローゼリアだと気付いていない。
入場時に名前を告げられてからずっと貴族たちの視線を感じていたし、何かしら自分の事を話をされている様子は気付いていたので、ローゼリアは自分の変わりようが驚かれているのは分かってはいた。
それでもヘンリックとは幼い頃から顔を合わせていたのだ。厚化粧を強いられていたが、何年も顔を突き合わせてきた仲なのにヘンリックはローゼリアの顔が分からないのだと周りにも知らしめてしまったのだった。
ローゼリアは、エーヴェルトが彼をよく馬鹿王子と呼んでいた事を思い出していた。