39 ナタリーからの洗礼
ローゼリアがピオシュ子爵家に着いた翌日は、ピオシュ子爵家の本家でもあるピオシュ公爵家へナタリーと共に挨拶も兼ねた昼食会へ参加することになっていた。
イアンは旅の疲れを癒す為の休養も兼ねて公爵家へは行かずに子爵家で過ごす事になっている。
イアンもローゼリアと共に公爵家へ来ても良かったのだが、まだエルランド語が話せないイアンを気遣ってローゼリアがそのように取り計らったのだった。
そして旅の目的であった絵皿の工房へは、さらに一日空けた二日後に行く事になっていた。
「イアン卿は騎士をされていたとお聞きしました。よろしかったら僕と手合わせをしていただけませんか?」
朝食の席でエーヴェルトがにっこりとイアンに笑みを向ける。なかなか断りにくい笑みだった。
「……ええ、私でよろしければお相手を致します」
慣れない貴族家で緊張し続けているからか、一晩経ったイアンの受け答えはローゼリアが出会った頃のものにすっかり戻っていた。
場を和ませようと思い、ローゼリアはふと思った事を話題に出してみた。
「あら、お兄様は剣術よりも弓の方がお上手ではなくて?」
「今は護衛がいないから、自分の身は自分で守れるようにしようと思って剣の鍛錬もしているんだ。僕も元は文官だったから大した事はないけどね」
「フォレスターのお祖父様は武官でもいらしたから、お兄様にもその才能は受け継がれていらっしゃいますわ」
自嘲気味に苦笑いを浮かべるエーヴェルトにローゼリアはキラキラした眼差しを向ける。
「そうだね、フォレスターは王家の盾とまで呼ばれていたね。でもまさか守ってきたはずの彼らに後ろから刺されるとは思わなかったなあ。あれを見抜けなかった僕もまだまだ甘かったよ。父上の王家への忠誠心の厚さはお祖父様の教育の賜物だから、僕はフォレスターの大地で眠っておられるお祖父様に何度も恨み事を言いたくなったよ」
「あらあ、エーヴェルト。私はランゲル家にロゼを嫁がせなくて済んで良かったと思っているのよ。あの頃はいつローゼリアが潰されるのではないかと冷や冷やしていたわ。それにほら、今の方がロゼの表情が明るいわ」
そう言いながら母のナタリーはデザートに手を付け始める。
「それは同感ですね。僕もこの国の方が生きやすく感じていますし、ロゼも僕もエルランドの血が濃いから、この国の方が僕たちには合っているかもしれませんね」
エーヴェルトがそう言うと、カトラリーを持っていたイアンの手がピタリと止まった。
「伯爵様に捨てられたらいつでも帰っていらっしゃい。きっと公爵でもあるお兄様がロゼに素敵な縁談相手を見つけてくださるわ」
ナタリーがニコニコしながらローゼリアに話し掛ける。
(この笑顔のお母様って何か企んでいらっしゃる時のお顔よね……。話を合わせた方がいいのかしら?)
「あらお母様、私のような地味な女が出戻っては伯父様もお困りになってしまうだけでしてよ」
「ローゼリア、もっと自信を持ちなさい。ここはランゲルではありませんのよ。貴女のお祖母様は先代国王陛下の王妹で、かつてはピオシュの宝石と呼ばれた私の娘ですわ。磨いて着飾れば誰よりも美しい子なのに、ランゲルではあなたの事は王家に口出しをされて口惜しいといつも思っていたのよ。もうあの家の言う事なんて聞かなくてもいいのだから、あなたはもっと着飾りなさい。良かったらエルランドの夜会に出てみるといいわ。留学していたは1、2年前なのだし、あなたと同世代で独身の令息はまだいるわよ。時々いらっしゃるエーヴェルトの学友だったあの令息もまだ独身でしたわね」
「母上、あいつはロゼには近づきませんよ。それに留学時代のロゼは男子生徒よりも女子生徒に人気がありましたから」
エーヴェルトが苦笑いを浮かべる。
ローゼリアは留学していた頃の事を思い出して、くすりと笑ってしまった。
「ふふふ、でしたら出戻った時は最初に伯父様にご挨拶に行かないといけませんわね。お兄様のお友達だったあのお方のお名前は確か……」
「――食事の途中で申し訳ありませんが、失礼します」
いつもよりも食べる進みが遅く、デザートまで食べていなかったのだが、イアンが突然席を立って食堂から出て行ってしまった。
「イアン様、どうしたのかしら?」
ローゼリアが不思議そうにそう言うと、エーヴェルトはため息を吐いた。
「母上、やり過ぎです」
「そうね、少し虐め過ぎてしまったかしら?でも貴族たる者、少しくらい言い返さないと、ねえ?」
「そうですが、彼のようなタイプは一度拗れると面倒そうです」
「この程度で拗ねるくらいならそれまでのお相手という事よ。私たちは今日は忙しいわ。そもそも今のはエーヴェルトが始めた事だわ。だから後でエーヴェルトがうまく取りなしておきなさい」
そう言ってナタリーはエーヴェルトに目配せをする。
「わかりました。けれど今後は過度にイアン卿を煽るのはやめて下さいね」
「ええ、気を付けるわ」
悪びれる様子もなくナタリーは優雅にお茶を飲むのだった。
母と兄のやり取りが読み切れていないローゼリアはきょとんとした表情を浮かべていた。
「お母様はイアン様の事がお気に召さなかったのでしょうか?」
「彼がどのような方か知りたかったのよ。問題のある人物ならどんな手を使ってもロゼから離した方がいいでしょう?」
「イアン様の事をお知りになりたいのでしたら、私に聞いて下されば良かったのに。あの方は裏表の無い方ですから、貴族的な言い回しは気分を悪くされる事がありますわ。それに貴族を苦手に思っていらっしゃるからか、社交界ではいつも私から離れて下さいませんのよ。もっと令嬢と話して欲しいのに本当に困っていますわ」
ナタリーはローゼリアの様子にあきれたと言わんばかりの表情で大きくため息を吐く。
「王家に嫁ぐ身だからと、幼い頃からアレ以外の令息を一切近づけさせなかったのは失敗だったわね。……ロゼ、あなたはどんな宝石よりも美しいのよ。けれども宝石は磨かなければ光らないし、自分の価値を知ってこそ輝けると思うの。貴女にはもっと自分の価値を知って欲しいわ」
ナタリーは不憫だと言わんばかりに眉尻を下げてローゼリアを見つめるのだったが、ローゼリアは母親のそんな思いには気付かないのだった。