38 家族会議
それまでローゼリアの正面に座っていたナタリーは、ローゼリアが座る二人掛けのソファの隣に座り直してから改めてローゼリアを抱きしめる。
ふわりと包み込むような甘い香りにローゼリアは懐かしさを感じていた。母のお気に入りの香水の香りを感じながらローゼリアは瞳を閉じる。
「ロゼ、オルコット家で辛い思いはしていない?私が寝込んでさえいなかったら種無し伯爵にあなたを嫁がせたりなんてしなかったのに、あなたには申し訳ない事をしてしまったってずっと思っていたのよ」
「お母様、心配をなさらないで。伯爵様との約束で条件を満たせばあと5年ほどで離縁して下さる事になってしますのよ」
ローゼリアから体を離したナタリーは自分と同じ青い瞳を見つめる。
「まあ!オルコット伯爵は目が節穴かしら?こんなにかわいらしいロゼを手放す約束をするなんて!」
子煩悩な母親の様子を懐かしく感じて、ローゼリアはにっこりと笑った。
「ふふふ、私の事をかわいいと言うのは家族くらいですわ。……それとこれは内密にしたかったので、お手紙には書けませんでしたが、実は伯爵様とは白い結婚ですのよ」
部屋には二人しかいなく、それでもローゼリアは囁くように小さな声で白い結婚の事を打ち明けのだが、ナタリーは大きな声を上げる。
「まあ!まあ!やっぱりオルコット伯爵の目は節穴だわ!こんなに美しいロゼを妻に迎えおいて白い結婚なんて!」
その時ドアをノックする音がして、イアンを客間へと案内し終えたエーヴェルトが戻ってきたので、ローゼリアはエーヴェルトにも説明をした。
ローゼリアの話を聞いてエーヴェルトは少しの間何かを考えているようだったが、やがて口を開いた。
「……なるほど、それで伯爵と交わした条件の内容は?」
「伯爵様がお認めになった貴族女性とイアン様が結婚出来るようにお手伝いをする事と、婚姻後の1年間はその女性をオルコット家の女主人としてお育てする事。貴族として不慣れなイアン様の社交のお手伝いと、貴族女性をエスコート等のお相手が出来るように私がイアン様をご指導して差し上げる事で、期限は5年ですわ」
ローゼリアが話し終わったところで、再びノックの音がして先ほどの侍女が化粧品のサンプルと新たに淹れ直したお茶を持ってきた。
再びナタリーが侍女を退出させたので、応接間には家族だけしかいない。
エーヴェルトは新たに淹れ直された温かいお茶を飲みながら、やはり少し何かを考えている様子だったが、少ししてから口を開いた。
「伯爵の認めた貴族女性との結婚というのがやっかいだな。ランゲルは成婚年齢が他の国よりも低いから、婚約者のいない高位貴族令嬢となるとイアン卿よりも10歳は下になるだろう。僕も今はイアン卿と同じで婚約者がいないから彼の事は言えないが、そもそもイアン卿自身の様子を聞くと、彼こそが訳有りの令息だろう。それに高位貴族の中でのオルコットは下位だ。年齢差の事も考えると、令嬢が多くて余っている家の令嬢か、何かしらの事情のある令嬢しか候補がいなくなるな。僕の知る限りランゲルの高位貴族の中でそういった家の令嬢はほとんどいない。探すとしたら庶子くらいか」
説明をしていなかったのに現状をピタリと言い当てるエーヴェルトにローゼリアは脱帽していた。
「それと問題なのが、これまで恋愛結婚を当たり前としていた環境にいた彼が結婚を政略だと割り切れるかどうかも微妙なところだな。」
エーヴェルトの言葉に同意するようにローゼリアは頷いた。
「お兄様のおっしゃる通りですわ。イアン様は以前よりも伯爵家の後継教育は熱心に学んでいらっしゃるようなのですが、結婚の事となるとあまり積極的ではありませんのよ」
ため息を吐きながらローゼリアは話を続ける。
「フォレスター時代の昔のご縁はほとんど切れてしまいましたし、良いご令嬢を紹介する伝手が今の私は持っていませんでしょう。ですから私が低位貴族の令嬢をお育てしようと思いましたけれど、イアン様は貴族令嬢を苦手に感じていらっしゃるからそれも難しくて……」
ローゼリアの話を聞いて紅茶を飲もうとしていたエーヴェルトの動きが止まる。
「貴族令嬢が苦手な割にはロゼとは問題無く接している様子だったね。ロゼとの距離も近かったから、イアン卿とはそれほど仲が悪くはないだろう?以前見た時の彼はもう少し表情が硬かったな」
エーヴェルトが思い出しているのは伯爵との結婚のためにローゼリアを迎えに来たイアンの姿だった。
「お兄様、それは私の努力の成果ですわ。エスコートの練習の為に二人で夜会へも何度も行きましたし、ダンスの練習相手も私がしていますのよ。護衛騎士のようだったあの方もやっと貴族令息らしくなってきましたでしょう?」
これまで頑張ってきた事を嬉しそうにそう報告するローゼリアに、エーヴェルトは苦笑いを浮かべた。
「うーん、僕は何となく伯爵の意図が見えてきたよ。事情があって婚約破棄された高位貴族令嬢が居ないわけではないからね。母上はどう思います?」
お茶を飲みながら兄妹の様子を見ていたナタリーが、ゆっくりとカップをソーサーに置いて話し始めた。
「そうね、今は政治的なしがらみが無いからロゼの気持ち次第かしらねえ?親としては近くにいて欲しいけれど、白い結婚であっても未婚の令嬢に比べたらロゼの条件は良いとは言えないわ。伯爵と離縁するのが婚姻から5年後ではロゼは22歳でしょう。エルランドでも初婚の女性としては厳しい年齢だわ。それに離縁して戻ってきてもここでは子爵令嬢なのよね。次の嫁ぎ先は良くて低位貴族令息か高位貴族の後妻か第二夫人あたりが妥当だわ。……本当にあの人がもっとしっかりしていれば、あの馬鹿王子が有責で婚約破棄にしたのに」
言いながらナタリーは頭が痛いと言わんばかりに額に手を当てる。
「お母様、私の事はお気になさらないで。私はもう、婚約も結婚もいいと思っていますのよ。それに白い結婚の条件として、私からは白い結婚による離縁が出来ない約束になっていますから、まずはイアン様に結婚をしてもらわないと私の離縁話も進みませんの」
ナタリーとエーヴェルトは顔を見合わせた。そんな二人をローゼリアは不思議な表情で見る。
「白い結婚でありながらロゼから離婚が出来ない契約とはうまく丸め込まれたね。それにロゼは伯爵に気に入られているだろう?……ロゼはイアン卿の事をどう思う?」
「イアン様ですか?最初は私、すごく苦手でしたの。だってあの方、必要な事以外は何も話されない方でしたから、嫌われていると思っていましたの。それからあの方を怒らせてしまった事もありましたわ。伯爵様は上司のようなお方ですから、イアン様は同僚?のような関係かしら?」
ローゼリアの様子を見ながら、エーヴェルトは慎重に話を切り出した。
「例えば、イアン卿と結婚をしたいとは思わない?」
確かめるようにローゼリアの瞳をじっと見つめるエーヴェルトの言葉に、ローゼリアは分かりやすいくらいに眉を顰めた。
「どうして私がイアン様と結婚をしないといけませんの?お母様やお兄様の元へ帰る為に頑張っていますのに、イアン様と結婚をしたらそれが出来なくなってしまいますわ。それに男性は口うるさい女性はお好きではないでしょう。私、あの方にはいつも歯にきぬ着せぬ物言いをしていますもの。イアン様が私を望まれる事はありませんし、冷たい関係は前の婚約で充分ですわ。イアン様とだなんて政略でも無い限りあり得ませんわ」
「……なるほどね。ロゼの気持ちは分かったよ」
そう言ってエーヴェルトはローゼリアに優しく微笑んだ後に、すっと瞳を細める。
「僕はもうロゼには望まない結婚はさせたくないと思っているから安心おし。あれだけ僕たちは王家に尽くしてきたというのに、こんなにかわいくて宝石のようなロゼを裏切り、石ほどの価値しかない女を選んだのだから、いずれあの馬鹿も自分が選んだものの価値の低さに後悔をするだろうな」
「あの方の事はもういいですわ。王家からの要求も多かったですし、婚約者というより教育係のようなことばかりやらされていましたもの。物語に登場する王子様は素敵な方ばかりなのに、現実は違いましたわね」
ローゼリアがそう言うと、エーヴェルトは腕を組んでしばらく何かを考えていたが、姿勢を正して正面に座るローゼリアを見つめて声を潜めた。
「僕はねロゼ、義理堅い人間なんだ。受けた恩はきっちり返したいと思っているし、その逆も然りだよ。手紙では書けない事だし、こうやって会って話す機会はなかなか無いからここで話してしまうのだけれど、数年以内にランゲルは他国から外圧を受ける事になる」
ローゼリアは一瞬瞳を大きく見開いたが、分かっていると言わんばかりにすぐに微笑みを浮かべた。
「お兄様ならきっと動かれると思っていましたわ。お父様も本当はそちらのお仕事もされていらっしゃるのではなくて?」
「イアン卿の手前、父の事はああ言ったが実際はピオシュ家の領地の仕事をしながら必要に応じて父上は動いている。あれでも一応は歴史ある筆頭公爵家当主だったからね。父の趣味は読書だったし、ランゲル国内の事情や王家の知識はかなり豊富なんだ。あの国を攻略するには武力と政略のどちらの面でも父の知識は武器になる」
「私にも何か出来る事はありまして?」
「ロゼは自分の身の安全を第一に考えて。本当はロゼが離縁してエルランドに来てから動くのが良いのだけれど、僕や父上だけの力では時期までは選べないから、もしかしたらロゼも巻き込まれてしまうかもしれない。危ないと思ったら伯爵やイアン卿と一緒にエルランドまで逃げて来て欲しい」
「わかりました。ローゼリアはお兄様やお父様がご活躍される事をお祈り致していますわ」
「ありがとう、ロゼ」
そう言ってエーヴェルトはローゼリアの頭を撫でて微笑んだ。