35 かつてフォレスター領だった土地
オルコット領からエルランドへの国境に向かう途中には旧フォレスター領を通る。広大だった土地は今ではいくつかに分けられて、それぞれ違う貴族たちが領主として治めている。
あれからまだ一年経っていないというのに、馬車の窓から見るかつてのフォレスター領は、以前のように活気のある土地には見えなかった。
「元フォレスター領は気になりますか?」
ローゼリアの正面に座ったイアンは、窓の外をずっと眺めているローゼリアに声を掛ける。
「ええ、フォレスターが治めていた頃とは雰囲気が変わりましたから」
今日のローゼリアは一日馬車に揺られている予定なので、大した化粧もせずに髪も簡単にハーフアップでまとめただけだった。素顔のローゼリアは小柄で瞳が大きいせいか、実際の年齢よりもいく分か幼く見える。
イアンもローゼリアとは反対側の窓から外の景色を眺める。
フォレスター領は穀倉地帯と聞いていたのに、麦畑はそれほど多くはなかった。オルコット領とは違い、なだらかで平地が多いというのに耕地ではない土地が目立つ。
「遊ばせている土地が多いのにもったいないですね」
「前はもっと麦畑が広がっていたのですが、今年は以前ほど麦を育てなかったようですわ」
収穫はとうに終わっているので、麦畑だった土地には麦を刈り取ったと思われる痕が見られるのだが、そういった土地がイアンが思っていたよりも少なかったのだ。反対に目立っているのが、手入れのされていない雑草が生えた土地だった。
以前はそれらの土地にもしっかりと麦が植えられていたはずだが、伸びきった雑草を見る限り今年は麦を植えるどころか何もせずに放置している土地なのだと分かる。
「フォレスターが領地替えをされて新しい領地へ移る折に、この辺りではございませんが、元領地を通りましたの」
窓の外を見ながらローゼリアはぽつりと呟いた。
「領民たちも元領主一家が去られるのを惜しんだのでしょうね」
イアンの言葉を聞いたローゼリアは小さくため息を漏らした。
「いいえ、私たち一家が領地を通りましたら領民たちに怒られてしまいましたわ」
「えっ?」
思わぬ答えにイアンは驚いた表情を浮かべる。
そんなイアンの反応を見て、ローゼリアは悲しそうに笑う。
「フォレスターが治めていた時よりも税収が上げられて生活が苦しくなった、どうしてくれるのだと言われてしまいましたの。フォレスター領だった頃、我が家がどれくらいの税を領民たちに求めていたと思いまして?」
イアンは伯爵から教わった領地と税収についての事柄を思い出しながら答える。
「国に納める税が2割、領主の取り分として4割プラスして収穫量から6割の税を領民に納めさせるのが一般的ですよね。オルコットも領民に求める税は合わせて6割です。新しい領主はどのくらいの税を求めたのでしょうか?」
「新しい領主が求めた税は6割ですわ。フォレスターの時は4割しか求めませんでしたから領民からにとっては2割の増税となりましたの」
「ええっ!国へ納める分も合わせたら4割は低過ぎです。フォレスターの取り分が2割では領地運営が成り立たないのではないですか?」
伯爵から領地運営について学んでいたイアンは、フォレスターのしていた事が信じられなかった。
「祖父の代では税収を5割としていたのですが、生活が苦しいと訴える領民の言葉を鵜呑みにした父は、兄が生まれた時に嫡男が生まれた祝いだと言って税収を4割にまで下げてしまいましたの」
「祝い事があった時は税収を下げる事もありますが、1割も下げるのは多い方ですし、それだって次の年には戻すでしょう」
「税を下げた翌年に母や家令が税を上げるようにと何度も父に諫言していたのですが、4割でもやっていけたのだから今後も領主として領民の為に節約をすべきだと言って父は税収を戻さなかったそうですわ」
「どうしてそのような事を…」
「父は父なりに正しくあろうとしたのでしょうね。フォレスターを蹴落とそう、力を削ごうと思う者たちにとって父は阿呆に見えましたでしょう。後から分かったのは領地の家人や領民の中に間者がかなり紛れ込んでいたらしく、領民の生活がかなり苦しいと父は思い込まされていましたの。貴族から見たら領民の生活の程度なんて分かりませんから、管理を任せている者や町や村の代表の話を信じるしかありませんもの。人が良いばかりではだめなのだと思い知らされましたわ」
しかし、たとえ騙されたのだとしても、取られた財産も領地ももう戻ってこない。
「税収が減り、少しずつ財を減らしていったフォレスターは公爵家の体面を保つのがやっとで、蓄えも底を尽きかけていましたわ。母は持参金をやり繰りしていましたが、最後の方は夜会用のドレスの新調が年に2、3着となっていましたのよ。なので社交をする事が厳しくなってしまい、公爵夫人は社交嫌いだと言われるようになってしまいましたわ」
各家の財政状況はその家の者にしか分からない。フォレスターほどの大貴族がそのような理由で財政難に陥っていたとは誰も思わなかっただろう。
「私は王家から婚約者用の経費でドレスが何着か支給されましたので、お茶会程度でしたら問題なく社交も出来たのですが、陛下は我が家が財政的に厳しい事をご存知でしたから、フォレスターとの縁組に旨みを感じられなかったのでしょうね。ですから婚約破棄をしようとしていた殿下を強くお止めしなかったのでしょう。あと数年で兄が父から実権を完全に取り上げて、税収を戻すと言って密かに準備を進めていましたのよ。せっかく問題のある代官や使用人たちのあぶり出しをしていましたのに間に合いませんでしたわ。こうなると分かっていたら、家族総出で一時的でも父から当主としての権限を取り上げるべきでしたわ」
そう言ってローゼリアは大きくため息をついた。
「祖父は剣術、父は戦略を立てるのが好きでしたの。どちらも今の平和な世の中では役に立ちませんわ。それに二人共に王家を守る事に心血を注ぐような人でしたの。交際費もあまり使わないからと、母の分も含めて削っていましたから、政界でフォレスターの発言力が弱まっているところに気付かなかったのでしょうね」
「失礼ですが、元フォスター公爵は……その」
「はっきり言いまして祖父は脳筋でしたし、父は祖父ほどではなくとも似たところがありますわ。父は祖父とは違って数字を見るのが好きなので帳簿関係は得意だったのですが、空いた時間ではよく過去の戦記を読み返しながら、こうすればもっと効率良く勝てたなどと軍師の真似事のような空想ばかりしていましたの。一応は領主としてのある程度の仕事はそれなりにしておりましたから、主たる王家さえ裏切らなければ兄が継ぐ数年先までは何とか持ったはずでしたのに……」
ローゼリアの話を聞きながら、イアンはローゼリアの恋愛小説好きはきっと父親に似たのだと思った。
「ですから、イアン様も伯爵様のおっしゃる事をよくお聞きになって下さいまし。実家ばかりではなく嫁いだ家までも潰れてしまいましたら、まるで私に何かあるように思われてしまいますもの」
貴族の笑みを浮かべているローゼリアの心中をイアンは理解する事は出来ないが、自分も考えるよりも動いている方が得意で、腹の探り合いはあまり好きではない。オルコット領の領民たちに生活が苦しいと泣きつかれたら何も考えずに税を下げてしまうかもしれない。
「……ええ、領地の事で判断をしないといけない時は、義父上に相談してからにします」
フォレスターの話からまさか話が自分へと飛び火してしまうとは思わなかったイアンは慌てて答えた。
「それとあの事件を起こした代官はフォレスターの派閥であった男爵家の三男でしたが、その男爵家は我が家が没落後はすぐにパウヌの派閥に入りましたのよ。元代官だった三男も行方不明とされていますが、それもどこまで信じればいいのか分かりませんわ」
そう言いながらローゼリアは目を伏せる。
「……大変、でしたね」
「ええ、でもこれでようやく父の目も覚めたようなのですが、既にフォレスターは無くなってしまいましたから遅いですわね。ですから私は税収以外の収入を得る事にとても興味がありますの。税収以外の収入源は必要ですもの。伯爵様は私に事業計画を立てさせて私個人の資産を増やして下さるから、感謝をしてもし切れませんわ」
やっとローゼリアの口調にいつもの張りが戻ってきた。
「義父も自分の取り分はしっかり取っていますし、先日は本の売り上げで馬車を一台新調できると喜んでいましたよ」
「それはようございました。先日頂いたお手紙には腰痛が辛いと書かれていらしたから、来シーズン王都へいらっしゃる折は道中のご負担が少なくなりますわね」
そう言いながらローゼリアはにこやかに笑うのだが、ふと笑みを消して真顔になってイアンを見つめる。
美しい彼女に見つめられたイアンはドキリとしたが、それは一瞬の事だった。
「イアン様、よくお聞きになって下さい。いずれこの国は荒れます」
そう話すローゼリアの声色は低く、彼女の表情には陰が差していた。




