25 初めて歩く平民街
商会を出てから、王都の巡回騎士をしていたイアンに街歩きをしないかと誘われたので、ローゼリアはイアンに連れられて王都を歩く事にした。
物珍しそうにきょろきょろと見回すローゼリアは、王都に初めて来た子供のように瞳をキラキラと輝かせていた。
「義母上は王都生まれの王都育ちでしたよね?」
「ええ、ですが安全のために街を歩く事は禁止されていましたし、馬車のカーテンも明けてはいけないと言われていましたので、街を歩くのもじっくり見るのも初めてですの」
そう言ってローゼリアは書店で行き会ってしまったヘンリックの事を思い出す。あの時店の前に馬車は停まっていなかった事と、慣れた様子で平民の姿をしていた事から、ヘンリックはこれまでも街歩きを何度もしていたのではないだろうか、という可能性に気付いてしまった。
(もしかして自由が無かったのは私だけだったの!?)
ローゼリアの眉間にはシワが寄る。
行動を規制されていたローゼリアの世界は狭かった。買い物をしたい時はいつも家に商人を呼んでいたし、外に出る時はお茶会や夜会に行く時や王太子の婚約者として公務で孤児院等に慰問した時だけで、王太子妃教育も教師を呼んでフォレスター家で受けていた。
だからローゼリアの王太子妃教育は外国語やマナー等の一般的な淑女教育をより高度な内容にしただけで終わってしまった。
王宮内の抜け道や王家の隠された歴史等、王家が秘匿したい内容については婚姻後に教わる事になっていたので、それらの事をローゼリアは知らない。
王宮の建物内部の事だってヘンリックとのお茶会でしか王宮へは行かなかったので、応接室までの行き方しか分からない。だから婚約破棄後もこうして無事に過ごせていけるのだった。
ローゼリアは足早にどんどん歩いて行く。
「義母上、どうかされましたか?」
「どうもしなくてよ」
そう言いながらローゼリアはさらにスタスタと歩き、すぐそばの十字路を曲がる。
「あっ、そちらに行かれると平民街ですよ」
「せっかく自由になったのですから、あなたまで私に命令をしないでくださる?」
突然不機嫌になってしまったローゼリアを、イアンはよく分からないまま慌てて追い掛けるのだった。
貴族街は通りに石畳が敷かれていたが、平民街をどんどん歩いていくと石畳の道はすぐに終わってしまい、地面がむき出している道に変わっていく。建物も貴族街と同じ石造りではあるが小ぶりで彩色されていない、灰色の壁の建物が並ぶようになり、窓の多さからそれぞれの部屋が小さいことが外からでも分かる。
通りに面している建物のほとんどが商店で、外に置かれたテーブルに商品を並べている店が多く、歩いているだけで様々なものを見れるので、目を楽しませてくれる。そうやって歩いているうちにローゼリアの苛立った気持ちも柔らかくなっていった。
「イアン様、あの濃くて黄色い飲み物は何ですの?」
「あれは果実水ですね。果物屋が売れ残った果物を混ぜて絞って売っています。葡萄や苺の果実水とは違って色はイマイチですが、美味いですよ」
「ではあれは?人が並んでいるようですが、何かを焼いていらっしゃるようね」
「あれは肉屋が串に刺した肉を焼いています。買う時にタレを選ぶことで甘めと辛めの好きな方の味のものを食べられます」
「そうなのですね、私はあれとあれを食べてみたいですわ」
ローゼリアは果物屋と肉屋を指で指し示す。イアンはギョッとした表情を浮かべる。
「果実水はともかく令嬢が串焼きですか!?もう少し先にパン屋と焼き菓子屋がありますよ。せめて焼き栗にしませんか?」
「焼き栗って何ですの?」
「ああ、栗を焼いて売ってます。この季節にしか出回っていない食べ物です」
「でしたらあれらを買い終わったら次は焼き栗にしましょう」
イアンの忠告は無視してローゼリアは何を買うのかを決めてしまう。
「いや、でも串焼きは慣れないと服を汚しますし……」
「私はあれを食べる事に決めましたの。私に命令はしないで下さる?」
「別に命令をしたつもりはありませんが、……令嬢とは思えない跳ねっ返りぶりだな」
イアンは最後の方は小さな声で呟いたのだが、ローゼリアには聞こえていたようだった。
「え、何ですの?」
「いえ、今買ってきます、並ぶので少しお待ち下さい。串焼きは甘口にしますね」
イアンを待っている間、ローゼリアの前を何台かの馬車が通る。いかにも平民用の幌馬車には薪がたくさん乗せられていた。他には家門の無い馬車や辻馬車が通っていく。幌馬車も辻馬車もローゼリアにとっては珍しかったので、立っているだけでも飽きなかった。
「義母上、お待たせしました。少し先に行った広場にベンチがあるので、そこで座って食べましょう」
そう言いながらイアンは串焼きを2本と果実水を持ってローゼリアを広場まで案内してくれた。
◆◆◆
【ヘンリックside】
久し振りに城下に降りてきたヘンリックは家門の入っていない馬車に乗り、平民街から貴族街へと向かっていた。
もう少しで貴族街というところで、いつか本屋の2階で出会った金色の髪の少女を窓の外に見つけた。
少女は道の端に一人で立ち、ぼんやりと街道をながめている。
「停めてくれ!」
ヘンリックは御者席側にある小窓を開けて声を上げる。
「えっ、ちょっとお待ち下さい殿下。すぐ後ろを辻馬車が走ってるので、次の角を曲がったら止まります」
急に声を掛けられた御者は慌てて返事をする。すぐに少女のところに行きたかったヘンリックはすぐに停まれないと言われて拳を握る。
「早くしてくれ」
馬車はすぐには停まれないので少女との距離がどんどん開いてしまうのがヘンリックにはもどかしかった。
やっと十字路にさしかかり、左折してすぐのところでようやく馬車が停まった。
御者がドアを開けるのも待ち遠しくて、ヘンリックは自らドアを開けて外に飛び出す。
理由は分からないが、彼女はヘンリックにとって不思議と心魅かれる女性だった。初めて会った後もしばらくは彼女の事が忘れられなかった。マリーナとの浮気を真実の愛だとして世間的には美談にしようとしているが、こうも偶然出会えてしまう彼女にはマリーナ以上に運命的なものをヘンリックは勝手に感じていた。
ヘンリックは向かう先の遠くに再び彼女の姿を見つける。
「………あ」
走っていたヘンリックの足が止まった。
白金の髪をした彼女に近づく男がいたからだった。
黒い髪で体格の良さそうな男は串焼きと果実水の入ったコップを持ちながら彼女に話しかけている。
ヘンリックからは彼女の顔は見えなかったが、男の言葉に頷いているところを見ると知り合いのようだった。
やがて彼女と男が連れ立つように並んで歩き出す。ちらりと見えた彼女の横顔は笑っているようだった。
二人共、裕福そうな平民が着るような服を着ているので、恋人か婚約者同士なのかもしれない。
冷水をかけられた気分になったヘンリックはそこで我に返った。
(私は何をしていたのだろう…)
少しだけ気になった女性がいたがその女性には相手がいた、それだけだ。
ヘンリックは踵を返すと来た道を戻り、一人寂しく馬車へ向かうのだった。