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17 会いたくない人①

 翌日ローゼリアが出掛けたのは王都で一番大きな書店だった。


 ローゼリアが向かうのは二階で、このフロアには専門書と外国語で書かれた本が置かれている。


 そしてローゼリアは外国語で書かれた本を集めた棚の前にいた。


(ああ、これでやっとあの本の続きが読めますわ!)


 その本はエルランド語で書かれている。エルランドに留学していたローゼリアにとってエルランドは第二の故郷と言ってもいい国なので、自国の文字で書かれていなくても本を読むのに差し障りは無い。


 没落前のローゼリアの趣味は恋愛小説を読むことだった。恋愛にも結婚にも夢を見る事が許されなかったローゼリアにとって心を癒してくれる存在だった。


 隣国のエルランドではあれだけ令嬢たちに人気のある恋愛小説だが、自国のランゲル語では一冊も売られていないのだった。


 それでも没落前はエルランド語で書かれた恋愛小説を読むことができたのだが、それらの小説も没落した時に全て手放してしまい、ローゼリアは人生のささやかな楽しみと癒しに飢えていた。


 当時王太子の婚約者だったローゼリアに自由はほとんど無く、安全上の理由から街へ出て買い物もさせてもらえなかった。本は出入りの商人に持ってきてもらうか侍女や侍従に頼むのだが、エルランド語を読めない彼らにお目当ての本を手に入れてもらう事は難しく、自分で書店へ出向いて直接選びたいと常に思っていたのだった。


(エルランドの書物は、隣国だけあって思っていた以上にたくさんありますわっ!)


 ローゼリアは棚に入れられた本の題名を目で追っていく。書店で働いている者はエルランド語が読めないようで、外国語の本はジャンルごとに分類されていないので探すのに少し時間がかかりそうだが、幸いなことに専門書や外国語で書かれた本を買い求めようとする客は少なく、混み合った一階と比べて二階は客も少ないので、ゆっくり探せそうだった。


 ローゼリアが留学時代に読んでいた小説の中で、前編だけを読んで後編を読んでいない小説があった。いつか手に入れて読もうと続きを楽しみにしていたのに、実家が没落してしまい、続きが読めないままだったのだ。


 いつか読みたいと思っていたのだが、没落後は食べる事がやっとの暮らしで、とても小説が欲しいとは言えなかった。だから伯爵から買い物の許可を貰った時に、その本があったら買おうと真っ先に決めていた。


(ありましたわ!ああ、良く見ると背表紙が似ているからか、この辺り棚には恋愛小説がたくさんありますわね。色々ありましたけれど本を買ってもらえるなんて、結婚して良かったですわ!)


 ローゼリアは心の中で一人ガッツポーズをとっていた。


(この本はヒロインがけなげでいじらしいのですわよね。前編では王子と離れ離れになってしまい、どうなるかと思っていましたが、これで続きが読めますわ。ヒーローが王子というのが気に入らないですが仕方ありませんわ。他に買う本は王子がヒーローで無さそうな本を選びましょう。ヒーローが王子の本なんてしばらく読みたくはありませんもの)


 淑女教育を忘れて本棚の前で百面相を披露していたローゼリアは、久し振りの本に夢中になり過ぎて、近くに自分を見つめる気配があることに気が付けなかった。


 装丁がしっかりしている上に外国語で書かれた本は他の本と比べて1冊が高価だったが、伯爵が提示してくれた金子があれば10冊は余裕で買える。伯爵は何も言っていなかったが、伯爵夫人としての身なりをもっと整える為のドレスや宝飾品を買うためにと渡してくれたのは理解していたが、心の癒しを前にしたローゼリアは、ネジの外れた賭博師のように、使えるお金を全て恋愛小説につぎ込もうとしていた。


 そして持てる限りの本を持ったローゼリアは、ホクホクした表情を浮かべながら一階で待っている伯爵家の侍女のところへ行こうとした時に突然声を掛けられた。


「そんなにたくさんお持ちになられて大変そうですね。手伝いましょうか?」


 少し前まで毎日水汲みと畑仕事をしていたローゼリアは、公爵令嬢時代にくらべて体力がついていたので、少しくらい重くても平気だったのだが、たくさんの本を抱える小柄なローゼリアを見掛けた声の主はそう思わなかったらしい。


 断ろうと顔を上げたら、目の前に立っていたのが一番会いたくない男だった上に、その彼がローゼリアの前では一度も見せた事もないキラキラした笑顔を浮かべていたので、ローゼリアは口を開きかけて止まってしまった。


(どうしてこんなところにいるの!?)


半年ほど前の茶会で別れて以来、手紙一つ交わさなかったヘンリックが、人の良さそうな笑みを浮かべて手を差し伸べていた。


「……………」


 今日のローゼリアは化粧をほとんどしていない。髪の一部は結んで整えてもらっているが、コテを使わなかったので地毛のふわふわしたままだし、化粧だって唇に紅を軽く差している程度しかしていない。服装も町娘のようにコットにチュニックを重ねて着ているだけだ。


 ローゼリアは分かりやすく眉を顰める。


 ヘンリックは白いシャツに飾り気の無いベストとスラックスという簡素な出で立ちで、そばに共を付けていない。しかしよくよく周りを観察してみると、少し離れた場所で買い物客を装いながらもこちらをチラチラ見ている男は彼の側近の一人だった。


(お忍びということは、ここで何かあっても多少のことなら不敬にはならないわよね?)


 そう思ったローゼリアはヘンリックに背を向けて早足気味に歩き出した。偶然行き会ってしまった事は仕方ないが、フォレスター家を裏切った相手に親切にされる謂われは無い。


「ちょっと、待って」


 ローゼリアはヘンリックを無視して本を抱えたままスタスタと階段を下りていく。


 追ってくるかとも思ったが、そのような事は無く、ローゼリアは1階で料理の本を読んでいた侍女と合流すると、彼女が読んでいた本も合わせて会計のカウンターへ持って行き早々に店を出た。




 ◆◆◆




【ヘンリックside】


 ヴィルタ領は王都に一番近い領地なので、ヘンリックは狩猟パーティーが終わった翌日には王都へ戻ってきていた。婚約者のマリーナはもう少しゆっくりしていたいと言っていたので、まだヴィルタ領で過ごしている。


 議会も社交もシーズンオフだったのでこの時期は、執務の量を調整すれば空き時間を一日作れる。昨年はそうやってマリーナとの逢瀬の時間を作ったが、婚約者となった今年は公に会う事が出来るようになったので、今年はお忍びで王都を散策するようになった。


 何の気なしに入ったその書店は王都一、つまり国で一番大きな書店なのでヘンリックはその店を気に入っていた。王宮にある図書室も蔵書量がかなりあるのだが、書店に置かれた本の方が知識や情報は新しいので、時々は訪れるようにしている。


 二階の専門書にある造船技術の本が納められている場所に行こうとした時に、視界の隅に鮮やかな白金色の髪が映り、つい足を止めてしまった。


 ランゲル王国の国民のおおよそ半数くらいは茶色の髪色をしていて、次に多いのが赤毛でその次が黒色、金髪はあまり見かけない。だから最初は珍しい色だと思ったのだった。


 触ったら柔らかそうなふわふわな白金色の髪色は元の婚約者の事を思い起こさせたが、似た色でも彼女の髪質はストレートで重そうだった。それにヘンリックの記憶の中の元婚約者よりも目の前の彼女は小柄に見える。


(どんな顔立ちをしているのだろう?)


 ローゼリアとの婚約では他に心を移したヘンリックだが、浮気をしたのはその一度きりで、元々ローゼリアに恋愛感情を抱いていなかったヘンリック自身は、マリーナへの思いは本気だからと、傍から見ているとおかしな話なのだが、彼の中では浮気という認識はしていなかった。


 だから、マリーナ以外の女性に興味を持ってしまった自分に戸惑っていた。


 この書店の二階は専門書と外国語で書かれた本しか置かれていないので、このフロアで女性を見かけた事は初めてだった。そもそも、この国の女性たちはあまり本を読まない。この国の貴族女性たちに一番多く読まれている本は詩集で、貴族家のサロンでは詩の朗読会がよく開かれている。


 書棚の前で表情をくるくる変えながら本を探す事に夢中な彼女は見ていて微笑ましかった。ヘンリックは自分も本を探しに来たのを忘れて、しばらく彼女の様子をじっと見ていた。


 珍しい場所で珍しい髪色の女性を見かけたから気になっただけだと結論づけたヘンリックだったが、小柄な割にたくさん本を持とうとしている女性を見てとうとう声を掛けてしまった。


「そんなにたくさんお持ちになられて大変そうですね。手伝いましょうか?」


 そこで初めて女性はヘンリックに気付いたらしく、顔を上げてヘンリックの顔を見る。


 大きな瞳が特徴的な美しい顔立ちの少女にヘンリックは胸をどきりさせた。


 女性は突然声を掛けられた事で驚いてしまったらしく、大きな瞳をさらに大きく見開いて、ただヘンリックを見つめている。


 化粧はあまりしていないようだったが、少し日に焼けた健康的な肌に、この国の国民にはあまり見られない大きな瞳を見て、ヘンリックは彼女が外国人の女性であると判断した。


(エルランド国出身の者か?)


 隣国エルランドはランゲル王国と比べて金髪の者がかなり多い。外交で王族とも会った事があるが、彼らは目の前の彼女のように瞳が大きかった。


 この国で美しいとされる女性の特徴とは違うが、小さな顔に大きな瞳と小さな口と鼻がバランス良く配置された彼女の顔立ちはランゲル人の自分でも美しいと思うし、エルランドではおそらく彼女はかなりの美人の部類に入るだろう。


 ヘンリックがそんな事を考えているうちに、その女性はくるりと踵を返してスタスタと階段の方へ向かって行ってしまった。


「ちょっと、待って」


 ここで別れてしまうのが惜しいような気がしたヘンリックは、引き留めようと声を掛けたが、それでも彼女は去ってしまった。


(ランゲル国の言葉が分からなかったのだろうか?)


 身なりからしておそらく彼女は良くて裕福な平民だろう。自分の人生とは交わる事はない相手だと思い、ヘンリックは後追いはせずにその場に留まった。


 ヘンリックが一瞬だが心魅かれた相手が、実は自分が裏切った元婚約者だったと気付くのはもう少し先の事であった。

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嘘でしょう!? 誰だか分からないで声かけてきたの!?
ヘンリックの馬鹿っぷりが止まらないwwww
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