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悪役令嬢もののWeb発小説の世界に転生したら僕が聖女の兄で、悪役令嬢から王子を奪った妹がざまぁされそうになっていた  作者: 丹羽夏子


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第30話 僕があなたをハッピーエンドにしてみせるよ

 しばらく、ナタニエルとセシルの間の空気が、止まった。


 二人は、見つめ合ったまま、何も言わず、何もせずに突っ立っていた。


 たっぷり数十秒ほど経ってから、ナタニエルが言った。


「早くして」


 苛立っている。


「ぼくの言うことを聞いてよ」


 さらにもう数秒もったいつけてから、セシルは口を開いた。


「だめです」


 はっきりと、きっぱりと、言った。


「僕は、それを、絶対に、開けません」


 断言した。


「いけません、ナタニエル殿下」


 手を伸ばして、ナタニエルの腕をつかんだ。

 そのまま、その場に膝をつく。

 三つも年上の男の手に引っ張られて、ナタニエルの指と指とが離れ、四角形が崩れた。両手が離れ、セシルにやられるがまま両腿の外側につける。気をつけの姿勢だ。


「どんなに頼まれても、それはできません」

「なぜ」

「僕にはあなた様を正しく導く務めがあります」


 一音一音を確かめるように、言葉を紡ぐ。


「あなた様のためにも」


 ナタニエルが、目を見開いた。


「それをしたら、あなた様が、戻ってこられなくなります」


 悪の王として即位し、ヴァルトラウトに滅ぼされる。


 ナタニエルはきっと国じゅうに恨まれて歴史上の汚点となるだろう。


 それこそ、不憫過ぎる。


「ちゃんと人生をやっていきましょう。まっとうな手段で父上様と対決し、意見を戦わせていきましょう。僕がついていますから。失敗したら国家反逆罪で首を刎ねられるようなことをしてはなりません。僕がそれをお止めします」


 少し、間が空いた。


「……っ」


 ナタニエルの表情が、ゆがんだ。


「それ、兄上にも言ったの?」

「え?」

「セシルは兄上のものだったから。兄上にも同じことを言ったんだよね」

「何をおおせですか」


 こんなことを口に出して言ったことはなかった。なぜなら、アリスに出会うまでのエルンストは、大人びていて、真面目でしっかりしていて、誰からも名君になると思われていたからだ。彼はそもそもクーデターなど企図しなかっただろう。否、しないだろう。彼は紛争地帯で今も静かに生活している。


「そもそも、僕はものじゃないので、エルンスト殿下のものとかナタニエル殿下のものとか、ないですよ。僕は自分の意思でエルンスト殿下やナタニエル殿下と向き合って、それで、その時その時自分の良心に従って何が正しいかを判断しています」


 突然だった。


 ナタニエルが勢いよく足を持ち上げた。


 その膝がセシルの腹に入った。


「……ぐ……っ」


 綺麗に決まってしまった。


 苦しい。目眩がする。子供と言っても護身術の訓練を受けている相手だ。重い。


 その場にうずくまったセシルの背中を、ナタニエルが三回ほど蹴りつける。


「自分だけが清潔でいられると思いやがって」


 蹴りながら、彼は「嫌い、嫌い、嫌い」と連呼した。


「せっかく兄上からお前を奪えたと思ったのに」


 声が、震えている。


「兄上から全部を奪ってやろうと思っていたのに……!」


 痛みに耐えながら、セシルは、あー、とひとつ納得した。


 クソデカ感情だ。


 ナタニエルを突き動かしているのは、エルンストへのクソデカ感情だったのだ。


 可哀想だ。


 オタクにとってそれはご褒美らしいが、セシル的にはそれは呪いであり暴力性の発露である。


 ありすがナタニエルを推していた理由もよくわかった。ありすは男同士の超巨大感情が好きだったのだ。しかも兄弟で……。業が深すぎる。


 ナタニエルが蹴るのをやめた。


 セシルが顔を上げると、彼はポケットから先ほどのナイフを取り出していた。


「もういいよ」


 ナイフを組み立てる。


「死んで」


 セシルの首を、頸動脈を、狙ってくる。


 今度こそ死ぬのか。


 しかし、ここでまた新たな展開が始まった。


 ナタニエルの手に何かがぶつかった。ナタニエルの手が震えて、ナイフがあらぬ方角に飛んでいった。どこかに落ちて、からんからん、という音を立てた。


 ナタニエルが手を押さえながら階段のほうを見た。


「風魔法か」


 どうやら誰かが彼の手に空気のかたまりをぶつけたらしかった。


 誰か、など――この状況では、たった一人しか思いつかない。


「許さないわよ」


 彼女は――ヴァルトラウトがそう言いながら、階段をおりてきた。


「それだけは、絶対に許さないわ」


 松明の炎で、彼女の瞳がぎらぎらと輝いている。


「セシルに手を出したら、わたくしがあなたを殺す」


 ナタニエルが両手をヴァルトラウトのほうに向かってかざした。炎のかたまりが宙に浮かぶ。火属性の魔法だ。

 その炎が、ヴァルトラウトのほうに向かっていく。


 ヴァルトラウトは顔色ひとつ変えずに歩いてきた。


 彼女の眼前に、巨大な水のかたまりが浮かんだ。水属性の魔法だ。


 ヴァルトラウトの水が、ナタニエルの炎を、打ち消した。


「四つの年の差と積み重ねてきた努力の違いを見せつけられたいようですわね」


 彼女がそう言うと、ナタニエルは舌打ちをした。圧倒的な力の差を見せつけられて反論できないらしい。


「セシルを解放しなさい。そうすればわたくしはあなた様を傷つけずに見逃してさしあげます。何もおっしゃらずに授業に戻りなさい」


 ナタニエルはしばらくヴァルトラウトをにらんでいたが、ややあって、階段を上がり始めた。


「おぼえていろよ」


 そう吐き捨てて、光のほうに向かっていく。


 彼が歩くたびにひとつずつ階段を照らす松明が消えていったが、代わりにヴァルトラウトが火属性の魔法を使って空中に火の玉を浮かべた。ヴァルトラウトとセシルがお互いの表情を確認できる程度の明るさは保たれた。


 ナタニエルの姿が、完全に、消える。


 セシルはゆっくり、上半身を起こした。


 突如、ヴァルトラウトが抱きついてきた。


「よかった……!」


 先ほどの堂々たる態度からは想像もつかない涙声を出した。


「……よかった……! 間に合った」


 セシルをしっかり抱き締める。左手ではセシルの制服の背中を握り締め、右手ではセシルの後頭部を撫でた。


「あなたに何かあったらと思ったら……わたくしは……っ」


 セシルは苦笑して彼女を抱き締め返した。今はとにかく彼女をなだめなければならないと思ったからだ。セシル自身はもう恐怖や不安を感じていなかったが、彼女はそうではなさそうだ。


「大丈夫だよ。なんともない。心配しすぎだよ」

「でも、わたくし、心配で」


 額をセシルの肩に押しつける。


「本当に、本当に心配で。もし神様がどこかで見ていて世界を由良みかんが書いたシナリオに引き戻そうとしていたとしたら、あなたはどこかの段階で殺されてしまうのではないか、と思うと、本当に、眠れないくらいつらくて――」


 そして、「それで」と、ぽつり、続けた。


「ここのところ魔法を駆使してずっとストーカーをしていました……ごめんなさい……」


 セシルは声を上げて笑った。道理でタイミングよく現れたわけだ。


「そんなに僕のことが好き?」


 冗談のつもりで、茶化してそう問い掛けた。


「好きよ」


 彼女の回答に、大きく、両目を見開いた。


「好き。いえ、好きなどという軽いものではないの。愛しているの」


 セシルの手が自然と震えた。


「ずっとあなたのストーカーをしていたの……。激重感情がコントールできなくて……好きすぎて、たまらなくて……っ」

「なんだ」


 おそるおそる、ヴァルトラウトを抱き締め返した。


「じゃあ、両想いなんだ」


 彼女の髪に、頬を寄せる。


「なんだ……あなたも僕のことが好きだったのか……」

「セシル……?」

「僕も……僕もあなたのことが好きなんだ。もう絶対僕のほうが重いって断言できるくらい」


 かたく、かたく、抱き締め合う。


 泣けてきた。


「僕のほうがめちゃくちゃ重い男なのに……。あなたを原作どおりにザカリアスとくっつけたくないって、ザカリアスを対象に丑の刻参りしようかと思うくらいに」


 ヴァルトラウトがからっとした声で笑った。


「まだそんなことを気にしているの?」

「どういう意味だよ」

「わたくし、ザカリアスとくっつかないわよ」

「えっ? でも原作では――」

「もういいわ。ふくすべのストーリーは一回忘れましょう」


 彼女が上半身を起こしたので、セシルも体を離した。

 彼女は涙に濡れた顔で微笑んでいた。

 華奢な手を伸ばして、セシルの頬を包み込む。


「あなたがプロットをめちゃくちゃにしてしまったし、このまま突き進んでもどうせエタっているのだから、すべて一からやり直すわ。ザカリアスとは絶対恋愛しません!」

「えええ!? じゃあ由良みかんはどうやって成仏するの?」

「いいわよ、どうだって。由良みかんとわたくしはイコールじゃないもの」


 セシルの苦悩と葛藤を知らずによくも言ってくれたな、と思ったが、そういえば、前世のセシルと今世のセシルもイコールではない。


 セシルは、自分の人生を歩き出したのだ。


「新しいトゥルーエンドを目指しましょう」


 セシルの頬を撫でながら、ヴァルトラウトが言った。


「ヴァルトラウトはセシルと幸せになるわ。永遠に二人きりの共依存メリバ。どう?」


 思わず笑ってしまった。


「ハッピーエンドにしてみせるよ。僕はあなたを、ハッピーエンドにしたい」


 ヴァルトラウトが顔を近づけてきた。

 セシルは軽く目を伏せながら、そんな彼女の唇に唇を寄せた。





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