第28話 アリスがめちゃくちゃにしたオルファリア王室
罪悪感と名状しがたくどす黒い感情のごちゃ混ぜが胸の中から去ってくれないため、以来数日ほどセシルは露骨にヴァルトラウトを避けた。
ヴァルトラウトのほうも、セシルに話し掛けてこなかった。
お互い視界に入らないようにしている。
何が女王になろう、だ。
自己嫌悪で溶けてしまいそうになる。
しかし何をどこまで考えても、やはり、セシルは彼女を女王にするために何をしたらいいのかわからない、という壁にぶち当たる。
考えないように自分に言い聞かせて、日々の生活を粛々とこなしていくしかない。
と考えながらの数日後、ハプニングが起こった。
なんと、国王陛下に呼び出されてしまったのである。
謁見の間ではなく、フレデリク王の書斎に連れてこられた。
執務室ならまだしも、王のプライベート空間の一部である。
部屋は王族が使う部屋のわりには広くない。八畳間くらいの部屋である上、壁の一面が本棚で埋め尽くされているため、圧迫感がある。
ダークカラーの木材の机の向こう側に、革張りの黒くて大きな椅子に座ったフレデリク王が、いる。その目はどことなく冷たい。
怒られが発生する予感。
机の前で突っ立って硬直しているセシルに、王は溜息をついた。
「そなた、最近ヴァルトラウトと喧嘩をしているようではないか」
「も……申し訳ございません……」
「何を謝る必要があるか、ヴァルトラウトも子供ではないのだから、いくら伯父とはいえ余があれの交友関係につべこべ言うつもりはない。余が興味を持っているのは、喧嘩の原因となったとおぼしきナタニエルのことである」
ほっとしたのも束の間、もっと厄介な相手の話に飛んだ。セシルは空気で首を絞められている気分になった。
「よくご存じでいらっしゃる」
「学園に間諜はいないとでも思っておるのかね。学園の生徒たちは皆貴族の子弟であるぞ。管理したいと思わないわけがなかろう」
「確かに……」
「ましてお前はアルベールの息子なのだから、注目せずにはいられない」
そこで一瞬、彼はにやりと笑った。
彼はセシルの前でたまにこういう顔をすることがある。この顔を見るとなんとなく親しみを感じる。いたずらっ子を眺めて楽しんでいる顔のように思えるからである。
彼にとってのセシルは、幼馴染であり、政治的な片腕であり、義兄弟である宰相アルベールの息子だ。
この義兄弟というのが姻戚関係もないのにどういうつながりなのかよくわからないのだが、桃園の誓いのようなものであると思う。そう信じたい。日本の古い時代の念者念弟のようなものではないと固く信じている。なんかたまに距離が近くて怖いがたぶん大丈夫。
とにかく、そういうわけで王にはセシルもとにかく可愛がられている。
それで損をすることはない。
そのはずだった。
「そなたが相手だから打ち明けるが」
王が椅子から立ち上がった。机を迂回して、こちらに近づいてくる。
声が小さくなり、ひそやかなものになっていく。
「最近ナタニエルが余の言うことを聞かなくなってきた」
セシルは王の顔色を窺いながら「存じております」と答えた。
「ヴァルトラウトが、陛下と殿下の間に微妙な空気が流れていると言っていました」
「ナタニエルはどうやら余がザカリアスに対して良い顔をしたことが気に入らんようなのだ。しかし余はもう戦争にはほとほと疲れた。近隣諸国との関係は良いに越したことはない。次期パルカール王たるザカリアスと揉めたくないのだ。わかるかね」
「もちろんです」
前世の記憶をたぐる。小中学校の頃の平和教育で見た空襲の絵や、大人になってからもニュースで見ざるを得なかった紛争地帯の映像を思い出す。
科学技術の発展の度合いが違うので、この世界にミサイルや爆撃機はない。しかし、魔術師が火属性の魔法で人間を焼き尽くすことはあるらしい。
「若い者は戦争を知らん」
フレデリク王の顔に、深い苦労が見て取れた。
「二十年間、我が国は戦争をしてこなかった。この二十年で生まれた子供たちは我々がどのような思いで平和な社会を維持してきたのか知らんのだ。とはいえその平和な社会もかりそめのものだった。パルカール王国との戦争は停戦であり終戦ではない。本当は恒常的な平和条約が必要なのだ。そのためにザカリアスを厚遇するのは当然だ。そう思わんか」
セシルはためらうことなくはっきり頷いた。
「陛下のおっしゃるとおりです。僕もザカリアス殿下とうまく付き合っていくことがこの国のためであり世界全体のことだと思っています」
「うむ。そなたは物分かりが良くていい。可愛い子だ」
その可愛い子という語尾はいらないが、良い印象を持ってもらえることはありがたい。
「ナタニエルはそうではない。ナタニエルはこれからきっと悪さをするだろう。ザカリアスをないがしろにするようなことを。余の意思に背くようなことを」
第二部では、ナタニエルはフレデリク王に対して謀反を起こす。王は落命し、王位を簒奪される。
「そなた、ナタニエルについていてくれんかね」
難しい立場になった。
「余はそなたを頼りにしている。だからこそ、ヴァルトラウトではなくナタニエルの味方をしてやってほしい」
部屋の中をうろうろ歩き回りながらしゃべっていた彼が、やがて、セシルの真正面に来た。
「ヴァルトラウトが余に忠実であってくれることはとても嬉しく思っている。そのヴァルトラウトと対立することが余と対立することにつながりかねないのは承知の上だ。しかし余はそう思わずにおく。セシルは、セシル。ヴァルトラウトは、ヴァルトラウト。そなたは、ナタニエルにつくように」
腕を伸ばし、セシルの肩をつかむ。何度か撫でたのち、強い力で叩く。
「ナタニエルを正しく導いてやってくれんかね。そばにいて、必要に応じて説教をしてやってほしい。そなたが子供だった頃、エルンストにしていたように」
それを聞いて、セシルは切ない気持ちになった。
王はセシルが小さい頃エルンストとどういう関係だったのかおぼえている。そして、セシルとエルンストのその関係を、主従のあり方として正しいものだったと思っているに違いない。それをセシルとナタニエルで再現しようとしているのか。
「ナタニエル殿下には、付き人はいないのですか。エルンスト殿下に僕が付き従っていたような、ああいう相手は」
「おらん」
王が溜息をつく。
「あれの気性が激しすぎて、誰もついてこないのだ。余も手こずっておる」
セシルはうなだれた。
重い役目が回ってきてしまった。
「セシルよ」
王が両手でセシルの両方の二の腕をつかんだ。
「あの子を正しく導けるのはそなただけ。余はそう信じているのだ。頼む。このとおりだ」
「陛下、おやめください、陛下のお立場で家臣の子供にそんな態度を取られるなんて」
「うむ……」
手を、離す。
「そなた以外の誰にも漏らせぬ話だが――」
踵を返して、窓のほうを向いた。樹木の先端がわずかに黄色くなりつつある。
「こんなことならばエルンストを手離すのではなかったな……あれはもう少し聞き分けがよかった」
ずきりと、胸が痛んだ。
「アリスめ。聖女と言いながらとんだ悪女であった。王室をめちゃくちゃにしてくれよって」
その子は僕の妹なんですよ、僕の前で悪女だなんて言わないでくださいよ、と言いたい気持ちを呑み込んだ。それこそ生意気だと思われないか不安だ。
エルンストは王室をめちゃくちゃにしたかったようだ。それには成功している。おかげで多大な犠牲が払われた。
そのツケを、一番の従者でありアリスの兄のセシルがなんとかする時が来たのかもしれない。




