第27話 これが、恋をするということ
「――わかりました」
セシルは覚悟を決めて頷いた。
「殿下と僕で隠し事をしましょう」
ナタニエルが邪悪に笑う。
「特に父上には、絶対ナイショにしてくれるね?」
「もちろんです」
だがそれはナタニエルへの義理や世界への野心のためではない。王家を、ひいては社会を混乱させないためだ。秘密を握った上で、セシルが独力でナタニエルを説得して、無茶なことを――おそらく王への反逆を企てているのを阻止する。
「では、行こうか」
そう言って一歩を踏み出そうとした――
その時、声を掛けられた。
「セシル!」
切羽詰まった、焦りを内包した声だった。
声がしたほうに顔を向けると、ヴァルトラウトが小走りで近づいてきているところだった。
彼女は強引にセシルとナタニエルの間に割って入ってきた。セシルをかばうように仁王立ちになり、ナタニエルと対面する。
セシルはヴァルトラウトの背後に立つ形になったので、彼女の顔を見ることができない。今、どんな表情をしているかはわからない。けれど彼女の声のトーンが落ち着いたので、いつもの冷静さを取り戻したのではないかと思う。
「ナタニエル殿下、セシルに何のご用ですか」
「セシルに話し掛けるためには君の許可が必要なのかな」
「セシルはわたくしの大事な友人です。殿下の悪だくみに巻き込まれそうになっているようならば止めます」
「大事な友人ねえ」
彼女のそんな一言に、セシルの心は傷ついた。急いで来てくれたのだからきっと特別に心配してくれているのだろうと思って少し嬉しくなっていたが、あくまで友人か、と思うと落胆してしまう。
しかしナタニエルは違う解釈をしたようだ。
ヴァルトラウトの肩越しに見えるナタニエルの表情は、不快感をはっきり表現していた。
「これだから大人は嫌だよ」
「特に含みはありません。これ以上もこれ以下もありません。殿下が勘繰ったところで何も出てきませんわ」
「ふうん。かまととぶって」
へえ、この世界の十四歳はかまととなんていう言葉を使えるんだ、という現実逃避はさておき。
セシルは後ろから「ヴァルトラウト」と声を掛けた。
「何を心配しているのかは知らないけど、大丈夫だよ。僕はわきまえてる。ヴァルトラウトが心配するようなことは何もしない」
ヴァルトラウトが振り返り、セシルを冷たい目で見る。
こんな目で見られたのは、お互いが転生者であることを確かめた辺境領でのパーティ以来、初めてだ。
セシルが前世の記憶を取り戻すまでは、よくこんな目で見られていた。セシルが自分の立場をわきまえずにアリスアリスとうるさかったからだ。セシルが道を踏み外すと彼女はこういう目でセシルを見るようになるのだ、ということにようやく気づいた。
幸か不幸か予鈴が鳴った。緊迫した空気のせいで忘れそうになっていたが、ここは学校の敷地内で、今は昼休みの時間である。
「午後の授業が始まりますわ。おさぼりでよろしくて?」
ヴァルトラウトがそう言うと、ナタニエルが舌打ちをした。
「無断で授業を欠席すると、よからぬことを画策していると勘繰られますよ」
「君たちは?」
「エルンスト殿下との婚約破棄以来一年半も休学していたわたくしと三ヵ月も辺境領の視察に行かされた挙げ句二週間の停学処分をくらった男の出席率など誰が気にしますか」
ほんとだ、僕の出席率すごいヤバい。ちょっとつらい。
「留年するよ」
「あいにくですがペーパーテストの成績と陛下のおぼえが良いので」
ナタニエルはヴァルトラウトの顔をにらんだまま足の向きを変えた。視線はそのままで低学年の教室棟へと歩き出す。
「ごきげんよう。またいつか話をしよう」
セシルが何かを言う前にヴァルトラウトが「結構ですわ」と言ってしまった。セシルは溜息をついた。
ナタニエルの姿が消えると、ヴァルトラウトがこちらを向いた。その美しい顔はその他大勢に向けるのと同じ冷たい表情だったが、琥珀色の目には怒りが滲んでいる。
「勝手なことをしないで」
「勝手なこと?」
「今、王家ではナタニエル殿下がザカリアス殿下と口論になったことが話題になっているわ。ナタニエル殿下はフレデリク陛下からお叱りを受け、この親子の関係が微妙な雰囲気になっている」
ヴァルトラウトは王の姪なので、そういう情報も入ってくる。一方セシルは宰相の息子で、政治的に不都合なことを家族に明かすことのない、守秘義務の考え方を徹底している父から王家の情報が漏れることはない。
「これから先、世論はパルカール王国に強硬的な態度に出たいナタニエル殿下派とパルカール王国と協調的な態度を取るフレデリク陛下派に割れるわ。原作どおりにね」
原作どおりに、と言われると痛い。そこにセシルはいないはずだからである。セシルは知らない未来の話だ。
「僕はどう動けばいい?」
不安からそう訊ねた。
「僕はここにいないはずのキャラだ」
ずっと胸に抱えていたもやもやを、思い切って吐き出す。
「何をすればあなたの役に立てる?」
彼女はしばらくセシルを見つめていた。その琥珀色の瞳は何も語らなかった。怒りは消えたようだが、何を言いたいのかはわからなくなった。
「答えてよ」
たっぷりもったいつけてから、彼女はこう答えた。
「何もしなくていいわ」
セシルはかっとなった。
「あなたが無理に動くことはないのよ。わたくしはあなたに無謀な行動を求めてはいなくて――」
ヴァルトラウトの肩を強い力で押した。なんだかんだ言って十八歳の女性である彼女は男であるセシルの力に抗えず二、三歩よろけた。
彼女の背後に木が立っていた。そこそこ太い幹の木だ。人間が一人背中を預けると反対側からは隠れて見れる程度の、かくれんぼや内緒話に都合のいい街路樹である。
彼女の背が、木の幹についた。
その彼女の頭の上、幹の真ん中あたりを、セシルは思い切り殴り、そのまま拳を押しつけた。
彼女との距離が、ぐっと近くなる。
セシルもそこそこ背が高い。百八十センチはないが、ほぼそれくらいである。ヴァルトラウトは女性にして背が高いものの、おそらく百七十弱程度だと思われる。セシルより十センチ以上小さい。
セシルの体がヴァルトラウトを世界から覆い隠して、彼女の顔に影を落とす。
「僕、いらない?」
苛立ちが止まらない。
「由良みかんは僕を殺したかったんだもんね」
「セシル……、違うわ、落ち着いて――」
彼女が困惑した表情をする。
セシルの中に、ゆがんだ感情が湧いてきた。
いつもクールな彼女にこんな顔をさせられるのは、自分だけだ。
このまま彼女をどこかに閉じ込めておきたい、という醜い思考が湧いてきた。彼女がセシル以外に会えないように。
ザカリアスに奪われないように。
「僕はあなたにとってあなたと対立するはずのナタニエル殿下に近づこうとする邪魔で役立たずな存在? だから止めに来た?」
「お願いセシル、わたくしの話を聞いて」
「僕はあなたにとっての何なんだよ……!」
彼女の唇が、震える。
「僕だってあなたにとって都合のいい存在でありたいよ。でも本当は死んでるんだよ! おかげで何の情報もない。それでも僕は不安にならないと思う?」
ヴァルトラウトがゆるゆると首を横に振る。
「ごめんなさい」
その言葉を聞いた時、セシルは我に返った。
「自分が作ったキャラだからと言って物語にとって都合のいいように殺すべきではなかったわ」
彼女の手が、セシルの胸に伸びた。
軽く押される。
弱々しい力で、一応男のセシルの体を押し退けるほどのものではなかったが、セシルにとっては十分衝撃的なことだった。
拒絶されている。
「ごめんなさい……少し、距離が近くて、その、あなたなのに威圧感を感じてしまう……」
そして、苦笑する。
「威圧感を感じるって、日本語にすると、感じるという漢字が二回続くわね……。オルファリア語でも少し違和感があるわ」
セシルは一歩後ずさった。
彼女の顔を見る。
彼女は暗い顔をしている。
もう一歩、ゆっくり後ろに下がった。
「ごめん」
その次には、駆け出していた。
逃げ出していた。
対象物は壁ではなく木だったが、壁ドンは本当に良くない。自分より体格が小さい相手を追い詰める。モラハラだ。嫌われても仕方がない。実際ヴァルトラウトも怖かったのだろう。
拒絶されてしまった。
自分がコントロールできない。
これが恋をするということなのだろうか。経験値がほぼゼロなので、どうしたらいいのかわからなかった。ただただ自分自身が怖いと思った。
こんなやつが彼女のためにできることなんてない。
そう思い、セシルは打ちのめされた。




